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部活が苦手という話

 今回は考察記事というよりも個人のぼやき記事となる。MBTIや発達障害と絡めても良いのだが、そういう問題でもない気がするので、個人的な能力の得意不得意の話に終始しようと思う。今回は筆者の人間考察でどうにも歯切れが悪い、部活の考察である。ここで言う部活はゆるふわ文化部ではなく、それなりにしっかり活動をしている運動部を指すものとする。

 公立の中学校は大抵が部活がハードである。なにしろ教員の過労の原因となるくらいだ。公立高校であってもそれなりに部活はハードのようだ。実際、公立進学校の出身者はそれなりにバランスの取れた体育会系耐性のある人物という感じはある。この背景には部活が非行防止という観点を持っているからだ。

 校風にもよるが、上位進学校はあまりハードな部活文化はない。理由は簡単で、受験勉強が部活の代わりになっているからだ。したがって進学校に校内暴力は起こりにくいし、不良もあまり多くない。

 筆者は部活というものがどうにも飲み込めなかった。なんというか、噛み合わないのである。部活を楽しいとは思わなかったし、頑張ろうという気にもならない。部活人間を見ていても、あんまりモチベーションが理解できなかった。サークルのように純粋に遊びたいという感じではないし、受験勉強のように進学のためという感じでもないし、プロを目指して頑張るという感じでもないのである。筆者が高校時代に所属していた文化部のような、科学五輪を目指して学術系のものごとを極めるという感じでもなかった。

 どうにも体育会系部活人間を観察していると、筆者の価値観の中で欠落していた部分がありありと浮かび上がる気がする。ハードな部活に参加する人間は、どうにも「タスク処理」それ自体に大して効用を感じているようなのである。集団と足並みを揃え、目的を持った人間関係を円滑に回し、目標に向かって努力する。それが部活の本質のようだ。この間合いは会社員に近いと思う。だから体育会系の人間は就職に強いのである。

 筆者は運動系の部活に参加していたこともあるのだが、万年ダメ部員のままだった。センスがなかったし、練習量も不足していたし、楽しいとも思わなかったのだ。筆者がパフォーマンスを発揮できた時は全てプロの指導を受けた時か、自分で自学自習した時である。受験勉強は基本的にこの2つができれば良い。ところが、部活はどちらでもない。周囲に足並みを揃え、集団のペースに付いて行き、スキルを向上させなければならない。自主的なトレーニングや顧問の指導はあるが、一番大事なのは集団についていくことだ。筆者はこのパターンで物事が上達したことがなく、大体は落ちこぼれていった。

 仕事で必要な習得能力は実のところ、部活に近いのではないかと思う。受験勉強への適性が仕事上の習得能力とイコールではない理由の一つだ。もちろん自分で学習したり、研修でプロから教わることは多いだろう。しかし、実務の世界ではそれだけではうまく行かない。「目で盗む」とか「周りを真似する」という要素が不可欠なのである。筆者が仕事ができない理由の一つはこの要素が原因だと思う。会社は学校ではないので、いちいち相手に教える義理はないし、相手の時間を取ってしまうかもしれない。自学自習にも限界がある。むしろ周囲の状況を読んで柔軟に取捨選択することが必要だ。

 自称進学校は「受験は集団戦だ!」などと言うらしい。これは大学受験という文脈では間違っているが、おそらく部活のアナロジーで勉強を進めようとしているのかもしれない。知的好奇心があまり高くない生徒でも、部活となると熱心というケースは多いため、自称進学校ではこういった文化が定着したのかもしれない。

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