ライフ・シフトという幻想

 最近、人生100年時代という用語はすっかり定着した。このブームをもたらしたきっかけとなった書籍がある。それは「LIFE SHIFT」だ。イギリスの学者のリンダ・グラッドマンが著した世界的ベストセラーである。

 今後の人類は100歳以上生きるのが当たり前となり、今までの人生設計は大きく変わってくる。学生・社会人・老人という3ステージは変容し、よりマルチステージの人生がやってくるというのである。

 しかし、そんな人生は可能なのかという疑問が湧いてくる。実際は30歳までに人生の結果はほとんど見えているし、実のところ25歳にはほとんど見えているだろう。正直なところ、人生は25歳が転換点で、後は下り坂だと考えている。

 人生100年時代というけれど、転職市場を見ればほとんどの人間は余りある時間を活かせないのが現実だ。25歳をすぎると年齢を理由に挑戦できない業界がどんどん増えていく。30歳をすぎれば異業種へのチェンジは難しくなる。40歳をすぎれば転職自体が茨の道だ。50歳になると人間の市場価値は最低ランクにまで下降する。彼らの多くは会社のお情けで高い給料がもらえているのであり、「東大卒・大手企業の部長職」という見かけ上エリートに見える人物でも、フリーターと変わらぬ価値しか持たなくなる。実のところ、Fラン大学出身の新卒の方が価値は上である。

 こうなると、人生100年時代の自由な人生といっても実際はほとんど身動きが取れないことが分かる。25歳をすぎると人間の価値はどんどん下がっていくので、それまでに大企業のイスを確保し、ひたすら守りに入るという戦略が一番の理想となるだろう。今までの人生は65歳の年金受給年齢まで会社にしがみつけば「上がり」となるが、今後は年金で生活するのは難しいだろうから、資産運用は不動産売買などで会社を追い出されても大丈夫なように資産形成をしていく必要がある。

 人生100年時代に充実した一生が送れる人間は成功した自営業者など、一部の人間だけだろう。後の人間はむしろ不安を抱える状態となる。残念ながら、労働者の市場価値が一番高いのは新卒の時だ。学歴やスキルよりも年齢の方が重要度が遥かに高い。肉体が朽ちていくと同時に、社会的な評価もどんどん下り坂となる。50代や60代で社会的に活躍している人間もいるが、彼らは崖っぷちの状態で踏ん張っている、最後の生き残りなのだ。

 こう考えると、伝統的なキャリア形成は崩れるどころか、ますます重要度を増している可能性がある。最も理想的な人生は難関資格を取ることであり、それが叶わない場合はなるべく大きな企業に入って定年までしがみつく。上昇志向の強い人間は競争の激しい外資系に入りたがるが、正直アホだと思う。半分以上の人間は競争に敗れて追い出され、聞いたことのない会社で働くことになるからだ。正直、JTCの方が期待値は高いだろう。

 そもそも人生の戦略が間違っているという見方もできる。「上昇志向」というのは間違いで、実際は「下降への抵抗」ではないかということだ。成功者に見える政治家・芸能人・スポーツ選手も一部の生き残れる人間を除いては脱落する。残念ながら彼らの市場価値はフリーターと同じだろう。「以前は大臣をやっていました」と言われても「ここじゃそんなの通用しないよ」と言われて終わりである。

 人生に上昇志向を求める気持ちは分かるし、それが人間にとって自然な感性だが、社会の現実とは食い違っている。少なくとも人間の価値は25歳をすぎると急速に下がっていき、社会の鼻つまみ者になっていく。25歳の時にエリートだった人間も、50歳になるとフリーターと同じ扱いである。それが労働市場の現実なのだ。こう考えると、そもそもキャリアというものに期待するのが間違いではないかという発想が湧いてくる。上昇志向や自己実現は仕事以外の面に求め、仕事はひたすら守りに徹するべきではないかということだ。

 世間では自己実現は仕事に求めないといけないという風潮がある。確かに世界的に偉大とされる人々は皆本業で活動している人間ばかりだ。ただし、それは一握りの幸運な人物にのみ許されることであり、普通の人間は無理だろう。上昇志向や自己実現を仕事に求めるように説くのは実は残酷なことではないかと思う。研究者や俳優を目指して負け組となった人間は数えきれないし、起業に失敗して自殺した者も大勢いる。

 しばしば理系人材が医学部ばかりに流入することを問題視する人がいるが、これは実は正しいのではないかと考えている。なぜなら医者は絶対に食いっぱぐれがないからだ。医学部に受からない人は一般大学に進学し、JTCで定年まで踏ん張ることになる。「やりたいこと」よりも生き残ることのほうが人生では大事であり、人生の意義は仕事以外に求めたほうが賢明だろう。現に高学歴エリートの多くはこうして生きているのだ。

 本当に若者のことを思ったキャリア教育は「いかにリスクの少ない仕事に就くか」であり、将来の夢や野心を後押しする風潮は考えものである。教育すべき将来の夢は「ケーキ屋さん」や「サッカー選手」ではなく、「会社員にしがみつきながら帰り道にケーキを食べる」「会社にしがみつきながら休日にサッカーをする」であるべきだ。

 人生100年時代、今後の不安は大きい。パラレルキャリアなどやっている場合ではない。100年間の生活資金を確保するため、優秀な人間はなるべく技術革新が少なく、保守的な会社に入らねばならない。これからの日本社会の理想の職場は公務員やインフラ企業になるだろう。そして65歳の定年まで少しでも多くの資金を貯め、FIREするのである。夢がないように思えるが、そんなものはウソであることは20歳過ぎれば分かることだ。

 残念ながら25歳を過ぎると一年一年人生は不自由になっていく。できる仕事はどんどん少なくなっていき、立場を失った時のリスクも大きくなっていく。もちろん体力も落ちる。周囲から尊敬されることは少なくなり、友人もどんどん減っていくだろう。

 この点、仕事以外は夢に溢れている。家族は増やす事ができるし、子供が成長すれば未来は広がっていく。新しい仕事に挑戦することは叶わなくても、新しい趣味に挑戦することに制限はない。人生100年時代の真の勝者は仕事から精神的に卒業した人間ではないかという気がする。仕事は家族・趣味・健康といったより価値あるものへの手段であって、それ自体の効用は期待するべきでないだろう。仕事の人間関係などストレスの原因でしか無いと思う。

 仕事の本質は「経済的人工透析」であり、病気の治療に似た性質を持つと考えている。それなら少しでも病苦を減らしたほうがマシだ。人生100年時代の勝ち組は「静かな退職」であり、これをマスターすれば価値ある人生が待っているだろう。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?