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慣れると人は無意識になる

東京の平日、朝9:30。

行きたいカフェがあり、わたしは慣れない道をスマホでgooglemapを開きながら歩いていた。

周りを見渡すと、通勤中の会社員らしき人たちでいっぱいだった。
わたしの後ろを歩いていた男性が、わたしを追い越し、道をショートカットしながら進んでいく。

この方は、この道に慣れている。
毎日の通勤経路なのだろう。

そう思った。

誰もが道に迷うことなく、真っ直ぐと行き先に向かって歩いている。

わたしの周りにいる人たちのほとんどの人にとって、この道は毎朝通る通勤経路なのだと感じた。

少し路地に入ったところで、
道の脇に咲いているかわいいお花を見つけた。

ポカポカした良い天気。
朝の太陽の光が心地良い。
少し路地に入り、都会の喧騒から少し離れ、静かになった。

ふと、思った。
この道を毎日当たり前のように通って、当たり前のように会社に行く人は、
このお花に気づくだろうか。

気づいたとて、このお花に何を感じるだろうか。

身体が道を覚えるほどにこの道を通ることに慣れた人々は、
この道にあるもの、見えるものに何を感じるだろうか。

きっと、
「意識すること」を相当に意識していないと、
感じることすら忘れているのではないか?


慣れは時に人を無意識にさせる。
「感じること」を疎かにさせる。

わたしはそんなことを感じながら、道を歩いていた。

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