読書会初体験について2
自由課題の、午前の読書会が終わり、皆さんとお昼ご飯を食べてから午後の読書会に向かう。
場所は図書館、課題は決まっている。
これ。一冊の本に対する読書会をしてみたかった。
絶対に違う視点が出るから、大きな勉強になることはわかったいるから。
視点の違いは、必ず自分と周囲の人を助けることができる。
思ったことをそのまま、少し辛辣に書いていきます。
人数は八人。年齢は30~60代?
まずは午前中と同じく自己紹介から始まる。
そのあと、一人ずつ3分ほど簡単な感想を述べていく。
その後、深堀していくという形でした。
それぞれの視点があった。私と同じ意見だったのは、「犬は死神ともいえる」というところ。ほかは一緒ではなかった。
その中で、初めてかもしれない感想を実際に聞いた。
本の言葉の選択や、文章構成、などの過失をあげつらい、ゆえにこの本は面白くなかった、という感想であった。
正直、呆れた。悲しかった。
中身の批評は?小説にとって、物語が根幹のはず。人にとっての心の部分。
過去に似たようなことがあったのを思い出した。
私のベスト5に入る映画『ラストサムライ』についてだった。
社会の教育実習を過去にやっていた時。ちょうど明治に移行するとき、西洋の武器により、町民でも同じくらい戦うことができ、侍が消えていくときが題材だった。
その記憶があるので、同じような内容のこの映画はとても深く心に刻まれた。『侍』が死に、次代に託していく。何回も見た。親友も同じく、幾度も見た。
なので職場の先輩何人かにお勧めしたところ、全員が、あの植物は日本にはない、風景が日本ではない、などの本当にくだらないところで面白くない、と決したようだった。
「は?アホなの?」
と思った。
別に批判を批判するわけではない。批判のない世界ほど成長のないものはない。
気に入らなかったのは、それぞれの芸術の根幹の批評がなく、関わりの薄いところをすべてのように語って評価する。たとえば、心があらわれているかのように揚々とした字を書いた、笑顔になるような字の書道作品の評価を、
「紙が悪いから、すべてが良くない」
と言っているのと同じではないのか。
これが「本質を見る」ということなのかな。
映画も、小説も、本質は「物語」だと私は思う。
なにで仕入れたか覚えていないが、面白い話を思い出した。
『人間だけが物語を創作する』と。
そもそも、映画も小説も、物語を楽しむために作られたもののはずだ。
芸術の本質は、「何を伝えたいか」であって、見てくれではない。と思う、と弱気に主張する。
たしかに、受信者からすれば、見てくれも大事だろう。しかし、発信者がもっとも苦悩するのは物語だろう。
人間同士は簡単に誤解するし、思い込み合う。だから、出来るだけ齟齬なく自分の思いを伝えるために苦悩するのか。
あとは単純にストーリーが行き詰まって苦悩するのだろう。
私は苦悩するところを本質、もしくはそれに近いものと単純に考えている。少なくとも、枝葉であるはずはない。
この考えに、今至った。
見てくれは、私にとってはとても些末なもの。
この批判で、私の本に対する採点基準が少し分かった。
その本に含蓄があり、より心に残る物語かどうか、というところのような気がする。
要は、その本を読んだときに頭の中にできる世界が、私の好む物語になっているかどうか、心にドシン、と重さを感じられるかどうか、が大事なのだろう。
たぶん、私にとって物語はエンターテインメントではない。
たまたまなのだが、時代小説以外で好む小説はなかなかない。であるのに、私は珍しく、時代小説でないのにこの本を結構気に入っていたので、そんな枝葉でつまらない判断するのは、あまりにくだらないと思った。もっと目線を遠くから見てみれば違うかもしれないのに。
さらに、その批判の意見に釣られてなのか、つまらなかった、構成が甘い、等の意見が出てき始めた。
聞いているのが悲しかった。
平々凡々とした人生を送れば、こういう人間になるのかな、と思った。
関わってきた人間には、色んな悲しみを持っていた人が大勢いた。見る側を選べば、私も周りも底辺側の人が多い。
私は借金をしながらニートであった期間があるし、仲の良い友人には元受刑者もいる。目の前で万引きした先輩がいたので諫止したところ、「盗みをしないと生きていけない人もいるんやぞ」と言われた時は言い返せなかった。その先輩は、その時はそんな切羽詰まった状況ではなかったが、そういう人生を過去に送ったことがあるという事実を想像して言い返せなかった。
「そんなことはない」というのは、きれいな世界しか見てない人だと思う。
だから、この本を面白いと思えたのかもしれない。
私は、心が壊れてしまったときから、芸術への見方が大きく変わった。
地獄の日々への招待状との引き換えに、感受性がとんでもなく上がった。
心も壊れていたので、相乗効果で、映画、漫画、アニメ、小説どれをとっても、どこで泣くかわからないくらいによく泣いた。キャラが笑っていても、その笑いの背景まで読んでしまい、泣いた。浅田次郎さんがよく書くセリフがある。
「笑っていなけりゃ泣いてしまう」
無理やりにでも笑っていないと、苦悩に押しつぶされて、涙がとめどなく落ちてしまうような人生を送っている登場人物に向けられていた。たぶん、浅田次郎さん本人のことも含めての言葉だとおもう。
この本『少年と犬』に登場する主要な人物は、9割がた死ぬ。しかも、不幸な人生に不運を重ねて、どこからどう見ても救われない人物が何人もいる。
第三者からすれば、なにをどうしたって、結末が幸せでないことは火を見るより明らかな不幸な人生を送り、しかし、ただ生きるために足掻いて足搔いて、それでも幸せとは言えない死に方をする。その死を渡り歩き、最後に会うべき人物にたどり着く物語。
その、不幸な死をいくつも背負って、犬自信が死にかけながらも少年のもとにたどり着き、最後に少年を守って死んでしまう。そんな話。
しかし、不幸な人生を送って、無惨に死に、しかし犬を助け、目的地に送り出していく、その人達の死をすべて使って少年を助けた、という感想に、この読書会で辟易したおかげで辿りついた。
これは、関わった全員の不運な人生に小さな光が灯った、と思った。
地獄のまっただ中にいると、こんなことは思いたくもなかったが、ようやく通り越したら、声を大にして言える。
「傷だらけの人生で本当に良かった」
と。人様より、何倍も感動をおぼえることができるのは、宝物だ
と、偉そうなことを言っておきながら、実は、私も批判側だった記憶がある。精霊の守り人シリーズを15年ほど前にすすめられて、読んだことがある。
ストーリーも、世界観も、人物も、とんでもなく面白かった。ただ、文章があまりに稚拙だと感じ、読むのにストレスもあったので、途中でやめた。
しかし、あれから色んな経験をしたから、今のように考えられるようになった。今度はひっかかりなく楽しめるかもしれない。また読んでみようと思った。
ふふん。
タイトルの読書会から大きく道を逸れた文章になったが、惰眠をむさぼりたいのでここで終わります。
結論!なんだかんだ言っても、読書会は良い!