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#10『日本中が注目』

 自分でもビックリするくらいスポーツに興味がない。嫌悪感を抱いているというわけではなく、ただただ興味がない。オリンピックや世界大会はテレビに映っていたら横目では見ているし、日本が勝ったらちゃんと嬉しい。しかし負けても何の感情も湧かない。一喜一憂の「憂」が欠けているのだ。
 いったい私はいつからこんなにスポーツに関心を示さない人間になってしまったのか、大学生から幼稚園児まで遡って考えてみた。

 まずは大学生、つまりここ数年のことだ。入学してから驚いたこととして、自分の同級生は自分が想像している以上に「プロ野球」というものを見ている。もちろんプロ野球という言葉自体は認知しているし、各球団がどこに本拠地を置いているかも頭に入っている。しかしながら彼らは、選手の個人名や打線を完璧に理解しているのだ。どこでそんな知識を身につけたのだろう。
 プロ野球に関する友人達の会話を聞いていると、疑問ばかりが浮かぶ。「なぜ数字とポジションと苗字を聞いただけで、試合を想像することができるのだろう。」「なぜ映像を見なくても盛り上がれるのだろう。」「なぜ文字でも音でもなく、動きのイメージを共有できるのだろう。」
 きっとこんなことを考えてしまう時点で、私はスポーツを楽しむことには向いていないのだろう。

 高校生まで遡ってみよう。文化部の部長で、体育の成績は10段階の1。絵に描いたような偏り方である。いくら文化系とはいえ、体育の「1」は大問題だ。確か入学直後のガイダンスでは、「どれだけ運動が苦手でも、身体に障害があろうとも、絶対に3は取れるような成績の付け方をする。」みたいなことを言っていたはずだ。嘘ではないか。
 成績からもわかるように、私の運動嫌いは中々の域に達している。恐らくこの後登場する中学校、小学校、幼稚園時代の話からも何となく察せるだろう。
高校生時代の私は、人間を2種類に分類した場合の「日の当たらない側」に属していた。というか今も属している。そんなわけで友人達は揃いも揃って、「そっち側」の人間だった。
 当時の私は「タイプとして似ているのだから、きっとみんなスポーツに興味はないだろう。」なんてことを考えていたはずだ。とんだ見当違いであった。偏見はあくまで偏見、傾向はあくまで傾向であって事実ではなかったのだ。
 意外にも中学生の時は運動部に所属していたという者が多かった。そのせいか、会話にテニスや卓球の話題が混じることが度々あり、途端に何も喋れなくなってしまった。聞き取れた単語といえば「ナダル」だけである。

 まだまだ原因はわからない。中学生の頃を思い出してみよう。
 同じく文化部に所属し、体育の成績は5段階の3であった。きっとこれはお情けの3で、本当は2だったのではないかと睨んでいる。
 夏季オリンピックでいうと、小6の時にロンドン、高1の時にリオ大会があったので、夏季五輪とは被らない中学生活であった。ちなみに中学2年生にして初めて、冬季五輪の存在を知った。それと同時に「ソチ」と言う地名も覚えた。

ソチはここです。
ソチが小さいのかロシアが大きいのか。

 そもそも、保健体育という科目自体に苦手意識を覚え始めてのが中学生の頃だったような気がする。2年生の時の担任の先生が保健体育科の教諭だったことに、原因があるのかもしれない。
 先生自身が悪い人間だったというわけではなく、むしろ生徒想いの良い先生だったように思われる。しかしその「生徒想い」のベクトルが時代にそぐわなかったのだ。いかんせん生きてきた時代が違うのだから仕方ない。彼は『スクール☆ウォーズ』を観て教師を目指したタイプの人間で、思春期の少年少女達が価値観の違いなどをきっかけに、揉め事を起こしたり涙を流したりすることを「青春」だと思っているのだ。合唱コンクールの前日、生徒の歌声に纏まりがないことに責任を感じて泣いていたパートリーダーの女子を、特に慰めるようなことはせず、腕を組んでうんうんと頷きながら遠くより見守っていた。「これぞ青春である。」といったような表情であった。
 そんな先生を担任に持ったことが、私が運動嫌いになった原因なのかもしれない。でも良い先生だった。良い……うん、だった……はず。楽しい思い出とかも結構あったはず……。豪雨の中での持久走とか……あれは青春だった……と信じたい。

 何となく原因は掴めてきたが、「嫌い=興味がない」とは限らない。きっと何らかのスポーツに興味を持っていた時期もあったはずだ。
 実を言うと、小学生の頃の私は剣道を習っていた。正確にはスポーツではなく武道と言うべきかもしれないが、何にせよ運動競技と括られるものを、わざわざ学校の外で習っていたのだ。
 しかし、全くもって好きではなかった。嫌だ〜。行きたくな〜い。ずっとアニマックス観てたいよ〜。これらが本音であった。
 好きではない理由は割と明確で、「声が小さいから」と「勝てないから」の二大巨頭がその大半を占めていた。根っからの運動能力の低さに加えて、声の小ささまでもが足枷になってしまうとは。私の体はそもそも、スポーツをするように設計されていないのかもしれない。
 小学校低学年の頃に習い始めて、そのままずるずると中3まで不定期に通い続けていたが、高校入学後は市民大会に1回出たきり道場へは足を運んでいない。こうして私のスポーツマン人生は幕を閉じた。いや、まだ退会の手続きはしていないから、もしかすると籍は残っているのかもしれない。

 幼稚園時代まで遡って来てしまった。当時のことはほとんど記憶にないが、私の運動嫌いを家族や親族に知らしめたエピソードだけは、微かに記憶に残っている。当の私自身は、いくつもある嫌な記憶のうちの1つ、くらいにしか思っていなかったが、どうやら母親が語るには並々ならぬ「意志」を感じたようだ。
 当時、私は水泳を習っていた。しかし、それから17年以上が経過した2022年12月現在、一切泳ぐことができない。四大泳法どころか、犬掻きすら出来ない。何が言いたいかというと、水泳も苦手だったのだ。
 ただでさえ水泳に対する苦手意識があった私に、さらなる追い討ちをかけたのが「飛び込み」の練習だった。プールのへりから垂直に水中へと飛び込むのだが、この時、十中八九鼻に水が入るのだ。これが歯医者や注射なんかより、よっぽど苦手であった。
 飛び込みが嫌で嫌で仕方なかった私は、仕事から帰って来た母親へ、水泳教室を退会したいとの旨を伝えた。前述の通り、当時のことはあまり覚えていないが、それはそれは泣きじゃくっていたらしい。歯医者で一度も泣いたことがない息子がこんなに嗚咽するなんて、余程過酷な練習をしているに違いない。母親はそう思ったらしいが、よくよく話を聞くと「鼻に水が入るのに耐えられない。」ときた。きっと母親は戸惑っただろう。そんなことでこんなに泣くなんて、と。
 無事に退会を済ませ、ここから先は運動嫌い一直線である。仕方ないではないか。「好きなもんは好き」と同じように「嫌いなもんは嫌い」なのだ。

 振り返ってみてやっとわかったが、私はずっとスポーツを恐れていたようだ。「苦手」や「嫌い」を通り越して「怖い」の域に到達していたらしい。興味が湧かないのも、当然といえば当然のことなのかもしれない。
 興味のない人間にとって、サッカーと野球はとにかく怖い。世間から「当然知ってるよね。」と言う態度で詰め寄られるからだ。先日のサッカー・ワールドカップだって一切観ていないし、何chでやっていたのかも知らないままである。しかし、興味のある者からするとワールドカップなんかは生活の一部のようになっていて、試合の結果によって翌日のパフォーマンスに違いが出るらしい。
 野球で言うと、大谷翔平のことをほとんど知らずにここまで来てしまった。イチロー、ダルビッシュ有、新庄剛志などの世界で活躍している選手は私でも知っているが、いつの間にかここに大谷翔平が加わっていた。たった数年の間に知らない常識がいくつも生まれてしまったようで、時代に取り残されたような寂しさを感じている。「日本中が注目!」と言う場合の「日本」に私は含まれていないようだ。

 そんな私でも、たった1つだけ好きなスポーツがある。ズバリ高校野球だ。
 若き高校球児達がそれぞれの都道府県を代表して兵庫県へとやって来る。「自分、地元を背負ってます。」と言う雰囲気が感じられて、とにかく格好良い。
 これからは胸を張って「好きなスポーツは高校野球です。」と言っていこう。でも、そこからプロ野球にまで話を広げられたら、自分の専門領域を飛び出してしまうので、やっぱりやめておこう。

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