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男女のどちらが得をしているだろうか?人類学的に考えてみよう

 「男女のどちらが得をしているか?」
 
昔からよく取り沙汰される疑問である。一般的には女性はマイノリティであり、不利な立場に置かれているとされる。しかしもっと俯瞰的に考えると、女性の方が悲惨な目にあっているとは一概に言えない。一般的に言われる女性のデメリットは実はメリットの裏返しであることが非常に多いからだ。
 今回は男女のどちらが良い人生を送っているか考えてみよう。

男女の違いの起源

 そもそもなぜ男女に差があるのだろうか。性別の違いがどうしてここまで人類の社会的地位に影響を与えているのか。その原因は元を辿れば非常に単純である。
 男女の生殖の身体的コストは大きく違う。精子はタダ同然であり、男性は無限に子供を作る事ができる。モロッコの王様には子供が700人いたという。男性は生殖のキャパシティが無尽蔵なのである。
 一方で女性は全く違う。卵子の維持には非常にエネルギーを使うし、妊娠出産も命がけだ。産める子供の数は一年に一人である。女性の身体的コストは非常に大きく、子宮とは希少資源なのだ。
 となると、需給バランスは不均衡となる。限られた女性のキャパシティに大して大勢の男性が群がるという状態である。女性は選り好みしなければ確実に生殖にありつける。その代わり身体的負担が大きい。
 一方男性にとって生殖とは受験戦争のようなものだ。成功した男性は多くの女性を囲って多くの子供を作ることができるし、失敗した男性は女性から相手にされず消えていく。高学歴・高収入・高身長……男性はハイリスクハイリターンの競争社会を生きている。この単純な違いが数々の性差を生むことになったのである。

表裏一体であるもの

女性は男性に優しくされるが、その代わりに襲われる

 先程述べたように、女性は望みさえすれば確実に生殖にありつける。女性の生殖機能とは大変価値のある希少資源なのである。男性は限られた生殖の座を巡って女性に気に入られようとする。だからこそ出世競争に勝って金持ちになり、高価なプレゼントを送りたがるのだ。
 一方で希少資源だからこそ強奪されるリスクも伴う。女性が性犯罪に合うリスクがそれである。競争に脱落したか、欲張りな男が希少資源を不正に取得しようとするのである。性犯罪のリスクは依然として女性の行動の自由を大きく制限している。男にチヤホヤされることと性犯罪に遭遇する危険性は実は表裏一体だったのである。

男性は力持ち、でも寿命が短い

 男性の有利な点として身体能力の高さがある。男性は競争に勝たねばならないので体格が良い。その恩恵で男性は高いところのものを取ったり重いものを運ぶのが得意だ。フルタイムで働く体力もある。これだけ見ると男性の方が有利に見えるだろう。
 しかし、鬼滅の刃など漫画ではだいたい強い力を手に入れたものは、寿命が短くなるというお約束がある。男性も同様だ。体格が大きい個体は早死しやすいし、男性ホルモンは寿命を短くする。男性は女性よりも4〜6年ほど早死にする。力には代償が伴うのである。

男性の生殖は殺し合い、女性の生殖は命懸け

 男性は生殖にありつくために激しい同性間競争を耐えなければならない。したがって男性は激しい暴力にさらされる。戦争で死ぬのはほとんどが男性だし、酒場の暴力だってそうだ。男性の生殖は血にまみれているのである。
 チンパンジーは乱婚制なのでヒト以上にオスの暴力性が激しいそうだ。男の生き方とはサル山の争いに等しい。

 一方女性は競争から免れる代わりに重い身体的コストを背負っている。妊娠中は酒を飲めないし、出産はとにかく大変だ。アフリカの最貧国では未だに出産一回あたりの死亡率が1〜2%の国がある。子供の数を考えれば近代以前の女性の1割程度が出産で死んでいたことになる。これはバカにならない負担だ。「出産は女の戦場」というのは実に的確な表現なのである。

戦場に行かない男性、出産で死なない女性

 昔は国民皆兵制度なるものがあって、男性はただ男性というだけで強制的に戦争に生かされた。現代日本は平和なので、こういった義務はない。これだけ見ると男性のQOLだけが改善されたように見える。これに相当する女性側の変化はないだろうか。
 挙げるとすれば「出産で死ななくなった」ということだろう。先程寿命の男女差について述べたが、実はアフリカの最貧国や近代以前の国家では寿命の男女差はない。女性がお産で大量死するからである。女性が寿命の長さをメリットとして享受できるようになったのは近代のことなのだ。
 産褥死する女性の数は安定しているが、戦死する男性の数は地域と時代によって極端に異なる。20世紀のドイツでは大量に男性が戦死したが、隣国のスウェーデンでは皆無である。ここにも男性のハイリスクハイリターンの特性が潜んでいるのである。
 現代日本は良いものだ。男性の競争は殺し合いではなくなったし、女性の出産は命懸けではなくなったのだ。

夫は仕事、妻は家事……あるいは仕事

 古典的なジェンダーロールの一つに男は社会で働き女は家庭を守るというものがある。男性は激しい競争社会に生きているので競争を降りるという手段はない。仕事上の競争を放棄したらあっという間に女に愛想をつかされてしまうだろう。
 近代以前の多産社会では、女性はもっぱら家庭の問題に専念するものとされていた。ただし現在は家庭の比重が下がっているので女性も外で働くようになっている。仕事と家庭がどちらが大変かはわからない。だが家庭の負担が下がった分、女性は仕事に打ち込むようになったのである。できる限りの労働力の提供という点ではどちらも本質的に変わらないだろう。夫も妻も可能な範囲内で一生懸命働いているのである。

女性の(男性)社会進出

 女性が社会進出をする際には明らかに不利な思いをしてきた。アファーマティブ・アクションやら男女雇用機会均等法やらに関連する話だ。
 この原因は単純明快である。それは男性社会に後から女性が参画する形になったからだ。
 わかり易い例が大学である。戦前は大学は男性のみで、女性は女子大へ行っていた。ところが男女平等の風潮を受けて女性が大学に入学するようになった。男性が女子大に入ったわけではない。女性の社会進出とは女性の男性社会への進出のことだったのである。
 人間社会は基本的に後から入った人間が不利だ。だから女性が男性社会で働くようになると、無理解な男性中心主義の職場で嫌な思いをする羽目になったのである。

 ただし、一方的に女性が不利とも言えない。女性は男性社会から離脱する選択肢があるからだ。女性は専業主婦など古典的なジェンダーロールの世界で生きることも可能なのである。男性にそんな自由はない。男性は男性社会から抜けたら社会的な居場所を喪失してしまうだろう。

股間にキック

 昔、友人に「女性のメリットってなんだろう?」ときいたら「股間を蹴られても痛くないことだろう」と即答された。たしかにそうかも知れない。男性諸氏にとってあまり想像したくない場面だろう。
 しかし女性が痛い思いをしないかといえばそんなことはない。というか、出産の話で述べたとおり生殖機能に関しては女性の方が痛い思いをしているはずだ。股間を蹴られるリスクなんて些末な話だろう。

女性の方が不利なもの

 私は男女は単純に生殖ゲームのルールが異なるだけで、本質的にどちらが有利不利というものはないと考えている。しかし、近代の人類は生殖のためだけに生きているわけではない。人類が複雑な社会を作り上げる過程で女性だけが不利になったと考えられる項目が存在する。

生殖可能年齢

 女性の生殖にはタイムリミットがある。35歳を過ぎれば妊娠の可能性はぐっと下がる。現代社会は社会の高度化が進んで教育期間が著しく伸びた。職業人として着実にキャリアを積み重ねようとすると一人前になるのは30手前だろう。そうすると女性には結婚や妊娠の時間制限がシビアになる。この点は男性と比べて不利である。 
 もっとも男性も40過ぎると結婚は難しくなるので、あまり悠長に構えないほうが良い。

男系制度

 親戚付き合いの愚痴としてありがちな「夫はダラダラしているのに嫁は料理や家の手伝いをさせられる」といった場面は男系の親族を優先する風習に起因していると思われる。妻の実家に帰省したら居心地が悪いのは夫の方だろう。こういった問題は伝統的な男系親族を優先する制度の名残である。

 近代以前の社会、特に中東など女性の地位が低い地域は男系氏族制度で家族制度が回っていることが多かった。男系の親族が固まって住み、氏族として協力するという構図である。
 これは著しく女性に不利な制度だ。男性同士はみんな親戚なのに、女性は見ず知らずの集団に後から入らなければならないのである。女性同士は親戚でもなんでもないから男系親族のような絆はない。女性は余所者として姑や兄嫁とのギスギスした関係を生き延びねばならないのだ。

 こうした家族制度で女性の地位が低くなるのはもう一つ理由がある。
 長男と次男は血が繋がっているから絆がある。しかし長男の嫁と次男の嫁は血縁がない。もし長男一家と次男一家が利害相反したときに、男性同士よりも女性同士の方が和解のインセンティブは低いだろう。このような家族制度で女性の力が強くなると兄弟間の絆が破壊される恐れがあるのだ。だから女性は家のことに口を出すなという話になる。
 レヴィ・ストロースのような話だが、男系氏族社会の男尊女卑はこういう起源を持っているのではないか。 

放棄できない生殖コスト

 男性は確かに競争に勝たないと生殖にありつけない。しかし生殖を諦めれば男性の競争コストは皆無になる。確かに寿命は短いままだ。ただしその代わり重いものを持っても疲れないし、ここは五分五分だろう。性欲だって現代は無料アダルトビデオがいくらでも転がっている。男性は生殖コストをほぼ完全に放棄できるのである。
 一方女性はどうだろう。出産の負担や子育ての苦労といったコストは放棄可能である。しかし一部のコストは放棄できない。具体的に挙げると生理と婦人科系疾患である。
 生理の問題はおそらく近代化に伴う人体のバグである可能性が高い。現代の女性は栄養状態が良くなっているから生殖可能期間が長い。それでいて子供の数が昔より少なく、授乳期間も短い。そのため近代以前の女性と比べて生理の回数は異常なレベルに達している。これが負担の原因である。
 要するに現代の女性は滅多に使わなくなった身体機能のために毎月のように振り回されているのである。婦人科系疾患の一部も子供を産まないことに起因しているようだ。一部の生殖コストはむしろ増大しているのである。
 男性は生殖を諦めれば競争から逃れられる。しかし女性は生殖を諦めても生理等の問題からは逃れられない。本来同等であるはずの生殖コストも放棄しようとすると男女の非対称性が生まれてくるのである。

よくわからないもの

人間関係

 女子の人間関係はドロドロしているという。これに関する必然性は分からない。男性は競争社会だからギスギスするのはわかる。でも女性の人間関係が面倒な理由は謎だ。男性はチームで団結して遠くの敵と戦うが、女性は身近な人間と争うからかもしれない。チンギスハンと西太后を比べればよく分かる。
 人間関係についてはなんとも評価しにくいところがあるし、考察は棚上げである。
 

トイレの行列

 観光地のパーキングに行くと大体女子トイレに行列ができている。一方で男子トイレはガラガラであることが多い。用を足すという観点では女性は圧倒的に不利である。
 ただ俯瞰的に見るとどうなんだろうか。男性は前述の通り激しい闘争にさらされている。戦争ではきっとトイレが長いと不利だと思う。実際に独ソ戦のルポを呼んでみるとソ連軍の女性兵士はトイレに苦労していたらしい。だから男性の迅速なトイレ事情は戦争に駆り出される負担の裏返しなのかもしれない。
 でも単なる偶然の気もする。わからん。。。



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