心の理論について(私の場合)

発達障害の人は『心の理論』というものを理解するのが苦手な人が多いみたいです。

「心」と「理論」という言葉が矛盾しているようで「心に理論なんて存在するのか?」と疑問に思った私ですが、それはさておきアスペルガー症候群と診断された私が心の理論の課題についてどういう考え方をしたか書きたいと思います。

サリーとアン課題

サリーとアン課題とは『心の理論』の問題でこういう内容。

サリーはボールをバスケットの中に入れ、部屋を出て行きました。サリーが部屋にいない間にアンはボールをバスケットから出して箱に入れました。サリーは部屋に戻ってきた時、どこを探すでしょう?

私は小学生の時に親からこの問題を出された。(本来は幼稚園児がやる問題らしいけど)


その時、私は「バスケット」とも答えなかったし、発達障害を持つ人が多く答える「箱」とも答えなかった。

「カーテンの中とか、棚と棚の間とか隠れてそうな場所。」私はこう答えた。


なぜこう答えたか?

親からは「問題の意味を理解してる?」と聞かれた。

私は「だから隠れてそうな場所探すんだって!」としか答えられなかったが、今ではなぜそう言ったのか理解できる。


「探す」とは物があるべき場所に無いからする行為であって、「どこを探すでしょう?」は文字通り「探す」段階でのことを考えた。

これがもし「どこにボールを取りに行くでしょう?」ならまた答えは変わってきただろう。

だけど問題が「どこを探すでしょう?」だったので、それを聞かれた時、私の中では「サリーがバスケットの中を覗いて無いことに気付く」という話は終わっていた。これからのことを聞かれたように捉えた。

まさか問題中の「探す」が探す以前の行為を指しているとは考えもしなかった。

私は少し聞いただけで自分の中で話を展開させる傾向があるから勘違いなどが多い。

「文字通り解釈する」特性と「思い込みが激しい」特性が生み出した答えではないかと思う。


そもそもなぜサリーとアン課題では間違った言葉の使われ方がされているのか?

「サリーはバスケットの中にボールを入れ、戻ってきた時にバスケットの中を探す」ってそれ「探す」とは言わないだろってツッコミ所が満載なのたが……

問題が「どこに取りに行くでしょう?」ではなく「どこを探すでしょう?」になっているのは視点問題だけでなく文字通り解釈するかどうかも見られているのか?だとしたらなぜそれが『心の理論』と呼ばれるのか?と謎が多い。



自他の視点の混同について

私はよく「行く」「来る」「する」「される」を混同したり、どちらを使って良いのか分からない時がある。

幼い頃の一人称が親が私の事を呼んでいたあだ名だったなど、私は自分を客観的に捉えることがよくある。その名残として時々一人称が「るしあさん」や「この人」になったりするし、離人感が人一倍強かったりもする。


現在では自他の区別はできるのだが、話をする時「これはどっちの視点で話したら良いんだ?」と迷うことがあり、そのため能動態と受動態がごちゃ混ぜになることがある。

とにかくメタ認知したいというか、自分を客観的に見たいという欲望がある(苦手だけど)。

あとは、「相手の気持ちを考えて」とか意識していると自然と相手視点で話してしまうというのもある。



私が今でも理解できないもの

成長するにつれて他人の気持ちをある程度は認識できるようになったが、この歳(18歳)にもなって全く理解できないものがある。

それは『ストレンジ・ストーリーズ課題』というものだ。


こういうものである。

なつきちゃんは誕生日のプレゼントにハムスターがもらえると思っていました。しかし、プレゼントの箱を開けると、欲しくないクマのぬいぐるみが入っていました。お母さんに「どう?気にいった?」と訊かれたなつきちゃんは、にっこり笑って「ありがとう。欲しかったの、クマのぬいぐるみ」と答えました。なつきちゃんは本当のことを言っていますか? それはどうしてですか?


これを読んだ時に頭の中が「???」になった。

そして「文には欲しくないと書いてあったけどそれはなつきちゃん自身の気持ちではなく客観的に見たものであって本当は気が変わってクマのぬいぐるみでもいいやってなったんじゃない?」と思った。

これにはネタバレが書いてあったけど、もし現実でこういう状況になった時、私なら戸惑って「え?これ私宛てなの!?こんなの欲しいって言ってないし話聞いてた!?」と言ってしまうだろうし、渡す側なら「ありがとう」と言われたら「喜んでもらえて良かった、この人の言う欲しいはそれほど強くないんだな」と思って次回からその相手の欲望をあまり大事な事として捉えなくなるかもしれない。

誤解されたり信頼を失うのが怖いから口が裂けても嘘はつきたくないという気持ちが私の中では根付いているから、相手のためを思って嘘をつけるような人には一生なれないと思う。


全てのアスペルガーの人がそうなのかは分からないが、私の場合は本当に嘘が分からない。

「私の身長は富士山より高いんだ〜!」みたいな明らかに現実と矛盾しているものなら分かるのだが、思ってもないことを言われるなどそういう曖昧なものが全く分からない。

なのでアスペルガー症候群の人に対して分かりにくい嘘はつかない方が良いです、誤解されるので。



アスペルガー式 相手の立場での考え方

みんなそうなのかは分かりませんが、私がやっている方法を書きます。

(てかそうじゃない人はどうやって相手の立ち場に立って考えてるんだろう…?超能力…?)


①感情移入

相手を演じているつもりで(?)自分ならどうするか?を考える。しかしそれはあくまでも「自分なら」であり、そこに自分と矛盾した価値観が存在した場合は「え?なんでそうなるの???」とめちゃくちゃ混乱する。


②パターン認識からの予測

家族や友達などある程度のコミュニケーションを取っている人だと、「この人は私がこうしたらこういう行動を取る」という一定のパターンに気付く。そこから「ここではこう言わないと相手を怒らせてしまう」などと考え、人によって接し方のコツを見つける。



まとめ

アスペルガー症候群の人は

・言葉(の文字通りの意味)に忠実……例えば「探す=ものを無くしたことに気付いてからすること」のように言葉の意味を考え、それに沿わない表現が理解しにくい

・相手の立場に立つことが苦手……私の場合、成長して感情移入で「私だったらどうするか?」がギリできる程度で、自分とは違う考えというものを意識して物事を考えるのが苦手

・正直で嘘がつけない……ありのままを話す傾向があり、お世辞など思ってもない事が言えない

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