学芸大附属の凋落には明確な理由があった

 学芸大附属高校、長年定評のある都内の有名進学校である。学校群制度で都立高校が没落した1970年代に急速に実績を伸ばし、全盛期は東大合格者100人を超える非常に優秀な進学校であった。しかし、その学芸大附属が近年急速に凋落している。2023年の東大合格者数は14人でうち現役は7人のみだ。高校入試の偏差値も2010年頃は開成と同じくらいの水準だったが、現在は早慶附属よりも遥かに下になってしまった。
 学芸大附属に何が起こったのか?その原因は学芸大附属高校の特殊な構造に隠されている。
 
学芸大附属の栄枯盛衰について考えていこうと思う

 
 
学芸大附属は2000年代まで東大合格者ランキングトップ5に入る上位進学校として君臨していたが、それ以降急速に凋落することになる。近年の進学実績を見てみよう。

2004年 93人
2005年 81人
2006年 77人
2007年 72人
2008年 74人
2009年 74人
2010年 54人
2011年 58人
2012年 55人
2013年 68人
2014年 56人
2015年 54人
2016年 57人
2017年 46人
2018年 49人
2019年 44人
2020年 28人(現役16)
2021年 30人(現役16)
2022年 27人(現役13)
2023年 14人 (現役7)

 2010年代から学芸大附属は極めて激しい凋落を見せているのである。
 ここまで激しい凋落を起こした有名進学校は近年では例を見ない。

いじめ事件が原因?

 学芸大附属の凋落のきっかけの原因となった事件として2016年のいじめ報道がある。高校内でセミの抜け殻を舐めさせるといったいじめが発生したことが報道されたことで一気に学芸大附属高校の人気が低下し、凋落が始まったというものだ。現にいじめ報道が行われた直後に入学した2020年卒業生の東大合格者は28人と前年に比べて大幅に減少しており、それ以降も回復していない。
 しかし学芸大附属のいじめ事件は凋落の引き金にはなったが、似たようなトラブルを抱える学校は多く、それだけでかつてのトップ進学校が崩壊したとは考えにくい。あくまできっかけに過ぎなかったのだ。

学芸大附属高校の独特のシステム

学芸大附属高校は典型的な国立附属校である。学芸大附属系列の小学校(世田谷、小金井、竹早、大泉)が四校あり、そこからは附属中学へ無試験で進学できる。(学芸大附属大泉は途中で中高一貫化したのでシステムから外れる)中学からも半分程度生徒を募集する。小学校受験と違ってこちらは本格的な学力試験である。
 普通の国立付属校は高校が併設されていないが、学芸大系列には附属高校が存在し、附属中学の上位半分が高校へ進学できる。この内部進学には熾烈な内部入試を勝ち抜く必要があり、学芸大附属中の生徒は高校受験のための塾に通う生徒がほとんどである。学芸大附属は地方の国立付属校と同じく「小中一貫校」なのだ。

1960年代の都立高全盛期は学芸大附属中学の上位層は日比谷高校を始めとする都立上位校へ外部進学する者が多かった。地方の国立附属中が公立名門校へ大挙して進学するのと同じ構図である。例えば「国家の品格」で有名な数学者の藤原正彦は学芸大附属小金井から都立西高校に進学し東大理一に合格した。外科手術の世界的権威として知られる幕内雅敏は学芸大附属世田谷中から日比谷高校に進学し、その後東大理三に合格した。この時代としては典型的なエリートコースと言える。
 学校群制度の影響で1970年代に都立高が没落すると、学芸大付属中の優秀な生徒が軒並み附属高校への内部進学を行うようになる。同時に外部からも優秀な生徒が進学してくるようになり、おかげで一躍東大進学者数トップ5に必ず入るような上位進学校へと成長を遂げたのだ。

中学受験の不人気〜「中高分断校」というハンデ〜

 学芸大附属高校は地方の国立附属と同様に小中一貫の学校という色彩が強い。中高が完全に分断され高校受験を本格的に行う必要があり、内部進学が保証されていない。したがって中学受験で学芸大附属中に進学するよりも中高一貫校に進んだほうが遥かにメリットが大きい。中高一貫校ならば高校受験をスルーしてのびのびと過ごすなり、大学受験に向けて前倒しのカリキュラムを進めるなりが可能だからだ。そのため中学受験で学芸大附属中は非常に人気がなく、開成や麻布はもちろん海城や早慶附属よりもさらに下の偏差値となっている。
 学芸大附属の進学実績を稼いでいたのは極めて優秀な高校受験組だ。2010頃まで学芸大附属高校の偏差値は高校受験ではトップクラスで、開成に匹敵するレベルであった。しかしその高校入試に大きな変化が訪れたのだ。

高校入試での不人気〜公立進学校の復活〜

 学芸大附属に追い打ちをかけたのが2000年代以降の都立高の復活である。都立高は沈んでいた時期が長いが、石原都政の時代に進学実績に力を入れるようになり瞬く間に復活していった。
 都立の長所は学費の安さや学校ぐるみの進学熱など多々存在するが、特に上位校の間で決め手となっているのは「内部生がいない」という点だ。高校受験で入れる難関校の殆どが中学上がりの内部生がいるのに対し、都立は三年制なので内部生の目を気にせずにのびのび過ごす事ができる。これは公立進学校最大の強みと言える。
 都立が復活するにつれて私立難関校の高校入試は優秀な生徒が集まらなくなり、次々と高校募集を停止し、完全中高一貫校へと切り替えていった。2010年に高校募集を停止した海城は代表例である。2016年のいじめ事件の時期には日比谷を筆頭に都立進学校は昇り龍であり、学芸大附属のすぐ後ろまで虎視眈々と追い抜く機会を伺っていたのだ。
 そして2016年のいじめ事件が最後のトドメとなって学芸大附属と日比谷が逆転したのである。神奈川県トップ公立進学校の横浜翠嵐も日比谷同様のルートをたどり、学芸大附属から一気に生徒を奪う取ることに成功した。
 現在の首都圏高校受験では学芸大附属は日比谷・翠嵐の併願校という位置付けに変わっている。ある意味で学校群制度導入の前の序列に戻りつつあると言えるかもしれない。学芸大附属中学の進学実績を見ていると、外部受験で筑駒開成、更には日比谷に進学している者が目立つ。附属中学の位置づけも変わりつつあるのだろう。

学芸大附属凋落の構造的原因

これらの事情を合わせると、学芸大附属高校の凋落は構造的な原因が大きな理由であることがわかる。学芸大附属は特有のシステムが時代遅れになって中学入試でも高校入試でも不人気になっているのだ。まとめると

高校入試 内部生が存在するので不人気、日比谷・翠嵐を選ぶ方が多い。
中学入試 中高分断校なので不人気、中高一貫校を選ぶ方が多い。優秀な生徒は高校入試で外部流出する。
小学校入試 一部優秀な生徒はいるが、やはり中高の入試で外部流出する。

という状況である。
要するに学芸大附属のシステムは中高一貫校のメリットも高校単独校のメリットも活かせず、悪いとこ取りなのである。

学芸大附属復活の見込みはあるか?

 これまで学芸大附属高校没落の構造的要因について見てきた。では学芸大附属の復活は可能だろうか?結論から言うと難しいと言わざるを得ない。
 内部生問題に関しては教育実験校という存在上、小中を廃止する可能性は全く無い。したがって高校単独校になる可能性は存在しない。
 唯一の方策は中高一貫化だ。中学校から高校への進学を保証するのである。しかしこれも難しい。中高一貫化するためには小学校から中学校への内部進学の枠を狭める必要が出てくる。学芸大附属高校の進学実績のために附属小中の小中一貫制度が激変してしまうのである。
 もちろん生徒数のキャパの問題もある。高校の定員を倍に増やすか中学校の定員を半減させる、あるいは竹早・小金井を廃校にする等の対策をする必要があるが、どれも現実的でない。学芸大附属はあくまで小中一貫校として設計された学校であり、中高一貫校ではないのである。
 要するに附属小学校を持つ学校がトップ進学校になるのは難しいのだ。
雙葉や暁星が東大常連校になりきれないのと似たような構造なのである。







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