北朝鮮・金正恩体制はどうして崩壊しないのか
ここ最近、拉致問題や核問題での進展が無いこともあって、北朝鮮は恐怖の独裁国家というよりも、ネットミームのような扱いとなっている。最高指導者の体重や髪型は日本人にも親しみが深いだろう。北朝鮮は国際的に孤立している上に改革が全く行われていないため、風変わりな国として好奇の対象となっている。
それにしても、北朝鮮は昔から崩壊論が囁かれているのにも関わらず、なかなか崩壊しない。
北朝鮮は世界でも指折りの奇妙な国だ。共産主義国の多くはソ連のように崩壊するか、中国のように改革を進めている。世界で北朝鮮だけは冷戦時代のままだ。経済は大変悲惨な状態であり、繁栄を謳歌する東アジアの中央で極端な貧困地帯となっている。韓国との経済格差は20倍、中国との経済格差ですら10倍に開いている。これは世界でも類例が無い。例えばアメリカとメキシコの格差は3倍である。
北朝鮮は未だにスターリン時代の全体主義体制を続けていおり、東アジアに位置するにも関わらず餓死者が続出している。核問題で繰り返し周辺諸国に緊張をもたらし、韓国とは常に準戦時状態である。しかも世界では前例のない三代世襲が行われている。北朝鮮の金王朝はなんと80年も続いているのだ。独裁者の世襲の難しさを考えると、驚異的な結果である。
しかし、金正恩の統治体制はなぜ崩れないのだろうか。ソ連や東ドイツがあっさり民主化したことを考えると、極貧の北朝鮮はいつ崩壊してもおかしくないはずだった。内部でのクーデターが発生するのではないか?という予想もあったが、現在に至るまで兆候はない。その理由を政治委員をはじめとする軍隊の監視体制に求める意見もあるが、監視する側のやる気がなければ統制は機能しないだろう。民衆を抑圧するにしても、軍隊を監視するにしても、積極的に政権を支える支持者が存在しなければ不可能ではないだろうか。
しかも、トップにいる金正恩は何の実績もない世襲の三代目である。2012年の政権を世襲した時はわずか28歳だ。奇妙な髪型やあまりにも過剰な体重を考えると、正直バランス感覚に優れた人間には見えない。そのような人物の政権が倒れない理由は何か?それは・・・
北朝鮮のエリートが国家を存続させるために現状維持に振り切っているからである。金正恩が政権を維持できるのは、少なくない数の党と軍のエリートが政権に積極的に協力しているからだ。彼らは政権を崩壊させる僅かなリスクであっても許容できない。北朝鮮のエリートは腐敗にまみれながらも、民衆の弾圧を推進し、鎖国体制を維持し、核開発で国際社会を揺さぶっている。
相手の立場に立ってみれば、北朝鮮のエリートの考えることは合理的である。北朝鮮は分断国家という特殊な状況に置かれており、しかもドイツと違って韓国と深刻な緊張状態にある。したがって体制を倒せる唯一の存在である朝鮮人民軍が政権に敵対することはない。政権が倒れれば北朝鮮は韓国に併呑され、朝鮮人民軍は解体されることになるからだ。個別の軍人がクーデターを考えることはあっても、総体としての軍が政権に従順なのはこれが理由である。いや、失業ならまだマシだ。最悪の場合は今までの弾圧政策の責任を追求され、処罰されるかもしれない。怒り狂った民衆に殴り殺される可能性もある。もう何年もの間、北朝鮮のエリートは後に引けなくなっているのだ。
このようなドツボにハマってしまった経緯は北朝鮮という奇妙な国の歴史を振り返る必要があるだろう。
朝鮮半島の分断
1945年8月15日、大日本帝国は崩壊し、朝鮮半島は38年ぶりに日本の支配から解き放たれた。混乱状態に中で進駐してきたのは満州を征服したソ連軍である。アメリカは慌てて朝鮮半島の地図を広げ、38度線を境に朝鮮半島を分断した。ドイツと違って日本は本土をソ連に占領されることがなく、北朝鮮が身代わりとなったわけである。
建国前後の歴史は混乱だらけだった。朝鮮人による独立国家を作ろうという動きはいくつもあったが、それらは冷戦という現実の中で無力だった。朝鮮人の活動家がどのように動いていたとしても、南北分断は起きていただろう。北部では金日成が、南部では李承晩が、それぞれ政権を握り、分断状態が誕生した。
金日成は朝鮮半島北部に衛星国を打ち立てるためにソ連が派遣した謎の男である。一応朝鮮の生まれらしいが、人生の殆どを国外で過ごしていた。満州で抗日ゲリラ運動を行った後、ソ連に亡命し、ソ連当局によって都合の良い人物として白羽の矢が立ったのだ。まだこの時点では金日成は単なる代表者に過ぎず、後のような強大な権力はまだなかった。北朝鮮ではソ連派や国内派のような別の勢力の方が主導権を握っていた。
建国当初の南北朝鮮は深刻な分断状態にはなかった。北朝鮮から地主やキリスト教徒は一斉に脱出し、南に逃れていった。この時代の北朝鮮はソ連の指導下にあり、ポーランドや東ドイツとそこまで変わることはなかった。
北朝鮮の歴史が大きく変わるのは朝鮮戦争である。1950年6月25日に北朝鮮軍は突如として奇襲攻撃をかけ、3日でソウルを陥落させ、釜山以外の韓国全土を征服した。しかし、そこにマッカーサー率いる米軍が到着し、今度は中朝国境まで追い詰められた。今度は中国軍が介入し、米中の直接戦闘の結果、38度線付近で膠着状態に陥った。戦争は完全な引き分けであり、あんまり国境は変わらなかったことになる。
オーウェル的国家の完成
朝鮮戦争によって北朝鮮は建国当初とは全く違う国になった。戦争で北朝鮮は人口の10%〜15%を失い、米軍の猛攻撃は国民的なトラウマとなった。南北朝鮮は決定的に分断され、相互の和解と交流は不可能になった。戦争によって金日成のカリスマ性は一気に上昇し、絶対的な指導者となっていった。戦争が終わるやいなや、ソ連派をはじめとする朝鮮労働党内のライバルは次々と排除されていき、金日成個人独裁体制が確立された。大量動員戦争とその後の緊張状態によって、北朝鮮の全体主義体制はソ連を上回る水準となり、史上最も全体主義的な国家が完成した。
北朝鮮の体制の類例のない特徴は朝鮮戦争による影響が大きい。東ドイツやハンガリーなど、他にも共産主義国家は存在したが、これらの国は朝鮮戦争のように深刻な戦争を経験していない。北ベトナムは国家総力戦を戦ったが、1975年に南を滅ぼしており、軍事的脅威は消滅した。北朝鮮は国家総力戦が何年も続いているような状態であり、結果として国内の統制の厳しさも他の共産主義国を上回ることになった。元の緊張感が違うのである。
もう一つ、北朝鮮の全体主義化を促進したのが孤立主義だ。北朝鮮は民族主義的な傾向が強く、大国の言うことを聞かないことにプライドを持っていた。韓国が米軍の駐留を受け入れたのに対し、北朝鮮は中国軍を撤退させている。これは冷戦時代にいくつかの政治的脅威が存在したことも影響している。スターリン批判は北朝鮮にとって激震で、金日成独裁体制を揺るがす危険性があった。1956年にスターリン批判を受けて金日成の反対派が反旗を翻すという事件もあった。中国で発生した文化大革命に関しても同様に危険視された。こうした事情により、北朝鮮は1960年代に入ると、同じ共産圏の国に対しても閉鎖的な態度を取ることになった。ソ連や東欧諸国の体制は北朝鮮の基準からするとあまりにも「自由すぎる」からだ。
こうして1960年代に入ると金日成に対する個人崇拝が完成し、北朝鮮はスターリン時代のソ連を上回る史上最高の全体主義国家となった。国外の情報はシャットアウトされ、国民は身分制度の下で相互監視状態に置かれることになった。こうして史上最もオーウェル的な国家が誕生したわけである。
危機の時代
そんな北朝鮮の政権だが、1980年代に入ると深刻な危機に陥る。宿敵の韓国が驚異的な経済成長を遂げ、北朝鮮よりも遥かに豊かになってしまったのだ。もはや赤化統一どころではない。北朝鮮は韓国に滅ぼされないように、なんとかして体制を守ろうと戦い始めた。
1950年代、北朝鮮の政権は民衆の支持をそれなりに受けていた。北朝鮮の国力は韓国を上回っており、朝鮮戦争においても常に北のほうが士気も能力も上だった。しかし、1980年代に入ると、北朝鮮の方が実は劣っていたことが明らかになってしまった。共産圏はどこも計画経済によって貧しくなったが、北朝鮮の共産主義体制は特に厳しかったため、経済の停滞も激しかった。北朝鮮の莫大な軍事費や孤立主義政策も事態を悪化させた。
東欧諸国の国民は西側の豊かさによって影響され、政権に信頼を置かなくなった。いつしか共産党員ですら西側の豊かさに魅了され、自ら政権を運営する自信を失ってしまった。これが共産主義国の崩壊の原因である。北朝鮮の政権は東ドイツよりも厳しい立場に置かれていたため、韓国の影響をできる限りシャットアウトしようとした。こうして北朝鮮の鎖国体制と情報統制は強化された。
同時期、中国とベトナムは改革開放政策によって急成長を見せていた。北朝鮮はこれらの国のやり方を真似ることもできたはずである。しかし、北朝鮮はこれらの国のアドバイスには耳を貸さなかった。なぜなら、北朝鮮の置かれていた地政学的立場は中国やベトナムよりも遥かに深刻だったからである。中国は台湾と分断国家の関係にあったが、台湾はあまりにも小さく、海も挟んでいるため、ほとんど脅威にならなかった。ベトナムは戦争に勝利して南部を併呑しているため、同様に脅威が存在しなかった。北朝鮮の場合は目と鼻の先に韓国が存在しているため、中国よりも東ドイツに近い状態だと判断した。改革開放政策はペレストロイカの二の舞いになると判断したのだ。
1990年代に入ると、北朝鮮は風前の灯になった。後ろ盾のソ連が崩壊したのである。ソ連崩壊は共産圏の終わりを意味しており、北朝鮮もいつ崩壊してもおかしくないと思われた。その上、対外援助が停止したことで国内の経済が崩壊し、大量の餓死者が発生した。1994年の金日成の死去もまた、政権の求心力を疑わせた。
しかし、北朝鮮は餓死者が出るのも構わず、政権の維持に注力した。韓国との対立状態により、後に引けなくなっていたからだ。国内での弾圧も過酷を極めていた。北朝鮮のエリートは政権が崩壊したら特権を失うどころか殺されると考えたため、苦しくても政権を見放すことはなかった。東ドイツのエリートが簡単に西側に迎合したのとは大違いだ。朝鮮戦争の緊張と、スターリン主義体制の弾圧がもたらした違いである。
この絶体絶命の危機を受け、金正日が思いついた奇策が核開発である。北朝鮮にとって核兵器は安全保障の頼みの綱であるだけでなく、対外援助を脅し取るための手段でもあった。わざと見せつけるように核開発を行い、周辺諸国を揺さぶることによって、援助を勝ち取るのである。炎上系ユーチューバーのようなやり方だが、結果として金正日の賭けは正しかったことになる。
現在の北朝鮮
現在の北朝鮮は1990年代の状態からあまり変わっていない。金正日が死去してもなお、政権の基本的性質はほとんどが維持されているだろう。北朝鮮は崩壊を避けられたが、改革も進めていない。結果として北朝鮮は最貧国のままだ。それでも北朝鮮のエリートは改革開放で政権が崩壊するくらいなら、貧しくても現状維持で良いと考えていると思われる。北朝鮮は経済的繁栄を犠牲にして、政権の存続に振り切っているのである。
北朝鮮のエリートが南北統一でどのような立場に置かれるか考えてみれば良い。朝鮮人民軍は南北統一の結果として解体されることになる。再雇用するにしても、人数が多すぎて不可能だ。それに敵国の軍隊に吸収されて嬉しい軍人はいないだろう。文民のエリートであればもう少しマシな立場かもしれないが、何十年にも渡る過酷な弾圧政策の責任を取らされるかもしれない。北朝鮮の秘密警察の協力者は何十万人にも上る。彼らは一体どうなるのか。それに韓国に併合された場合はソ連のように文民のエリートがコネを生かして大儲けするという可能性は考えにくい。物質的な生活水準は上がるかもしれないが、名誉や権力を失う可能性に耐えられるだろうか。
アラブの春のように庶民が蜂起する可能性も無い。なぜなら北朝鮮の弾圧体制はこれらの国よりも遥かに厳しいからだ。スターリン時代のソ連や毛沢東時代の中国は国内で大量の餓死者を出していたが、政権は揺るがなかった。普通は厳しい弾圧体制を続けると弊害が大きいのでソフト化するのだが、北朝鮮は自国が存亡の危機にあると分かっているので、なりふり構わず厳しい弾圧政策を続けている。
こうした超保守的な政権の性質により、金正恩は労せず権力を握っている。金正日が後継者になるためには数十年に渡ってプロパガンダ部門で実績を上げ、党の長老たちの信頼を勝ち取らなければならなかった。長老が病床に伏す度に金正日は花束を持参してお見舞いに行き、長老は「しっかりした後継者が育ったので安心して死ねる」と言ったという。どこまで本当かは分からないが、全くのウソとも思えない。ところが、金正恩が後継者として浮上したのは継承の2年前であり、金正恩にそれ以前の功績らしきものは全く見られない。どう考えても金正日のような苦労をしているようには思えないのだ。金正恩が政権を維持できるのは、北朝鮮のエリートが僅かな波風を立てることすら嫌っているからとしか思えない。北朝鮮は長い間個人独裁が続いているため、世襲以外の方法で後継者を見つけるのは簡単ではない。指導者の交代でエリートの間の団結が破壊されるケースは非常に多い。多少髪型はおかしくても、息子を今まで通りに立てておけば間違いないだろうと考えるのはもっともである。
プロパガンダの上でも幹部の誰かが最高指導者になるよりも、国民に対するアピール力は高いだろう。社会主義国なのに世襲はおかしいと考えるのは西側の人間である。北朝鮮は事実上の身分性が敷かれているため、世襲がおかしいという発想にはならないはずだ。第一、党幹部の多くが世襲だ。例えば政権No.2の崔竜海は金日成のゲリラ時代からの盟友である崔賢国防相の子供である。金正恩と同様に明らかに政権の存続が生命線になる側の人間であり、金正恩を排除しても何一つ得することはない。仮に反抗した人間がいたとしても、その流れがエリート全体に広がるとは考えにくい。
未来の北朝鮮
そんな北朝鮮も変わる時が来るかもしれない。2024年になって重要な変化があった。北朝鮮が統一を放棄したのである。これまで南朝鮮と呼んでいた地域を「大韓民国」と呼ぶようになり、統一の相手から倒すべき宿敵と位置づけた。もはや北と南は別の国ということだ。南においても統一への希望は薄れている。南北朝鮮が統一されていた時代を知る人間は死に絶えており、社会の殆どは分断の時代しか知らない。統一への機運はもはや惰性でしか無いだろう。
南北が別の国という認識が強まれば、北朝鮮は分断国家から普通の国になることになる。となると、エリートの懸念材料は減少するだろう。政権が崩壊しても、北朝鮮という国が存続する可能性は高くなるからだ。朝鮮戦争の準戦時状態が和らげば、これまで北朝鮮の体制を支えていた緊張感が薄らぎ、その分政権はソフト化するだろう。知らぬ間に北朝鮮の体制は緩んでいき、いつか些細なきっかけで一斉に方向転換するかもしれない。エリートがこの奇妙な体制を支えるための士気を失い、金正恩(その頃には病死しているかもしれないが)を見放すのである。
ただし、地政学的な状況は北朝鮮崩壊を許さないだろう。北朝鮮は米中対立の真っ只中にある緩衝地帯であり、この地域で余計な騒ぎが起こるのは周辺諸国にとって好ましいことではない。それに難民の発生も懸念される。北朝鮮の一人当たりGDPはサハラ砂漠以南のアフリカ諸国と同程度であり、彼らがソウルや中朝国境地帯に流入したら深刻な社会不安を引き起こすだろう。
北朝鮮の崩壊は東アジアに激震をもたらす。北朝鮮の地政学的問題はむしろ高まる可能性が高い。金王朝崩壊後の北朝鮮は周辺諸国の綱引きの場となり、大きすぎる経済格差は差別と暴動の温床になるだろう。北朝鮮の庶民は踏んだり蹴ったりだ。
まとめ
今回も長くなってしまったが。金正恩があの状態でありながら権力を維持できる理由はたった一つだ。それは北朝鮮のエリートが体制存続のためにリスクを取りたくないからである。北朝鮮の政情不安は国家の崩壊を招く可能性が高く、そうなれば朝鮮人民軍は解体されるだろう。クーデターを起こしてやろうという勢力がいないのである。
北朝鮮は分断国家である上に、韓国と戦争状態にある。したがって体制存続への緊張感が他の共産主義国とは違う。東ドイツのエリートは西ドイツを恐れていなかったし、中国共産党は小さい台湾を脅威とは思っていない。北朝鮮はどの共産主義国よりも失うものが大きいため、かなり過激な道を歩むことになった。北朝鮮は朝鮮戦争をきっかけに共産圏でも例を見ない全体主義体制を確立し、現在に至るまで異常な個人崇拝が続いている。ソ連も中国も個人崇拝が続いたのはせいぜい20年だったので、北朝鮮は本当に特異である。犯罪者が犯行を発覚を避けるために新たな犯罪を犯すように、北朝鮮はどの段階でも自由化に背を向けるような選択肢を選んできたため、もはや後に引けないような状態になっている。
近い将来に北朝鮮が崩壊することはないだろう。エリートは政権の存続を願っているし、庶民は弾圧と鎖国政策によって反政府デモを起こせる状態にはない。外国の介入も考えにくい。北朝鮮の崩壊は深刻な問題を引き起こすからだ。金正恩が肥満等の理由で死亡した場合もエリートはどうにかして後継者を推挙するだろう。体制が徐々に緩んでいくことは間違いないが、崩壊まで至るのはまだ何年も先の話だろう。こうして冷戦時代とポスト冷戦時代を生き延びた北朝鮮は次なる時代も風変わりな国家として好奇の目にさらされていくに違いない。
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