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さようならアルメニア〜地政学的に詰んだ国の悲劇〜

 昨日のニュースによれば、ナゴルノ・カラバフ共和国が完全に降伏し、住民が次々とアルメニアに逃亡しているらしい。これによりコーカサスの未承認国家は30年の歴史に幕を閉じることになった。旧共産圏では1995年のクロアチア内戦以来の大規模な民族浄化だ。軍事力による領土問題の解決が慣れれるのは衝撃的だろう。

 ナゴルノ・カラバフって何?と思った読者も多いかもしれない。ナゴルノ・カラバフはソ連崩壊語に法的にアゼルバイジャンの一部とされていたが、民族的理由で事実上アルメニアの一部となっていた地域だ。

赤色の地域がナゴルノ・カラバフ
実質的にアルメニアの一部として統治がなされていた。

ナゴルノ・カラバフ問題の発生

ナゴルノ・カラバフ問題は1980年代の終わりに遡る。元々アルメニア人とアゼルバイジャン人は非常に仲が悪く、ロシア革命の際にも殺し合いを続けていた。ソ連時代は共産党の強大な権力で抑え込まれていたが、1980年代の終わりにソ連が崩壊し始めると両者の争いは再び再燃した。

 1988年頃から両者の間で暴動が発生し、ソ連崩壊にかけてどんどんエスカレートしていった。特に争点になったのはナゴルノ・カラバフ自治州だ。この州はアゼルバイジャン共和国の領土とされていたが、住民構成はアルメニア人がほとんどだった。ソ連崩壊の直前にアルメニアはナゴルノ・カラバフのアルメニアへの移管を主張したが、ゴルバチョフは境界線の変更が他の地域の紛争に飛び火することを恐れて却下した。この原則はソ連崩壊後も続いている。

 ソ連崩壊の前夜になると、両者の間では数千人規模の虐殺が横行し、もはや開戦は時間の問題となっていた。1993年までの間に両国の全面戦争で数万人が死亡し、ナゴルノ・カラバフは事実上アルメニアの支配地域となった。国際的な建前ではアゼルバイジャン領土だが、実質的にはアルメニア領土という状態が続いたのである。

コーカサスの地政学

 コーカサスの地政学は複雑極まりない。地域では古来から残る多数の民族がひしめいており、お互いの関係は険悪だ。バルカン半島よりもさらに根が深いと考えて良い。

アルツァフとはナゴルノ・カラバフの別名である。

 アルメニアの南西にはナヒチュバンと呼ばれる地域がある。ここは実はアゼルバイジャン領だ。民族構成の結果、ここだけがアゼルバイジャンの飛び地となっている。アルメニアとアゼルバイジャンは相互に嫌悪しながらも絡み合って解きほぐせない状態なのだ。

 アルメニアは地政学的に周囲を敵国に包囲された状態にある。西に位置するトルコとは第一次世界大戦のアルメニア人虐殺以来深刻な対立状態にある。アルメニア人の居住地域は昔はさらに西に伸びていたのだが、オスマン領内のアルメニア人は絶滅させられた。現在もトルコはこの事件に関する謝罪を拒否している。しかもトルコとアゼルバイジャンは民族的に極めて近く、強い友好関係にある。

 北のジョージアとの関係もそこまで良くない。両者は歴史的にライバル関係にあり、しかもジョージアは旧ソ連きっての反露国家だ。2008年にはロシアと戦争までしている。したがってロシアへの依存度が強いアルメニアとは相容れない存在となる。

 アルメニアは人口が300万人と少なく、しかも経済的に脆弱だ。周囲を敵に包囲されたアルメニアにとって助けになるのはロシア以外に存在しない。ロシアはアルメニアに軍を駐屯させ。トルコとアゼルバイジャンの同盟ににらみを効かせている。

 しかし、ロシアがアルメニアを防衛するのは容易ではない。ロシアとアルメニアの間にはジョージアが立ちはだかっているからだ。ロシアからアルメニアに陸路で連結するにはイランから回り込んでアルメニア南部の細い回廊地帯を進むしかない。ただしイラン北部には大量のアゼリ人が居住うしており、イランがこの紛争に進んで関与することはないだろう。アルメニアは地政学的に「詰み」の状態に近いのだ。

状況の変化

 ロシアが元気な間はこの状態で現状が維持された。しかし、2010年代の終わり頃から雲行きが怪しくなる。

 理由の1つ目はアルメニアの内政だ。アルメニアは開発の遅れた国であり、一人あたりのGDPはフィリピンと同レベルだ。したがって、アルメニアの民主主義は大したものではなく、途上国にありがちな恩顧主義的な寡頭政治となる。この国では独立以来20年もの間ナゴルノ・カラバフ出身者が政界を牛耳っていた。

 アルメニアは地政学的に選択の余地がないため、ウクライナのような東西対立は不可能だ。したがって野党の抗議活動も既得権益層への反感以外のお題目はない。2018年についに抗議活動が頂点に達し、怪しげな手段で任期を延長しようとしていたサルキシャンが追放され、現在のパシニャン首相が新たな権力者となった。当時のアルメニアの世論は腐敗した親露既得権益層への反感から親欧米路線への転換を歓迎するムードだった。自分たちの置かれている立場を甘く見ていたとしか思えない。

 2020年に第二次ナゴルノ・カラバフ戦争が勃発するとアルメニアは壊滅的な敗北を喫し、ナゴルノ・カラバフの半分を失った。ロシアとの関係がギクシャクしていたため、弱みを突かれたのだ。パシニャン政権はかつての日本の民主党政権に近い扱いになるかもしれない。 
 
 もう一つの理由は勢力均衡の変化だ。1990年代はロシアは混乱状態とは言え世界大国であり、トルコはまだ貧しい途上国だった。したがって、アルメニアとアゼルバイジャンのパトロンには力の差が大きかった。しかし、この30年でトルコの国力は飛躍的に強化され、現在では侮れない地域大国となっている。アゼルバイジャンの軍事力強化もトルコの支援による面が強い。一方のロシアは弱体化が進み、ウクライナ戦争以降はほとんど動けなくなった。

ロシアとトルコの国力差は少しづつ縮まっている

 ロシアとトルコの力関係が変化したことにより、アルメニアは窮地に陥った。ロシアはウクライナ問題でトルコの仲介を頼りにしているため、トルコとの関係を悪化させられない。こうした弱みに漬け込んでアゼルバイジャンはナゴルノ・カラバフへの再度の軍事侵攻に踏み切った。もはや完全にロシアは舐められているようだ。

アルメニアの命運

 地域の勢力均衡はロシアからトルコへシフトしており、この動きをアルメニアはどうすることもできない。周囲を敵に包囲されており、助けてくれる大国はない。ロシアはウクライナ戦争で著しく弱体化している。欧米には多数のアルメニアロビーがおり、ナゴルノ・カラバフの地位が高かったのはこれが原因なのだが、トルコとの関係を切ってまで介入してくれる国はない。

 宿敵のトルコは地域で我が物顔であり、アゼルバイジャンとの連携を強めている。アルメニアは同胞の半分を殺害した犯人に再び追い詰められようとしている。

 最近のアルメニアは西側を頼ろうとしている。西側にはアルメニアロビーが多く、伝統的にアルメニアに好意的だった。しかし、それが具体的な行動に反映されることは少ない。アルメニア人虐殺のときも西側は何もしてくれなかったし、今回の戦争もそうだ。

 今後のアルメニアはドイツとロシアの取引の「供物」とされる可能性が高い。トルコが西側と敵対状態になるのか、友好関係を続けるのかは分からないが、いずれにせよアルメニアの将来は暗いだろう。

今後のアゼルバイジャン

 一方のアゼルバイジャンはどうだろうか。この国は元々1960年代の終わりからアリエフ一族の支配下にあり、1990年代の時点で既に占有物のようになっていた。今回の勝利でアリエフ一族の政権基盤はさらに盤石になることは間違いない。

 アゼルバイジャンの人口はアルメニアの3倍で、その上石油収入に恵まれている。両国の国力差はもはや10倍近いだろう。トルコとアゼルバイジャンが陸路で接続すれば両国の成長はさらに加速するかもしれない。

アゼルバイジャンとアルメニアの人口差は開く一方だ。

 アゼルバイジャンはこれまで慎重にロシアとの有効関係を維持してきたが、もはやロシアは用済みになるだろう。アゼルバイジャンは旧ソ連の反露諸国であるウクライナ・モルドバ・ジョージアとGUAMという連合を組んだこともあり、そこまで親露的な国ではない。しかもGUAMはトルコがオブザーバーとなっていた。アルメニアの屈服により、アゼルバイジャンのロシア離れは加速するだろう。

 アルメニアが屈服すればトルコはアルメニアを通り抜けて直接アゼルバイジャンと接続できるようになるだろう。これまで空路しか手段がなかったナヒチュバンとアゼルバイジャン本土も行き来が容易になる。トルコはロシアの弱体化に乗じてさらに勢力を増強し、中央アジアにまで至るだろう。中央アジアは民族的にトルコに近く、ロシアの弱さを知ればトルコを頼るようになる。アゼルバイジャンは両者の重要な連結点となる。こうなると、もはやオスマン帝国の復活だ。

未承認国家はつらいよ

 現在の国際社会には「国境線を変更してはいけない」という原則がある。侵略戦争が繰り返された過去の反省に基づいたルールだ。これにより、多くの主権国家は時刻の存在が脅かされること無く暮らすことができる。

 しかし、ここで問題となったのは民族問題だ。民族境界と国境線が一致していない場合はどうするのか。こうして多くの国で民族紛争が勃発し、多くの血が流された。分離独立運動と未承認国家は一番よくあるパターンだ。

 少数民族が事実上の分離独立を成し遂げたとしよう。しかし、こうした未承認国家は困難な道を辿る。国際的な承認が得られないため、貿易や投資といった経済活動に著しい制限がかかる。それに、「国家」とはみなされないため、国際的な保護も得られない。親国家が未承認国家に軍事侵攻しても文句を言われることはない。自治権を廃止しようが言語を禁止しようがやりたい放題だ。国際社会は和平に乗り出すこともあるが、国境線を変更できないというルールがある以上、双方が嫌がる強引な連邦化を進めることが多い。

 国境の不可侵という原則は従来型の戦争の減少をもたらしたが、一方で新たな問題を生み出した。それは未承認国家と破綻国家だ。現在の国際社会は自力生存能力のない国家でも存続することが可能だ。国家が崩壊しても国境という「いけす」は残っているので、様々な勢力が戦国時代のように争いを繰り広げる国がある。

 例えばソマリアがそうだ。この国は国境線の不可侵という国際社会の建前のみで存在している国だ。本来だったらとっくに滅ぼされているだろう。北部のソマリランドは事実上の独立状態にあり、平和で民主的な「国」だ。しかし、国際社会はソマリランドの独立を認めないし、無理やりソマリアに押し戻そうとする。ソマリランドは国際社会の建前のせいで無政府状態のソマリアから抜けられない。なんとも悲劇的である。


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