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100円、渡しちゃうかも

何年か前、ネットで見かけた社会実験の記事の事をなぜか今日ふと思い出した。
「あなたの目の前で誰かに100万円をあげますが、あなたが私に100円渡せばあげるのをやめます。どうしますか?」というなんだかいや~な人間心理を炙り出そうとする内容の実験だ。そして、この実験で一番多く「100円を渡した」のは日本人だったらしい。

これを見た時、意外でもなんでもなく「うん、なんか日本人ぽいな」と思ったのだった。
かくいう私はというと、冷静に考えてみた。
まず、基本的には渡さない。もちろん心の中で「なんやねんこの誰かが得する場面を見てるだけっていう謎シチュエーション」「いいなーずるいー私も100万円ほしいねんけど」「てか100万あったら何に使お」「まあ貯金かな」「てかこの渡されてる人、悪党だったらどうするつもりなん?」「どういう基準で渡す人決めてんねん」とまあ頭の中でエンドレスぶつくさ言うだろうが、ただ自分が100円損するだけなので、しぶしぶ目の前のラッキーパーソンを眺めているだろう。エセ笑顔で「よかったですね~いいですねえ♪羨ましいです♡」なんて言いながら。

けれど、正直例外もあるなと思う。
まずは、その渡されている相手の素性を知っておりかつ、その人が私や私の大事な人、または世間にとって「悪い人」だった場合だ。たとえば友人にDVしてた元カレとか?職場で陰湿ないじめしてるお局とか?とにかく「あ、こいつ嫌いだわ」と思ったら100円損してでも阻止するだろうなと思う。

そしてもう一つの例外は、これはもうかなり自分勝手な理由だが、
「とにかくめっちゃくちゃに機嫌が悪い、または落ち込んでおり底辺の底辺にいる時」だった場合。100円損するし何の意味もないぞという冷静な感情を「私がこんなに最悪な気分なのに、目の前でラッキーにしてたまるものか!」という感情が勝ってしまった場合。こういった時、私はきっと泣きながら、こんな醜い感情を持つ自分を恨みながら、意地で100円を渡してしまうんだろうなあとも思う。

ただこの「100円」という金額も本当に絶妙で、「この負の感情が消えるのならそれぐらいなら損してもかまわない!」と思ってしまう額だ。これが「1000円」とかならまた結果は違ってきただろう。

とまあ基本的に渡すにしても渡さないにしてもあまりプラスな感情にはならない話だが、もちろん「渡される相手」が大好きな人、応援したい人、病気等で治療費が必要だったり、お金に困っていてかつそれなりのちゃんとした理由がある人、等の場合は感情も変わってくると思う。色々と考えさせられる社会実験だ。

ちなみに夫に同じ質問をしてみたら、
渡される側の相手と対話、交渉が可能ならば「俺に100円渡されたくなかったら半分よこせ」と脅…いや交渉し、対話不可なのであれば損するだけだから何もしない、との事。なるほどね笑。

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