#009 夢のタイトル
”宮本浩次、いいなぁ。しゃべってるところずっと見ていたくなる。”
今日は珍しくテレビの番組を見ていました。普段テレビは見ないんだけど…ここまでは日誌。
1週間どっぷり夢集め堪能(継続中)
前の投稿からおよそ1週間ぐらいたちました。その間私は夢集めにドップリ漬かっていて、独りでとても楽しんでました。今も継続中です。現在、56夢が集められました。
noteの仕組み。優しい@
ここnoteの仕組みなのか、タグなどで記事があがったりさがったりするせいで、1週間なにも投稿していなくても、ときどき見てくれる人がいて、スキを頂いたりして小躍りしながらその方の記事を読みに行ったり、そこからタグ伝って新しい記事を読んで自分もスキをしたり、またそれが帰って来たりして、なかなか居心地が良いです。いままでそういう空気感じたことなかったから、ちょっとうれしいな。
夢のタイトルつける人半分つけない人半分
先の投稿で、夢の記録のタイトルの話をしました。
夢の話を書くときに、タイトルをつける人とつけてない人と半々ぐらい。読み始めてしまうとタイトルが無くても気にならないんですが、ピックアップするために記事を探し回っていると、広大な投稿海から夢タグで拾い上げるにしても特にタイトルがついていない夢は闇鍋ぽくて、なかなか手ごわいです。(とはいえ結局は楽しんでいます。)
夢の挿絵の選択基準は?
また、はじめ考えてもいなかったのですが、文中に絵やイメージ写真が挟まれているものと、そうでないもの、も大きく分かれていて面白いです。イメージ写真を差し込んでいらっしゃる方は、どんな基準で絵を選んでいるんだろう。見た世界に近いものかな?それとも夢本体の大きなイメージに沿う、近いもの(怖い夢・悲しい夢・水が出てきた夢、みたいな感じで)なのかな?
私は夢を見て帰ってきたときは、映像の記憶が鮮明だったり、それが過ぎてそれ以外の絵が思い浮かばなかったりすることがあるので、提供されている素材から近いものがあればよいのですがそういうことは稀で、これと思えるものがない場合は、近いものを選んだつもりになってそれを置くと、その差分のずれで夢が壊れてしまいそうな気もします。だから逆に心配になってしまったりしながら、夢集めをしていました。
さて、タイトルの話です。
タイトルのつけかた:私のケース。
私のケースでお話すると、夢記録を残す場合、多くの方と同じように起きてすぐにまだ気分的には精神と体がアメーバ状態な(起きてないともいうw)時に、むりやりそのへんのものに書き留める感じです。ただ、書き出すとその場にもどされて一つ一つ成り行きが細かく思い出されるために、書き出してしまうと自動で筆がうごくようなイメージです。そしていつも書き終わった最後に、一瞬考えてその場で浮かんだタイトルっぽいものを迷わずその夢に命名します(そこで命名することに決めています。たとえ変でも)。とても謎なタイトルになるときも多いですが、精神と体がアメーバ状の時なので、それらに任せたもので正しいかなと思います。
みなさんはどうやってタイトルをつけているんでしょう。夢探し散歩してると、たくさん面白いタイトルがあってすごく面白いです。
おまけ:夢メモツール
夢を記録するために使っているアプリです。
手書きでにょろにょろ書けるけど、コツをつかめばそのまま文字変換もしてくれる。私はにょろにょろ文字+変換後テキストを一緒に保存して記録に積んでいます。
スマホにアプリを入れていて(ipad版もあるので便利)よく使っています。
以前はパソコンを開いてノートにテキストを打っていたのですが、精神と体がせっかくアメーバ状(夢見た状態に近いまま)なのに、パソコンを触ったり、画面が光ったり、起動音がしたり、パタンと音が鳴ったりするたびに、脆い記憶が大きな塊ごと抜け落ちていってしまうので、なるべく環境や空気、音やにおいの情報が足されない状態での記録環境を望みました。紆余曲折して、現在はこのアプリでの手書き入力に落ち着いてます。
(タッチタイピングはできるので、キーボードまでたどり着ければ問題ないんですが、そこまでに起動音、光、音と情報が追加されるたびに記憶が落ちてなくなるので、結局あきらめました。)
普段の生活ではそれほど感じないけど、夢見た直後に見た傍からすごいスピードで忘れていくあの感覚は、日常には無いもので不思議です。脳みそが仕事してるからこその、脳みそ機能の贖いなのかもしれません。
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