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「静かな退職」の秘訣⑧、定年後の自分を想像しろ!!

 全てのサラリーマンが避けて通れない宿命がある。それは「定年退職」である。最近は情報発信が容易になったことで、定年退職後のサラリーマンの現実も知られるようになってきた。引退と言えば聞こえがいいが、基本的には無職である。それまで生活の殆どを占めてきた仕事が奪われ、空洞になってしまう。50代男性の半分以上は友達がおらず、退職したら本当に1人だ。家族以外とは口を聞かず、朝から晩までテレビを見て終わる。いや、家族がいればまだマシだ。独身だったり、離婚したり、家族仲が悪すぎると全く会話相手はいなくなる。

 何とかセカンドキャリアを模索する人間はいるが、多くは厳しい現実に打ちのめされる。一流大学から一流企業に進み、部長クラスまで昇格した人物であっても再就職はほとんど不可能だ。嘘だと思うなら調べてみてほしい。彼らでも就ける職業は警備員やコンビニ店員など、基本的に高卒の仕事だ。しかも決して楽とは言えない。多くの大卒ホワイトカラーは苦労して肉体労働の職に就くよりは、引きこもることを選ぶ。今までのスキルや名誉を否定された気分になるだろう。

 サラリーマンにとって定年退職は生前葬だ。寿命・健康寿命と並ぶ社会的な寿命があるとすればこのタイミングだろう。サラリーマンは65歳で社会寿命を迎え、後は無意味で空虚な存在となっていく。嫌な仕事を我慢し続けた結果、虚無に陥るとはなんとも暗い話だ。

 こうなる原因は何だろうか。1つ目は定年退職と同時に会社関係の人間関係が切れてしまうことだ。これは一見気づきにくいので多くの人間が油断している。会社の人間はあくまで利害で繋がった人間でしかなく、あなたが退職した途端見向きもしなくなるだろう。これは普遍的な現象のようだ。中高年男性の記事を読んでも、実際に彼らから話を聞いても、会社の人間関係は所詮は欺瞞でしかないようだ。私が母校を卒業してよかったと思うのは卒業後に友人と遊んでいる時だ。在学中は嫌なことも沢山あったが、卒業してみるといい思い出である。残念ながら、会社はそうした存在にはなり得ないらしい。

 もう1つの理由は会社以外の活動が皆無であることだ。田舎であれば地域コミュニティが生きているので、退職しても特に人間関係が断ち切られることはない。以前と同じように地元の友人と遊ぶだけだろう。ところがサラリーマンは地域コミュニティに参加していないし、全国転勤で地縁は断ち切られている。長時間労働で趣味をやる時間もない。そもそも、会社外で交友関係を広げるのは難しい。それでも家族がいれば良いが、仕事に打ち込みすぎて家庭をないがしろにする者も多く、決して円満な家庭ばかりではない。

 私は退任した役員の寂しそうな背中を覚えている。在職中はいい年した部長や次長がヘコヘコしていたが、退職したら二度と会うことはないだろう。あのゴマスリは何だったのか。所詮は役職と出世のための服従でしかなかったのだろう。以前の私はある意味で無敵だったので、面白がって役員に話しこんでみたことがある。役員は下っ端の私に対して妙に嬉しそうだった。私は役員の寂寥感に感づいていたので、ワンチャン退任後に飲みに誘ったら面白いかなとも思ったが、事情により結局できなかった。今でもちょっとした後悔になっている。

 サラリーマンは出世した人であっても、この役員のような最後を辿ることになる。ましてや凡庸な社員は言うまでもない。多くの社員が40代でキャリアが終わり、50代になるとどこかに出向して姿を消すのを見て、不気味さすら覚えたものだ。

 全ての原因はサラリーマンのソフトランディングが難しいことにあるだろう。まず在任時の給与と役職が高いため、定年退職後に現業にしか就けない事実を受け入れられない。キャリアも全く活かせないだろう。また、会社にあまりにもリソースを割いていたため、いきなり会社人生を喪失するとその後の変化に適応できない。こうして65歳以降の男性は廃人になっていく。

 また、精神的な面も考えられる。多くの社会人は仕事に頭を支配され、何かを楽しむという発想が徐々に減退してくる。要するに「無キャ」だ。ユーモアも新奇の発想もないため、こうした人物と会話しても面白くない。在任中はいいが、定年後は途端に自分が無キャであったことを知り、深い危機に陥る。40年間「楽しみ」を我慢し続けた飼い犬に、いきなり昔に戻れと言っても無理だろう。一方で余計なプライドや保守性ばかりは高まっていく。孤独な高齢男性の出来上がりだ。

 サラリーマンの末路は暗い。これをまず認識するべきだ。この問題を解決するのは難しく、「孤独を受け入れる努力をしろ」という識者が多い。しかし、1つだけ活路が存在する。それは「静かな退職」だ。これは多くのサラリーマンを人生の墓場から救うことになるだろう。

 静かな退職をする人間は余裕がある。家族を大切にしたり、趣味を作る余裕ができるということだ。人によっては定年後の職に繋がる準備ができるだろう。こうした動きは若いに越したことはなく、20代の間から始めておくべきだ。また、静かな退職を行うのは卵を1つのカゴに入れてはいけないからでもある。会社という卵が潰れても、他のコミュニティが存在していればダメージは小さい。ポートフォリオの組み方として、静かな退職は結構賢いのではないだろうか。

 静かな退職をした老後を考えてみよう。子供とは小さい頃から沢山遊べたし、家族で色んなところに旅行にいった。妻の家事を日頃から手伝っていたので共働きが可能だし、夫婦仲は良好だ。なによりこれとは別に趣味に打ち込む事ができる。趣味の繋がりで交友関係が広がれば、会社の人間に好かれなくても、問題なく充実した人生を楽しむことができる。50代に差し掛かった辺りに同僚はあなたの人生の充実度に敵わないと気が付くはずだ。もちろんバリバリ出世している人間はいるが、それは1割2割の優秀層であり、大半の社員には関係のないことだ。中途半端に会社に人生を奪われるのは止め、自分自身の生き方を考えていこう。



 



 


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