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<地政学>投資詐欺の国?ナイジェリアの将来性は過大評価されている

 またまた地政学シリーズである。今回はリクエストのあったナイジェリアについて書きたいと思う。

 その昔、ナイジェリアの手紙という有名な投資詐欺のスキームがあった。政府高官を装って先進国の人間から金銭をだまし取るのである。現在のナイジェリアはしばしばアフリカの新興国として成長が期待されている。しかし、筆者の見解によれば、ナイジェリアという国の将来性にはかなり疑問符が付き、期待外れになる公算が大きい。結局ありがちな途上国投資バブルの一つではないかと思う。今回はナイジェリアという国の実情を考察してみよう。

アフリカ最大の人口大国

 ナイジェリアはアフリカ最大の人口大国として知られる。なんと人口は2.2億人にも達しているようだ。日本の倍近い。しかも増加ペースは凄まじいものがある。筆者が子供のころはまだナイジェリアの人口は日本の人口よりも少なかったはずだ。ナイジェリアはアフリカの国の中でも突出して人口は多い。ナイジェリアに次ぐアフリカの国はエチオピア・コンゴ民主共和国・エジプト辺りだが、いずれも人口は一億人程度である。

 ナイジェリアはニジェール川の河口部に位置し、アフリカの中では比較的大人口を養いやすい地域にある。ナイジェリアという国名はニジェール川に因んでいる。というか、ニジェールとナイジェリアは同じ意味である。前者がフランス語、後者が英語というだけだ。ナイジェリア人は英語で「nigerian」であり、ニジェール人は英語で「nigerien」だそうだ。なんとも紛らわしい。2つのコンゴ国家と同様のパターンである。アフリカの文化の弱さと命名法の適当さがよく分かる。

 ナイジェリアの地に存在した有名な国家としてベニン王国がある。奴隷貿易で名を馳せた国である。ただし、ベニン王国をフランス語読みしたベナン共和国はナイジェリアの隣の国であり、位置がずれている。勝手に便乗したネーミングらしい。あまりにも適当すぎないか。ガーナも実はガーナ王国との繋がりがなかったり、アフリカの国名は本当に場当たり的だ。

 このようないい加減な国名はアフリカの国家が列強によって適当に創られた国であることに由来する。アフリカは未発達であり、ベニン王国のような大国であってもユーラシアの文明圏からは大きく遅れた状態にあった。ナイジェリアの地域にも無数の部族が割拠し、特定の部族のネーミングを国名にするわけにも行かなかった。アフリカがあれほど多くの民族を抱えるにも関わらず、公用語が英語やフランス語なのは一つは部族間の公平を図るという理由がある。裏を返せばアフリカにほとんど国民国家が存在していないということでもある。

 ナイジェリアはギニア湾沿岸地域のうち、イギリスの植民地だった地域がまとめて戦後に独立国家になったものである。特定の民族を基盤としているわけでもなければ、特定の英雄が地域を統一した訳でもない。国際社会によって勝手に引かれた「民族のいけす」というのが実情であろう。ナイジェリアは北部にイスラム教徒が、南部にキリスト教徒が住み、ヨルバ族・ハウサ族・イボ族の三大民族とその他の無数の少数民族が割拠している。民族的にも歴史的にも共通点はほとんど無い。

 ナイジェリアはしばしばアフリカの巨人として有望な新興国とされる。しかし、筆者はこの手の言説に懐疑的である。どうにも人口の大きい途上国は何でも有望な新興国にされるきらいがあるからだ。昔NEXT11というBRICSに続く投資銘柄があったのだが、単純に人口一億前後の発展途上国を突っ込んだだけだった。韓国・エジプト・パキスタン・ナイジェリア・フィリピン辺りの国の発展状況は異なっているし、文化的にも政治的にもほとんど共通点はないだろう。

 人口が多いことと経済水準の上昇が見込めることは全く別問題のハズだが、なぜか途上国投資の文脈では混同される傾向がある。中国の方が日本よりも豊かな国と考える人すらいるようだ。量と質を混同しているのではないか。ナイジェリアに対する良くわからない期待も、定期的に湧く新興国バブルの一環だろう。

資源の罠

 結論から言おう。ナイジェリアは典型的なアフリカ国家であり、今後数十年のうちに大国としての振る舞いが期待できる国ではない。アフリカの他の国に比べてもナイジェリアの期待度は低い。この国が新興国として過大評価をされるのは、人口と資源という(特に日本人にとって)見栄えの良い2つの要素を持っているからだ。しかし、人口増加や石油収入によって真に国を発展させることはできない。むしろこの2つの良くない点が現れているのがナイジェリアという国である。ナイジェリアという国を持ち上げているのはビジネスの世界の人間が多く、学術の世界の人間は否定的であることがほとんどだ。

 ナイジェリアはアフリカ有数の産油国だ。ギニア湾はアフリカの巨大油田地帯であり、赤道ギニアやガボンと言った国も石油収入によって暮らし向きは良い。ナイジェリアの一人当たりGDPはアフリカの国の中ではやや高く、お陰でナイジェリアは最貧国の指定を免れている。これもナイジェリアに期待が寄せられる要因である。

 しかし、石油は臨時収入にはなるかもしれないが、これによって国を発展させることはできない。なぜなら石油収入は産業を創らないからだ。宝くじに当たっても労働者としてのスキルが上がるわけではないのと同じである。石油を元手にインフラを建設できるという考え方もあるが、労働意欲の低下と通貨高で相殺されてしまう。石油収入は国家のGDPに上方バイアスを与えるだけで、国家基盤を成長させるわけではない。

 石油収入と経済成長に関してはプラスでもマイナスでもなく、無関係であるというのが筆者の見解である。例えば似たような文化を持つ隣国同士を比較してみよう。北欧諸国は似たような文化的背景を持ち、教育水準や政治体制のクリーンさはほぼ同じである。しかし、一人当たりGDPは石油収入のお陰でノルウェーが突出して高い。コーカサス三国もまた似たような社会的な開発水準だが、産油国のアゼルバイジャンだけが一人当たりGDPが突出して高い。

 これは世界各国の乳児死亡率のリストである。ナイジェリアは驚くべきことにソマリアに次いで二番目に悪い。その他の指標を取ってもナイジェリアのパフォーマンスは最貧国並みだ。平均寿命はワースト2位、妊産婦死亡率はワースト3位である。この国の社会インフラの水準はアフリカの中でも最底辺ということになる。石油収入で儲かっていても、そのマネーは国民には還元されていない。というわけで、ナイジェリアという国の実情は石油収入で覆い隠されているだけで、周囲のアフリカ諸国と何ら変わらない最貧国ということになる。

 筆者は国家の政治や社会を規定する最も重要な指標は経済水準であると主張してきた。人種や宗教よりもどう見ても影響力が大きいだろう。ところが産油国に関しては扱いが特殊になってくる。マネーは流入しているのに、政治や社会は発展途上国のままという状況があり得るからである。これは先進国と富裕国がイコールではないことの理由でもある。産油国のGDPは上方バイアスが掛かっており、その国の産業の発展性を表す指標としては使いにくくなっている。ナイジェリアの本当の経済水準は一人当たりGDPによって示されるものとは食い違っているのだろう。

 もちろん貧しいからといって発展性が無いというわけではない。しかし、ナイジェリアは成長率に関してもお粗末な結果しか残していないようだ。

 ベトナムやインドといった他の新興国に比べるとナイジェリアは停滞している。サハラ砂漠以南のアフリカ諸国を捉えて離さない停滞状況がナイジェリアにも起こっているのだ。ナイジェリアの経済成長はほぼ石油価格の影響といっても過言ではなく、他の産業が成長していると認定する根拠はどこにもない。ナイジェリアの政治は石油収入をどのように分配するかに力点が置かれており、もはや産業の育成には興味が向かっていないのだ。一応頑張った時期もあるのだが、失敗している。

人口増加の罠

 ナイジェリアを特徴付けるもう一つの要素、人口増加についてはどうだろうか。日本は少子化問題が深刻化しているため、何につけても人口増加を肯定するきらいがある。しかし、それは日本がインフラと教育が高度に行き届いた先進工業国だからだ。ナイジェリアとはあまりにも状況が違う。もしアフリカの最貧国から日本に年間300万人の難民が押し寄せたとして、日本の社会経済問題は解消するだろうか?おそらく、そうはならない可能性が高い。

 この200年、世界の人口動態は大きく変化してきた。19世紀に活発に人口増加が起きていたのはイギリスやドイツといった先進国で、余った人口はアメリカに移住していた。20世紀になると先進国は少子化が始まり、途上国では人口爆発が発生した。21世紀になると先進国のみならず、途上国にも少子化の波が押し寄せている。

 ところが、この期間に全く変わらなかったのが先進国と途上国の圧倒的な格差だ。人口が減ろうが増えようが、先進国は先進国で、途上国は途上国だったのだ。となると、人口ボーナスと経済水準は無関係なのではないかという疑念がよぎる。というより、この期間に経済水準を一気に上昇させた韓国や台湾は急速な少子化に見舞われている。

 一つの理由は経済水準と教育に密接な関係があるからである。ここに関する議論は長くなるので省略するが、教育水準の高い国はその分労働者が優秀なので経済水準は高い。高いのは労働者のスキルだけではない。政治はクリーンで、治安も良いので、経済はますます発展する。出生率の低い国はその分教育に力を入れられるので、急速な経済成長を起こすことができる。

 これは世界の特殊合計出生率である。ナイジェリアの出生率はかなり高く、典型的なアフリカ国家であると言えるだろう。ナイジェリアの出生率の高さはこの国がまだまだ成長段階に達していないことを示している。インドやベトナムが一気に出生率が低下したのとは対照的だ。実のところ、ナイジェリアの出生率はアフリカの中でも特に高い。ナイジェリアよりも上位なのはソマリアやニジェールだけだ。先程の乳児死亡率のデータとも整合性が取れる。ナイジェリアはアフリカの中でも特に開発が遅れた脆弱国家ということになる。

 ナイジェリアの人口はこれからも凄まじい勢いで増え続ける。それに対して経済や社会の開発ペースはあまりにも遅い。したがってナイジェリアで増加する人口の多くは貧困の中に放り出されることになる。日本のロスジェネ問題はこの世代が前後に比べて人口が多いことに起因しているのだが、ナイジェリアの場合は増加していく人口の全てがロスジェネになっていく。これはかなり危険な状態である。パキスタンよりも更に深刻だ。この国が突然崩壊しても何も不思議なことはない。

未来の脆弱国家ナイジェリア

 ナイジェリアの人口は今後も増え続けるので、絶対的な経済規模は増加するかもしれない。ただし、一人当たりの豊かさは深刻な停滞状況にある。人口ボーナスによって先進国になることはできない。日本が陥る少子化問題はとは全く別次元と考えて良い。日本の高度成長期に人口ボーナスが起きたのは、それ以上のペースで経済が伸びていたからだ。経済が伸びなければロスジェネを生産するだけに終わる。今後のナイジェリアがまさにそうなるだろう。人口余剰によって貧困と失業の溢れた最貧国である。

 人口増加が国力の増大に繋がるのは地政学ゲームの主体になれるくらいに国内が結束している国に限られる。アフリカにこのような国はほとんど存在しない。それは経済水準が低すぎて国家統治機構が未発展のままだからでもある。アフリカの政治は21世紀の先進国よりも、むしろ中世ヨーロッパの政治を思い起こさせる。国内が無数の領邦国家に分裂しており、各勢力が複雑に合従連衡している様子が見られる。ナイジェリアの政治は腐敗にまみれており、ほとんど機能していない。これはナイジェリア人が悪いのではなく、石油の出る最貧国に良く見られる傾向である。

 ナイジェリアの人口は2100年には7億〜8億人に達すると言われる。推計値によっては中国と人口が逆転するかもしれない。これほどの人数の貧困人口がナイジェリアのどこに住めば良いのだろうか?ナイジェリアは巨大なガザ地区のような状態になっても全くおかしくないだろう。

 ナイジェリアは多数の民族を抱え、国内はキリスト教徒とイスラム教徒に二分されている。こうした亀裂が国内紛争を誘発していくだろう。しかし、民族や宗教は本質的な要素ではない。ナイジェリアの真の爆弾とは経済水準の低さから来る脆弱な統治機構である。民族構成がどのようになっていようとも、ナイジェリアのような国家は不安定に陥るはずだ。

 ナイジェリアはおそらく21世紀のどこかで壊滅的な紛争が起きるだろう。もしかしたら運良く免れるかもしれないが、そうならないと決めつけるにはリスク要因が多すぎる。ナイジェリアは数億の人口を抱えているし、近隣諸国も同様に凄まじい人口爆発状態に陥っていく。8億の人口を抱えるナイジェリアでルワンダやコンゴの内戦に匹敵する戦争が発生したら、犠牲者は1億にも達するだろう。ビアフラ戦争規模の戦争でも第一次世界大戦の犠牲者を超える。おそらく、21世紀に発生する戦争の中で最大の犠牲者を出すことは間違いない。

まとめ

 今回はアフリカの巨人と言われるナイジェリアを取り上げた。ナイジェリアの実情は誤解されている。この国は石油収入でごまかしているだけで、本当はアフリカの中でも特に遅れた国である。同じアフリカ国家でもケニアやガーナと言った国にも及ばない。単に人口が多いだけだ。

 それにもかかわらず、ナイジェリアは運良く安定を保ってきた。1960年代のビアフラ戦争や2010年代のボコ・ハラムの反乱は注目を集めたが、コンゴやスーダンのような国家崩壊は起きていない。この国の状況を考えるとむしろうまくやっている方かもしれない。以前の記事で紹介したコンゴ民主共和国よりもナイジェリアの教育水準や医療水準は低いのだ。

 ナイジェリアの政治は酷い。この国は軍事政権と民主的な政権を繰り返してきたが、両者の区別にはほとんど意味がない。日本人が思い浮かべる意味での民主主義が成立するのは先進国のみだからだ。貧困国の政治はあまりにも腐敗して脆弱なので、民主主義と権威主義の違いはほとんど意味を持たない。住民の側もそれを分かっているから有能な独裁者を支持する人がいる。ナイジェリアの政治は典型的な泥棒政治であり、腐敗の極みである。そうでなければアフリカ最大の産油国がどうしてアフリカでも最底辺の医療水準しか達成できないのだろうか?

 天然資源の富が国家の発展に寄与するかは昔から議論になっているが、結論がなかなか出ないということは、プラスマイナスゼロなのだろう。石油収入はインフラ整備の資金に使えるが、同時に通貨高や腐敗によって工業化を妨げる。オイルマネーで潤う産油国の政治・科学技術・文化・教育・医療の水準は同レベルの一人当たりGDPの工業国よりも、むしろ石油に恵まれなかった近隣国に驚くほど似ている。ノルウェーとスウェーデン、アゼルバイジャンとアルメニア、トルクメニスタンとウズベキスタン、イラクとシリアの社会の様子は一人当たりGDPでは説明できないくらいに似通っている。ナイジェリアも同様だ。この国の暮らし向きは石油の富に恵まれなかった隣国ニジェールと大して変わらないのである。

 産油国が発展しないと決めつけることはできないが、ナイジェリアは間違いなく発展しない方の産油国だ。この国の社会インフラのお粗末な状況は爆発的な人口増加で悪化する可能性が高いからである。人口が増えても石油収入は増えないので、食いっぱぐれる人間はどんどん増えていくだろう。「8億総ロスジェネ状態」のナイジェリアが安定するとは到底考えられない。

 ナイジェリアの未来は凄惨なものになる可能性が否定できない。もし今世紀末にナイジェリアで大規模紛争が発生すれば、犠牲者のオーダーは数千万という凄まじい数になるだろう。第二次世界大戦の犠牲者を越す可能性もある。ナイジェリアはおそらく筆者が最も否定的な評価を下している国であり、ナイジェリアの飛躍的な発展を語る言説は投資詐欺と考えて良いかもしれない。




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