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ゴジラ-1.0を見たネタバレ感想・考察

 ついに話題作のゴジラ-1.0を映画館で視聴した。シン・ゴジラ以来、7年ぶりの日本ゴジラ映画だ。期待通り、非常に面白い作品だった。早速感想を書いてみよう。

舞台は1947年

 前回のシン・ゴジラの影響もあり、てっきり舞台は現代かと思ったが、違った。今回の映画は1945年の大戦末期から始まる。臆病者の特攻隊員だった主人公(神木隆之介)は飛行機の故障を偽って大戸島に漂着する。そこには守備隊が駐屯していた。夜になって、島にゴジラが上陸する。「島の奴らが言っていたゴジラだ」という趣旨のセリフがあったため、初代ゴジラと同様にゴジラとは大戸島の伝承という設定は同様のようだ。島の守備隊は壊滅し、主人公ともう守備隊長を除いて全員が死亡する。

 主人公が帰還すると東京は空襲で焼け野原になっており、近所の住民(安藤サクラ)も子供を失っている。焼け跡の中で主人公は浜辺美波に合う。浜辺美波は孤児を放っておけずに育てており、3人の共同生活が始まる。

 1947年となり、東京は復興が進んでいた。そんな中謎の巨大海洋生物が船を次々と襲っていることが話題となる。その頃機雷掃海艇の仕事についていた主人公は、ゴジラと再び出会い、その恐ろしさに戦慄する。

タイトルの意味

 現代に続くゴジラシリーズは1954年の初代ゴジラに始まっているが、まさかそれよりも前の時代をテーマにするとは思わなかった。1947年といえばまだ連合軍の占領下という時代である。曲がりなりにも戦後社会が生まれ始めていた1954年と違い、1947年はまだまだ焼け野原だ。

 タイトルの「-1.0」という部分は1954年よりも前を舞台にしているという意味だと解すのが妥当だろう。

最近流行りのお約束

 今作では最近の創作物にありがちなお約束がきちんと盛り込まれていた。

 例えば主人公のトラウマの描写を最初に入れるというものがある。主人公は臆病だったことから故障と嘘をついて大戸島に着水する。ゴジラが上陸した際も臆病風に吹かれてゴジラを撃つことが出来ず、島の守備隊は壊滅する。帰りの船の上で守備隊長から戦死した兵士の家族の写真を渡されて、自分のせいで兵士を死なせてしまったことを主人公は悔やむ。これが主人公にとって重度のトラウマであり、「まだ戦争が終わっていない」という意識に繋がる。

 次のお約束は「序盤にネタを出せ」というものだ。最近の創作物はネット等で飽和しており、若者のタイパ志向も強い。したがって序盤にネタを出さないとすぐに飽きられるか切られてしまうという問題がある。ネット小説などではタイトル(やたら長い)にオチまで入れてしまう作品まであるようだ。1954年版ではゴジラが登場するまでに時間がかかっていたが、今回は序盤の大戸島でいきなりゴジラが出てきた。その描写はジュラシックパークを彷彿とさせる。というより多分モデルにしているのだろう。ゴジラのサイズもまだこの時は小さく、恐竜といったも差し支えない。実際に序盤では恐竜と呼称されていた。

 また、疑似家族ものも最近の流行りのようだ。逃げ恥やスパイファミリーを考えれば良い。今作では疑似家族を築いた主人公・浜辺美波・孤児はいずれも血の繋がりがなく、戦後の混乱で知り合って同居を続けていた。

クロスロード作戦

 1954年の初代ゴジラはビキニ環礁での核実験をテーマに作られた作品だ。1954年に行われた米軍の「キャッスル作戦」では第五福竜丸が被爆し、船員に犠牲者を出した。このことが原因で核兵器廃絶運動が盛り上がるようになった。事件の原因となった水爆「ブラボー」はミスにより本来の設計を遥かに上回る出力が出てしまい、その威力たるや15メガトンにも及んだ。ツァーリボンバに比べれば3割に留まるが、これはアメリカが行った核実験の中では現在に至るまで最強の威力である。

 今回の舞台はそれより前であるため、ゴジラ覚醒の原因となった核実験はクロスロード作戦に変更されている。これはトリニティ実験と広島長崎の原爆投下に次ぐ、史上4番目の核兵器の炸裂となる。

 ゴジラ誕生の経緯はしばしば揺れている。初代ゴジラでは水爆実験の影響で古代の恐竜が目を覚ましたという設定だが、のちの作品では水爆の放射能の影響で生物学的機能そのものが強化されたという設定が多い。今回のゴジラがどうなのかは曖昧なままだった。序盤のゴジラに比べれば異常に強化されているようにも思えるので、やはりクロスロード作戦が原因で異常な進化を遂げたのだろうか。

 なお、作中で「放射能」という用語は使われていなかった。「放射線」オンリーである。以前は放射線という意味で放射能という言葉が広範に誤用されていたのだが、2011年の福島原発事故の後に国民的な理解が深まったのか、放射能という言葉を聞く機会は少なくなっている。

機雷掃海部隊

 機雷という言葉にどれほど馴染みがあるだろうか。機雷とは海洋版の地雷であり、第二次世界大戦中に米軍が日本本土を海上封鎖するために日本中の海にバラ撒いていた。戦後、復興を進める上で機雷の相当は早急な課題となった。第二次世界大戦後に唯一機能していた日本軍関係の組織が機雷掃海であり、主人公もこれに加入していた。

 主人公が旧軍の名残のような任務に従事していたのはもちろん主人公の戦争のトラウマと結びつけているだろう。主人公の中で戦争は終わっていなかったのだ。浜辺美波に危険な任務をやめるように頼まれたが、主人公は頑として譲らなかった。金のためと言っていたが、それ以外の理由もあるのかもしれない。

 掃海部隊で主人公は同じ軍隊帰りの仲間と意気投合し、このメンバーがゴジラ退治の中心となる。ゴジラに彼らは遭遇するが、重火器でも歯が立たず、機雷を口の中に押し込んでも一時的なダメージを与えるだけだった。その後に軍艦が砲撃を行ったが、ゴジラは無傷であり、放射熱線でもろとも消滅することになった。

 ちなみに日本の機雷掃海部隊は朝鮮戦争にも参戦していた。犠牲者も出ているが、公式には日本は軍隊を持たない国ということになっていたので、戦没者としての名誉は与えられないままだった。

浜辺美波との同居

 作中で主人公は浜辺美波とラブラブの同居生活を送っている。もはや内縁といっても問題がないだろう。実際に掃海部隊に志願した時もまるで夫を引き止めるかのように「命を粗末にするな」という趣旨のことを言っている。

 浜辺美波はサザエさんさながらの髪型をし、銀座で事務の仕事に就いている。これは戦後間もない日本で流行したヘアスタイルのようだ。モガヘアーというらしい。

 しかし、ここで1つの疑問が湧く。浜辺美波と2年もラブラブで同居していたら、子供が出来るのではないか。この欲求に耐えられる男性諸氏は少ないと思う。もしかしたら戦争のトラウマが深すぎて、いざとなると勢いがなくなってしまう等の理由があるのかもしれない。実際に作中では主人公は掃海艇のメンバーに結婚を勧められていたが、固辞している。

東京壊滅

 ついにゴジラシリーズおなじみのシーンだ。ゴジラが東京に上陸し、街がどんどん破壊されていく。逃げ惑う民衆も次々と踏み潰されていく。ゴジラが歩く方向ではなく、平行に逃げたらいいのにと突っ込みたくなったが、なぜか民衆はゴジラの歩く方向にばかり侵攻し、犠牲となっていく。

 浜辺美波は電車に乗っていたが、その電車がゴジラに噛み切られてしまう。ここにシーンは初代ゴジラにもあった場面だ。

 他にも中継中のマスコミがビルごと破壊されるシーンも初代ゴジラのオマージュだろう。初代ゴジラでは「みなさんさようならー」と言いながらなぎ倒されたのだが、今回は特にそうしたセリフは無かった。

 ゴジラに大して国会議事堂の辺りから戦車による砲撃が加えられるが相変わらず効果はなく、ついにゴジラは放射熱線を東京に放つ。着地地点から大爆発と衝撃波が周囲に伝わっていくらしい。爆心地は日比谷辺りだろうか。主人公たちのいる日比谷にも爆風は直撃し、浜辺美波は行方不明となる。

 死者は3万人とラジオで報じられていた。放射線を放つ肉片も同時に撒き散らされたようだ。3万人と言えば凄まじい数だが、それでも3月10日の東京・下町空襲よりは少ない。

 初代ゴジラではここで当時最新鋭のジェット戦闘機が攻撃に駆り出されていたのだが、今回は登場しなかった。恐らく震電を際立たせようとする監督の意図だろう。

ゴジラのフォルム

 1947年が舞台とあってか、ゴジラの身長は50メートルに格下げされたようだ。ゴジラの身長は東京の高層化が進むに連れどんどん大きくなっていき、シン・ゴジラでは120メートルにも達したが、今回で元に戻ったことになる。

 ゴジラが放射熱線を放つ時の描写はかなり気合が入っていた。背びれが1つまた1つと発光していき、体内に吸い込まれていく。私にはこの様子は原発の制御棒にも見えた。実際似たような原理で原子炉を操作しているのか?

 放射熱線が着弾すると、核爆発のような現象が起こり、周囲が壊滅する。シン・ゴジラはレーザー兵器のようだったが、今回は核実験の映像を彷彿とさせるようだった。銀座のシーンでも爆風の吹き返しの場面が忠実に再現されていた。これは実際の原爆投下でも起きたことだ。

ゴジラ掃討

 物理的な方法で殲滅は不可能だと考えた主人公たちは、別の方法を立案する。相模湾にゴジラを沈め、水圧と急減圧で殺そうというものだ。初代ゴジラではオキシジェンデストロイヤーなる超兵器が使用されたが、今回はなんともアナログだ。こんな方法で死ぬのか?

 ゴジラ掃討作戦のために戦闘機が必要だと考えた主人公は整備士として大戸島の守備隊長を呼び寄せる。彼の消息は不明となっていたが、悪口を言いふらす等の奇抜な手段で誘い出すことに成功した。

 日本軍の戦闘機は軒並み解体されていたが、戦争に使われなかった試作機の震電だけは倉庫に残されていた。守備隊長達の協力を得て主人公は震電の再起動に成功し、対ゴジラ陽動作戦の鍵を握ることになる。

 この辺りからだんだん永遠の0っぽくなって来た。というか、永遠の0の監督はこの人らしい。見てから初めて気が付いた。初代ゴジラのテーマは戦争を生き残った日本人のサバイバーズギルドと言われるが、今回の作品ではこのテーマが更に露骨に描かれていた。主人公にとっては戦争を本当に終わらせるにはゴジラを倒すことで守備隊を守れなかった責任を果たすしかないと考えたのだろう。守備隊長の捜索に主人公があれほど固執したのもこのためだ。

ワダツミ作戦

 シン・ゴジラで登場したのはヤシオリ作戦だったが、今回登場するのはワダツミ作戦だ。ワダツミとは日本神話に出てくる海の神である。「きけ、わだつみのこえ」にも掛けているのかもしれない。

 主人公たちは旧軍の兵士を集め、ゴジラ掃討部隊を結成する。彼らは家族がいると辞退したものもいるが、「誰かがやらねばならない」と積極的に参加した人も多かった。

 ワダツミ作戦の概要は、軍艦でゴジラにフロンガス発生装置を巻き付け、発生するガスで相模湾の水深1500メートルに沈めるというものだ。そして第二弾としてバルーンでゴジラを急浮上させ、減圧で息の根を止める。砲撃の直撃を食らっても死なないゴジラがこれで死ぬのかねえ。

 そういやフロンガスはオゾン層を破壊するとして国際条約で現在は禁止されている。オゾンは酸素原子から構成されているので、フロン=オキシジェンデストロイヤーとこじつけることもできる。

 ゴジラが出現する前は深海魚が急浮上して死ぬという現象が見られるが、これもフラグだったのかもしれない。

主人公の特攻

 ワダツミ作戦の前に「日本は命を粗末にしすぎた」という話が浮上した。誰一人として犠牲者を出さないというのは今回の作戦の前に全員が決意したものだ。放射熱線を放出させるために使った囮の軍艦も無人で運行されていた。

 ワダツミ作戦は概ね成功するが、あと一歩のところでゴジラがバルーンを破ってしまう。そこに救援の船が大勢現れた。彼らは「家族がいるから」として辞退した兵士たちや、若すぎるからという理由で排除された見習い船員だった。彼らが一緒に船を引っ張ったことでゴジラは水面に浮上させられる。ゴジラはかなり衰弱していたが、まだ生きており、放射熱線を放とうとしていた。

 全員が死を覚悟する中、主人公の震電が爆弾を抱えてゴジラの口の中に特攻する。以前の教訓でゴジラは内部からの攻撃に弱いことは分かっていた。主人公は「特攻崩れ」の過去にけじめを付けるため、ゴジラに一直線に進む。コックピットには浜辺美波の遺影が貼ってあった。主人公は覚悟を決めた表情で笑みを浮かべる。これ、永遠の0のラストシーンそのものではないか。三浦春馬と神木隆之介はキラキラと輝く瞳が良く似ている気がする。

 主人公はこのまま死ぬのだろうと思っていた。震電がゴジラの口の中に突撃・爆発し、ついにゴジラの息の根を止める。すると上空には主人公のパラシュートが飛び上がった。守備隊長が出撃前に脱出装置を取り付けており、主人公は脱出することができたようだ。浜辺美波が命を捨ててはいけないと説いたり、作戦前に1人も犠牲者を出したくないという決意を固めた伏線が回収されたことになる。これでようやく主人公の戦争は終わったのだ。

ゴジラより恐ろしい存在

 作中のゴジラ騒動で一番利益を得た人物は誰だろうか。その人物は作中に決して登場することは無かったが、巧みな策略で世界を操っていたに違いない。その人物とは、ソビエト連邦書記長・スターリンである。

 そもそも主人公たちが決死の戦闘を行ったのはソ連の巧みな政治戦によって米軍が行動を封じられていたからだ。どのような策略を使ったのかは分からないが、これでアメリカのエネルギーは多分に吸い取られたに違いない。

 当時の世界はまさに冷戦が勃発しており、アメリカは核兵器の優位でソ連を食い止めようとしていた。1947年の時点でソ連はまだ原爆開発に成功しておらず、彼らは少しでも西側陣営を撹乱することを欲していた。ゴジラが暴れ回ればアメリカのエネルギーは太平洋に向かざるを得ず、東欧の地盤固めが容易になる。それに日本にリソースが割かれれば内戦中の中国や占領下の朝鮮半島でも有利になる。ゴジラと核兵器の関連が指摘されれば、アメリカの核開発が遅れる可能性もある。

 作品の3年後、スターリンは北朝鮮にゴーサインを出し、朝鮮戦争が勃発する。ゴジラに引き続き、東アジアでは災厄が巻き起こることになる。

浜辺美波は生きていた

 生還した主人公に対し、安藤サクラが知らせを伝える。なんと浜辺美波は生きていたのだ。主人公は病院に向かい、大喜びする。ややご都合主義的展開にも見えるが、最近はノーストレスの作品が好まれるので、世相を反映しているのだろう。

 浜辺美波の首筋には黒いあざが付いていた。これをもって浜辺美波に暗雲が立ち込めている可能性も考えられる。ゴジラは大量の放射線を放っているので、関係者は癌になりやすいかもしれない。主人公も銀座でガッツリ黒い雨に打たれていた。また、G細胞のようなゴジラ関連の未知の機構が原因で疾患が起こる可能性もある。作中に登場した人物は生きていたら90歳から100歳辺りなのだが、もしかしたら癌が原因で生きている人間はいないかもしれない。911テロでは救助関係者の多くが粉塵を原因とする癌で死亡しているが、今回のゴジラ騒動でも似たような現象が起きるだろう。

 なお、ラストでゴジラは肉片からの再生能力を見せていた。ゴジラの恐怖はまだまだ続くということか。浜辺美波の回復も実はゴジラ細胞を体内に取り込んだことによる影響かもしれない。

他の作品との関連

 山崎監督は他にも様々な作品で定評のある人物であり、他の作品との関連性も見出すことができる。例えば今回の特攻隊に関するシーンは永遠の0を彷彿とさせる。浜辺美波がヒロインで戦中戦後がテーマという点ではアルキメデスの大戦を思い出す。今回の作品は「昭和っぽさ」が大きな特徴となっていたが、これは監督の代表作であるALWAYS 三丁目の夕日との関連性が見いだせるだろう。

キャストについて

 今回も力作とだけあって、豪華なキャストだった。主人公は神木隆之介だ。子役あがりであるが、成人してもかなりの活躍を見せている。日本に興行収入が100億を突破した映画は17作品あるが、神木隆之介はこのうち6作品に出演しており、恐らくトップだろう。

 ヒロインの浜辺美波はZ世代の女優で筆頭格に挙げられる人物である。同年代のライバルは広瀬すず・橋本環奈・今田美桜・永野芽郁のみだろう。この辺りのメンツは今後15年に渡って芸能界に君臨し続ける可能性が高い。浜辺美波は「昭和っぽい」感じがする女優であり、アルキメデスの大戦に引き続きの出演である。

 佐々木蔵之介の出演を見てどこだ?と思ったが、掃海艇のリーダー役の人物だった。作中ではリーダー役を勤めた。

 見習いの青年は最近伸びている山田裕貴である。彼は30をとっくに過ぎているのだが、青年の役である。昔の若者は今よりも老けているし、肉体労働者となればなおさらなので、違和感はないのかもしれない。山田裕貴は元乃木坂の西野七瀬と真剣交際していることでも有名である。

 隣人のオバサンの役を務めたのは安藤サクラだ。この人は微妙な役をやるのがうまい。口は悪いが人情のあるタイプとして描かれている。

 学者の役を務めていた吉岡秀隆は内田有紀の夫で、整備兵の役を務めていた青木崇高は優香の夫らしい。知らんかった。

 ちなみに初代ゴジラで主演を務め、長らく芸能界で活動を続けた宝田明は2022年に87歳で死去した。最後の瞬間まで現役であり、最後の作品で乃木坂の岩本蓮加と共演していたのが記憶に残っている。完成の舞台挨拶の数日後に急死してしまった。今回のゴジラは宝田明の死亡後に初めて発表された作品となる。

まとめ

 今回のゴジラはシン・ゴジラと同様にかなり楽しむことができた。やはり映画館のスクリーンで見るゴジラの迫力は相当なものだ。1954年当時と比べて圧倒的に技術が進んでいるため、迫力がある。

 また、今回は主要登場人物の死者が1人も存在しなかった。作品にあれほど死の影があるにも関わらずである。初代ゴジラで芹沢博士は死亡し、今回も主人公は自己犠牲の死を遂げるかに見えたが、そうではなかったようだ。永遠の0が「美しく死ぬ」ことをテーマにしていたとすれば、ゴジラ-1.0は「美しく生き残る」ことをテーマにしていると言えるだろう。 

 今回の映画で最大のテーマはゴジラそれ自体ではなく、「特攻崩れ」だろう。多くの兵士が命を落とす中で自分だけが生き残ってしまった。そして、その責任の一端は自分にもあるかもしれない。これは戦争を生き残った大正世代の多くが感じた罪悪感だった。特攻隊の最後の生き残りは現在100歳になっているが、未だに罪悪感に苛まれている人がいるようだ。

 そんな中で主人公は生き残ることを選択した。生き残ったものには未来があるし、生き残ったものなりの義務がある。「妻」や「娘」のような未来を象徴する存在もいる。その中で主人公は過去と向き合い、乗り越えていくことが出来たのだ。

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