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IQが似たような人間で仲良くなる?

 Thomas Redさんのこんな記事を読んだ。

 IQはしばしば頭の良さを表す指標とされているが、実際にこれが何を表しているのかは定かではない。IQはその曖昧さと広汎性ゆえに扱うのが危険な概念でもある。ただ、精神科医が検査で使っているのだから、それなりの妥当性はあるのだろう。

 IQが似たような人が群れるのかは周囲を見ても調べようがない。ただ、婚約者はどうも言語性IQと動作性IQの乖離が激しく、50以上もあるようだ。筆者と得意不得意が似ている辺り、筆者もこのレベルで乖離が激しいのだろう。卓球の審判がなぜかうまくできずに困ったことがある。理系に進まなかったのは実験などで苦労することが目に見えていたからだ。

 筆者は椅子に座って議論している限り、基本的に負けることは無い。教養ではだいたい相手を圧倒しているし、言葉が出てくるスピードがかなり速いからだ。相手の方が正論を言っていても、高速で論点ずらしを繰り返せば時間稼ぎができる。しかし、飲み会などで作業をすると間違いだらけになってしまう。合コンに行くときは一刻も早く座るようにしていた。作業をすると失敗だらけで恥をかくからだ。モテは結構こうした動作能力が鍵だったりする。

 私用の時は良いのだが、社会人になると困った。どうにも上司のコートをさっとハンガーに掛けたり、注文を適宜取ったり、空いたグラスに酒を注いだりと、動作能力を求められることが多いからだ。筆者としては会話だけに集中させてほしいのだが、社会というのはそう甘くないらしい。

 婚約者はこの点、レベルが噛み合って付き合いやすい。ぶんお互い動作性IQがかなり低いのだと思う。初対面から同類であることは分かった。外形的なノロノロした動きと、高速かつ情報量の多い会話の激しいギャップは筆者と同じだ。ラーメン屋の券売機で買い方が分からず筆者が慌てている時、婚約者も横で慌てていたなんてこともあった。一方で誤った知識や論点ずらしは簡単に見抜かれてしまう。「世間ズレ」という言葉を使ったら、即座に「ズレてることではなく、擦れてることだよ」と訂正されてしまった。

 筆者が無意識に実感している言語性IQと動作性IQの感覚が正しいのかはわからない。安易に持ち出していい用語なのかという疑問も湧く。筆者がこれまでこの分野を記事にしなかった理由でもある。ただ、IQと思しきものが似た人間の方が付き合いやすいのは確かだ。筆者から見ると動作性IQの高い人物はJリーガーのように見える。何から何まで早すぎてついていけない。筆者と仲の良い人間もだいたいが言語性IQが高く、動作性IQが低いように見える。

 なお、動作性IQの低い人間にとって会社員は地獄である。言語性IQに見合った場所に行けば仕事ができず、動作性IQに見合った場所に行けば話が合わない。筆者はどこに行っても浮いてしまうのだ。この社会に居場所は無い。会社の邪魔者と言われたこともあるが、妥当だろう。好きで動作が苦手なわけではないが、そんなことは言い訳にならない。自分が学歴を引っ提げているのも、言語性IQで多くの人間を蹴落とした結果なのだ。かつて他人を踏みつけたように、自分も踏みつけられる側に回る。世の中はそうやってできている。

 持て余した言語能力を今日もnoteに吐き出していこう。自分のできることは、それだけだ。

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