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安倍晋三暗殺事件で考える、テロリズムの成功の条件

 安倍晋三暗殺事件から2年という月日が流れた。あの事件は日本にとっては大きな衝撃だったと思う。戦後、総理大臣が暗殺された事件は初めてだった。主要先進国の首脳が暗殺されたのはスウェーデンのパルメ首相以来40年ぶりである。この事件はおそらく戦後日本のテロ事件として、オウム真理教事件や連合赤軍事件に並ぶ重大事件と考えられるだろう。

 ところで、安倍晋三暗殺事件には一つ大きな特徴がある。それはこのテロ事件が歴史上前例の無い水準で成功を収めたということだ。この点に関してどれほど多くの人間が気が付いているのかはわからない。しばしば映画などでテロリストは殺戮に興じる異常人物のように描かれることが多い。確かに個人テロを中心にそうした性質の人物がいることは否定できないものの、基本的にテロリズムは政治戦術の一つであり、一般に思われているよりも遥かにディープなものだ。今回は安倍晋三暗殺事件がなぜ成功したのかを中心にテロリズムの真の目的について考えてみたいと思う。

テロって何?

 テロは英語の表記はterrorである。これは「恐怖」を意味する英単語と同様だ。タワー・オブ・テラーのテラーと同じ単語となる。テロという概念は恐怖それ自体と深く結びついているということだ。

 これはフランス革命期の恐怖政治に由来している。仏語で単にla terreurと言えばフランス革命期の恐怖政治のことを指す。処刑等の恐怖によって人々を政治的に統制しようとするやり方のことだ。当時は旧体制側による攻撃を「白色テロ」、反体制側の攻撃を「赤色テロ」と呼んだ。ロシア革命ではフランス革命を遥かに上回る規模の「テロ」が行われた。白軍側が行った白色テロによって数十万人が、赤軍側が行った赤色テロによってまた数十万人が虐殺されたとされる。1937年にスターリンが実行した大粛清は現地では「great terror」と呼称されることが多い。この時代、テロの概念は現在とは異なっていた。ただし、基本的な原理は同一である。

 テロとは限定的な暴力行使によって世論に恐怖感を与え、それによって暴力の規模を上回る政治的効果を与えることを指す。ロベスピエールやレーニンがもし国中の反対派を特定し、逮捕することができたら恐怖政治は不要だったに違いない。しかし、革命直後の不安定な政権にそんな能力は無いから、少しでも派手な暴力行使を民衆に見せつけて、反抗を萎縮させようとする。

 「テロは弱さから生まれる」、この事実は必ず押さえておく必要がある。高級住宅街よりスラム街の方が暴力的な印象があるのと同じで、複雑高度化した人間社会においては暴力性と政治的強さは全く比例しないのである。少年漫画の延長で考えると暴力を行使する勢力は強そうに見えるが、そんなことはない。政治的な強さとは人々に影響力を与え、従わせる力のことだ。むしろ暴力は手段に過ぎない。もし民衆が自分たちの政権を支持し、積極的に協力してくれるのなら、そちらの方が良いに決まっている。テロは民衆を従わせる能力がない、弱い政治勢力によって行われるのだ。

現代テロの起源

 現代においてテロと言う用語が恐怖政治を指すことは少ない。現代のテロは個人または反乱組織による限局的な攻撃を指すことがほとんどだ。このようなテロは19世紀の時点ではまだ少なかった。

 19世紀的なテロはほとんどが暗殺だった。まだ庶民の政治意識が発達しておらず、メディアもほとんど存在しなかったからだ。19世紀的なテロの萌芽はフランス革命のマラー暗殺に見ることができる。他にもロシアのアレクサンドル2世暗殺事件や、20人以上が巻き添えを食らったナポレオン3世暗殺未遂事件が有名である。この手の19世紀的なテロ事件の中で最も影響力が大きかったのは1914年のサラエボ事件であろう。

 20世紀になると現代型のテロ組織が登場し始める。テロ組織の走りとなった組織はおそらくIRA(アイルランド共和国軍)であろう。IRAは北アイルだランドのイギリスからの離脱を訴えるテロ組織で、現在に至るまで活動が続いているテロ組織の「老舗」である。

 第二次世界大戦後になると続々とテロ組織が生まれ始める。現在でこそ中東地域のテロはスンニ派イスラム教徒によって行われるものと思われているが、実はこの地域で最初にテロに手を染めたのはユダヤ人である。IRAに感銘を受けたメナヒム・ベギンという人物はテロ組織「イルグン」を結成し、イギリスに対してテロを仕掛け始めた。1946年にキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件で100人近くを殺害している。これは当時世界最悪のテロ事件だった。(信じられないことだが、ベギンはこの数十年後にノーベル平和賞を獲得している)

 航空機が発達した1960年代になると、今度は航空機関連のテロが頻発するようになった。この時代、特にテロ戦術を多様していたのがパレスチナだ。ファタハやPFLPといった組織はイスラエルに正攻法では勝てないと悟ると、テロに訴え始めた。PFLPは1970年に世界5箇所同時ハイジャック事件を起こし、これはヨルダン内戦の原因となった。ファタハによる1972年のミュンヘン五輪事件での殺戮は世界に衝撃を与えた。(この事件に関与したと思われるアラファトはベギンと同様にノーベル平和賞を獲得している)日本でも赤軍派によって数件のハイジャック事件が起きている。これらの事件はいずれも世論に衝撃を与え、自分たちの政治的意見を聞いてもらうことを主眼としていた。言ってしまえば「目立ちたい」のだ。迷惑系YouTuberと実は対して変わらないのかもしれない。

 1980年代になると、またもう一つの潮流が起こる。それは自爆テロである。1983年のベイルート兵舎爆破事件は300人以上の犠牲者を出し、史上最悪のテロ事件を更新することになった。これが中東地域での自爆テロ事件の走りとなる。犯人は現在レバノンで開戦前夜にある「ヒズボラ」だ。スリランカのタミル・タイガーも同様に大量の自爆テロ事件を起こしていた。1990年代に入るとテロ事件は減少するが、アルカイダによる9月11日のテロは史上最悪のテロ事件として世界に衝撃を与えた。中東地域では対テロ戦争以降、テロ事件が急増するようになり、テロとの戦いが国際社会の一大テーマとなった。

現代テロの目的

  個別の有名なテロ事件を一つ一つ解説していくと無限に長くなるので、このあたりにとどめておく。重要なのはこれらの事件は全て「弱さ」に由来しているということだ。テロ事件の本質とは自分を実態以上に大きく見せかけることによって分不相応な政治的影響力を行使することなのだ。大きく分けてその過程には「脅迫」「同情」「単なる注目集め」があるが、混ざっているケースも多く、区別する意義は乏しいだろう。

 政治的に強力な力を持っている勢力は自分たちの目的を実現するために暴力に訴える必要性はまったくない。もしそれほどの力があれば選挙に出て合法的に権力を奪取すれば良い話だからである。テロ組織の多くは選挙に出ても泡沫候補で終わる。反乱勢力だった時代の欧州の共産党で10%程度だったから、テロ組織の多くは1%もあれば良い方だろう。しかし、テロ事件を起こせば1%という支持率に見合わない政治的影響力を手に入れることができる。テロ組織のご機嫌を伺うために政府が妥協的な政策を取ったり、不満を抱えた民衆が扇動されたり、組織の宣伝になったりする。重要なのは政治的なインパクトを与えることだ。

 冷戦時代の西側諸国には日本赤軍やドイツ赤軍と言った数々のテロ組織が存在したが、これらの存在は弱小の中の弱小勢力に過ぎない。共産党よりも遥かに支持者は少なく、選挙に出た場合の得票率は悲惨なことになるだろう。それでも彼らが世間の耳目を引き付けることができたのは派手な暴力行使で世間の目を引きつけたからなのだ。

 中東地域など民主的な制度を欠いている地域においてはこの等式は成り立たないかもしれないが、それでも民衆の支持を得るほど強大な勢力であれば他にやりようはあるはずだ。もし強大な力を持っているのなら、正々堂々とデモや内戦を起こして政府を倒せば良い。その方がリスクもコストも低いだろう。例えばベトコンはテロ戦術に頼らずに軍事力でサイゴン政府を撃破している。アルカイダは正統政府を転覆させるだけの力が無かったため、わざわざハイリスクな暴力に訴えて自分を大きく見せようとしていたのだ。

 これを裏付けるのが先述のヒズボラである。ヒズボラはおそらく世界のテロ組織の中で最も強大な力を持つが、まさにその理由によってテロ事件を起こしにくくなっている。レバノンの政治勢力として決定的に組み込まれているため、テロを起こすメリットが低くなり、リスクばかりが大きくなっているのだ。ヒズボラは1990年代に入るとテロ事件をあまり起こさなくなった。レバノン統治の責任を部分的に背負っているため、安易に国際社会の怒りを買ったり、国内に不和を招くような事態を恐れるようになったからだ。それよりも政治運動や直接的な武力行使に訴えたほうがはるかに効果的であろう。

ケーススタディ① アメリカ同時多発テロ

 というわけで、ここまではテロの目的を考察した。次に部分的に成功したテロ事件について論じていこう。例えば史上最大のテロ事件である2001年9月11日のアメリカ同時多発テロはどうだろうか。

 911テロの目的は「イスラム世界の真の敵はアメリカである」というビンラディンの主張をイスラム世界に印象付けることだった。中東地域ではいつの時代も慢性的な政情不安が続いているが、民衆の怒りは自国政府やイスラエルといった近くの敵に向かうのが大半であった。しかしビンラディンの世界観によればスンニ派アラブ世界の腐敗した政権は全てアメリカの後ろ盾によって成り立っており、アメリカを叩かなければイスラム世界は駄目なままだということになる。

 9月11日のテロは世論にインパクトを与えるのに十分な効果を発揮した。まずアメリカの中心部にあるツインタワーを攻撃し、その炎上する姿を世界同時中継で見せつけた。航空機が突っ込む瞬間の映像は映画のように衝撃的であり、世界人類の目にアルカイダの恐ろしさは焼き付けられた。この事件では3000人という途方もない人数が犠牲になった。ただし、犠牲者の数は本質ではない。これほど目立つ攻撃であれば犠牲者の数が300人であろうと、効果は余り変わらなかったはずだ。テロ事件を受けて航空機や高層ビルの関係者はいつ自分たちが攻撃されるかもわからないと考えるようになった。実際にその可能性は限りなく低いのだが、テロ事件のインパクトはアメリカ人のリスクに関する確率分布を変えてしまったのだ。

 ブッシュ政権は怒りで沸騰し、一連の対テロ戦争が勃発した。これによりアルカイダは、超大国アメリカが本気で相手をするような強大な勢力に「格上げ」されるようになった。アルカイダという組織が学生運動の政治セクト程度の規模しか持たなかったことを考えると、とんでもない「出世」である。この宣伝効果は絶大で、中東地域で次々とアルカイダの思想的影響を受けた若者が世界中で武装勢力に合流するようになった。イラク戦争でアメリカが大失敗をすると反米機運に乗じてなおさらジハード主義は拡散するようになった。こうして派生した組織の一つがISISであり、彼らは一時期日本の国土面積に匹敵する領域を支配していた。残念なことに対テロ戦争によって世界のテロ件数は飛躍的に増加した。ストーカーやネット炎上と同じで、反撃すること自体が相手の勢いを増大させてしまったのだ。

 アルカイダの誤算は想定よりもイスラム世界の支持を得られなかったことだ。アフガニスタンを除き、アルカイダの考え方に世論が賛同する国は無かった。アルカイダは大出世したかもしれないが、それは0.1%だった支持率が5%に上昇したといった程度だ。アラブ世界の民衆は薄っすらとアメリカを嫌悪していたかもしれないが、だからといってアルカイダに政権を取らせ、グローバルジハード運動に参加する気は毛頭ない。ISISはアルカイダの関連組織としては最も成功したが、彼らのイスラム世界革命の構想は20世紀初頭のボリシェビキ世界革命論ほどの説得力は無く、ついに主要国で政権を獲得することはなかった。あまりにも組織の掲げる目標が荒唐無稽だったのだ。

ケーススタディ② アル=アクサーの洪水作戦

 世界のテロ事件で911テロに次ぐ犠牲者を出したのは2023年10月7日のハマスによるイスラエル襲撃、「アル=アクサの洪水作戦」である。これもまた、911テロに匹敵するか、それを上回る効果を上げた。

 ハマスはテロ組織ではあるが、その性質はアルカイダとは大きく異なっている。ハマスは国際テロ組織ではなく、攻撃はガザ地区とイスラエル周辺に限定されている。ハマスの目的はパレスチナでの権力掌握とイスラエルとの武装闘争であり、アルカイダの世界イスラム帝国建設という目標に比べれば遥かに地に足が付いている。何より、ハマスはパレスチナの世論を味方に付けていた。パレスチナには問題を解決するには非合法なやり方でイスラエルを何とかするしか無いと考える者が多く、そのために武力を使うことに寛容な土壌があった。アルカイダはまずイスラム世界で政権を取るためにイスラム教徒に対してテロ攻撃を仕掛けなければならなかったが、ハマスの支持率はガザ地区においてかなりの割合を占めるため、ただ選挙に出るだけで良かった。

 イスラエルの軍事力はハマスを圧倒しており、正攻法で勝つことはできない。そのため、ハマスはテロ戦術に訴えることにした。テロ攻撃でイスラエルの世論に恐怖を与えることができれば、和平のためにハマスと妥協しようという機運が生まれるかもしれない。イスラエルが怒りに震えてハマスに反撃を仕掛ければイスラム世界の同情を喚起することができる。パレスチナやイスラム世界の民衆はイスラエルに対して強い問題意識を抱いているため、ハマスはこの問題に対して断固たる姿勢を取っているというアピールができれば自然と政治力は強化されていくだろう。

 これがアル=アクサの洪水作戦が成功だったと考えられる背景である。ハマスはパレスチナ問題が注目を浴びれば必ずイスラム世界と西側諸国のリベラルは自分たちに同情してくれるだろうという自信があった。ハマスの政治的イシューは遥かに現実的で支持が得られるものだったため、テロ作戦は大成功を納めたのだった。ハマスにとって「幸運」だったのは、イスラエルの世論が恐怖に震え、反撃が極めて苛烈なものだったことだ。アル=アクサの洪水作戦によって出た大量の民間人死者はガザ地区の悲惨な実情が報道されるにつれてかき消されていった。これによって国際社会はイスラエルの残忍さがハマスと同列であると認識し、両者を同じ土俵に置いたパレスチナ問題の解決へ意識が向くようになった。ハマスの軍事力がイスラエルに大きく劣ることを考えると大勝利であろう。

山上徹也のケース

 さて、こうした前例を下敷きにして安倍晋三暗殺事件を考えてみよう。山上徹也の犯行はこれらの歴史上成功したテロリズムと比べても全ての条件が完璧に満たされており、史上稀に見る成功を収めている。

 まず最初に注目すべきはこの事件が世間の十分な注目を集めたことだ。安倍晋三は間違いなく我が国で最も有名な人物であり、10年近い長期政権を率いた総理大臣でもある。そんな人物が白昼堂々殺害されたとなれば世論の注目を浴びることは間違いない。統一教会の関係者を襲撃してもこれに匹敵する効果は無かっただろう。

 続いて重要なことは山上徹也が余計な犠牲を出さず、政治的イシューに注目させることができたことだ。山上徹也は無関係な人間を巻き込んでも無意味なことを知っており、わざわざ手間のかかる銃器の作成を試みた。山上徹也の放った一発目は外れ、近くのビルの上部に当たっているが、これは山上徹也が安倍晋三よりも上を狙ったことを示している。無関係な人に当たらないように上向きに売っていたのだ。もし山上徹也が爆弾を使用して民間人を殺害していたら、遥かに多くの怒りを買っていたはずだ。

 軽視すべきでないのは山上徹也の経歴である。山上徹也は統一教会が原因で不幸な人生を強いられたが、それだけでは世間の共感を呼び込むのは不十分だった。もし山上徹也が常習窃盗犯だったら、ろくでなしの八つ当たりと解釈される可能性があった。しかし山上徹也はこれと言って経歴に落ち度が無かったため、世論の多くは山上徹也を「自分たちと同じ側の人間」と認識した。一方の安倍晋三は殺されるような筋合いは無かったかもしれないが、政治的に重要な地位にあり、一般人とは言える立場に無かった。安倍晋三自体が統一教会と関係を持っていたこともあり、民衆は善良な一市民に同情するのと同じ水準で安倍晋三に同情することは無かった。

 そして統一教会を世間が明確に問題として認識したことで山上徹也の目的は達成された。2015年のシャルリー・エブド襲撃事件でフランス国民は決して上品なメディアとは言えなかったシャルリー・エブドの言論の自由を守ろうと立ち上がった。しかし、2022年の日本人は統一教会の信教の自由を守ることよりも、統一教会の被害者の境遇に注目した。事件発生の直後に何人かの弁護士やジャーナリストが統一教会の問題を宣伝したことが決定打となった。日本の世論は完全に山上徹也の味方となり、自民党と統一教会の関係が暴かれ、宗教二世の問題が注目されるようになった。山上徹也はたった一人で日本の政治を大きく変えることができたのだ。こんな例は珍しい。

ケーススタディ③ 地下鉄サリン事件

 一方、これらの条件を何一つとして満たしていないテロ事件もある。例えば1995年の地下鉄サリン事件がそうだ。この事件はテロ事件としてのクオリティは最悪であり、何一つとして目的は達せられなかった。

 まず地下鉄サリン事件は世論にインパクトを与えたものの、それを政治的影響力に変換するような政治的ナラティブを持っていなかった。オウム真理教の目的は麻原彰晃を王とする神権国家を建設することだったが、どう考えても信者以外からの支持は得られそうになかった。むしろ多数の民間人が殺傷されたことでオウム真理教は悪の権化のような扱いをされ、世論から激しく危険視されるようになった。

 実のところ、地下鉄サリン事件は本当の意味でテロ事件だったのかも怪しい。事件の直接の動機は警察の捜査妨害だ。政治的な背景は存在はしたものの、一般人に理解不能なくらいに荒唐無稽だった。世論はオウム真理教を政治勢力というよりもサイコキラーの延長と認識していた。選挙活動も奇行の一種と認識された。麻原自身がどこまで本気だったのかも怪しい。地下鉄サリン事件の直前の時点で松本サリン事件の犯行がバレかかっており、いずれオウムが壊滅することは疑いようがなかった。麻原としてはどうせ死刑になるなら折角作った大量破壊兵器を使ってしまえと「やけ」になったのではないかとも思える。

 地下鉄サリン事件は政治的なイシューを欠いていたため、世論の同情を引くこともできなかれば、脅迫することもできなかった。信者を団結されることすらも不可能だった。テロリストにとって最も恐れるべきことは事件が「意味不明」と思われることである。こうなるとテロリストは単なる単純殺人犯と同列に置かれてしまう。待ち受けるものは処罰のみである。

成功するテロの条件

 これらの考察を踏まえ、テロリスムが成功する条件が浮かび上がってくる。

①世間の注目を集めること
②一定程度の支持を集める政治的イシューが存在していること
③政治的イシューを希薄化させる余計な要素(無関係な犠牲など)を避けること

 この3つがテロを成功に導くための条件と言えるだろう。①が必須であることは間違いない。②の重要性はしばしば世間で軽視されるが、有効な政治的イシューがなければテロ事件は単なる違法行為となってしまう。③も必須である。赤軍派が失敗したのは大量の同士殺しが明るみに出たことで彼ら自身の人間性が疑問視されるようになったからだ。山上徹也がもし強盗や痴漢などの前科を持っていたら、山上徹也の犯行の動機が真摯なものであるという主張は怪しくなっていたかもしれない。

 成功したテロリズムは基本的にこれらの条件を満たしている。ヒズボラは外国軍を脅迫して撤退させることに成功した。ファタハはパレスチナ問題への注目を集め、パレスチナ自治政府の代表として認められることになった。一方でアルカイダとISISは目立とうとして攻撃範囲を広げすぎたことが仇となった。オウム真理教のようにそもそも有効な政治的イシューが欠如していた例もある。

 テロリストが成功するためには自分たちの主張を明確化し、それを世論がきちんと認識できるように目標を絞る必要があるのである。安倍晋三暗殺事件の模倣犯として岸田首相に爆発物を投げ込んだ事件があったが、この事件の場合の失態は暗殺の失敗それ自体ではなかった。そうではなく、政治的イシューが全く世間から理解不能で、単なる愉快犯と思われたのが敗因だったのだ。

まとめ

 しばしば誤解されるが、テロリズムの目的は殺戮それ自体にはない。テロとは自力で問題を解決する力のない弱い勢力が、世論の注目を浴びることで自分の政治的影響力を拡大させる行為なのだ。

テロが成功するために必要な条件は世間の注目を浴びること、有効な政治的イシューと持っていること、それらを疑わせるような余計な要素を入れないことである。

 2022年の安倍晋三暗殺事件は条件をすべて満たしていたため、前例のない成功を収めることになった。安倍晋三の暗殺は間違いなく戦後有数の大事件となったし、背景にあった統一教会問題は日本人の多くが問題と感じるような内容だった。山上徹也は余計な犠牲を出さず、彼自身の人間性に疑問符を付けるような前歴が全く無かったため、自分の政治的な動機が真摯なものであると世間に訴えることができた。

「テロには屈しない」というお題目に則れば日本人は断固として統一教会を擁護し、山上徹也や統一教会に批判的なジャーナリストを非難しなければならない。しかし、実際はむしろ日本の世論は山上徹也に同情し、宗教二世の問題や自民党との癒着に関心を持っている。もしかしたら日本社会はとっくにテロに屈しているのかもしれない。しかし、それが大問題とならないのはつまるところテロが政治の手段でしかないからだ。テロリストが成功するには自身の行為を「法」の世界から「政治」の世界に移さなければならない。前者に関しては勝ち目がないが、後者に関しては勝負できる可能性があるからだ。山上徹也は法の下に処断されることは間違いないが、政治の世界ではむしろ勝利しているのである。

 なお、今回の事件で一つ不要な要素があったとすれば、それは安倍元首相の死かもしれない。テロリズムは目立つことが重要であるため、安倍元首相が一名をとりとめたとしても展開が大きく変わることはないだろう。もし安倍元首相が生き延びた場合、統一教会絡みの展開がどうなっていたのかは気になるところである。

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