【文系大学院の魅力】 寄稿記事の後日談
今年5月、文系大学院に進学したばかりだった私は、かつて院進を周囲から馬鹿にされた鬱憤を晴らそうと地方新聞紙に寄稿を送った。その内容が以下の文章である。
今回は院進してから半年が経ったので、その後日談を記載する。
普段の過ごし方
よく、あなたは大学院で何をしているのかと聞かれる。一言で説明すると、修士論文を作成し発表すべく、その情報収集に努めているのだが、その過程や労力が卒論とは比較できぬほど長いのだ(しかし修士は2年間で短いという見方もできる)。ちなみに学術分野は経営学兼社会学で、地域社会に焦点を当てている。
加えて、同級生より2年間も社会に出るのが遅れるというデメリットがあるにも関わらず、わざわざ学費を支払ってまで修士で卒業を目指しているため、なんとしてでも自己の知識・分析レベルを向上させなければならないという使命感に駆られている
やはり私は学外の用事がなければ朝から晩まで研究室に篭っている。そして書籍や論文をひたすら読んだり、講義等で議論を繰り返している。しかし最近は、文章をただ読んでいても自分の問題意識があまり醸成されないと感じている。人に直接取材することで共感力がめばえ、研究に対するモチベーションや研究の質向上につながるのではないかと。
そして毎回の講義で議論を繰り返しているうちに、自身の論理的思考力が向上した。議論というのは、自分の体験談を単に語ることではなく、理論的・論理的な学術を用いて指摘し合い、共感し合うことだと考える。
外での活動というのは研究とは関係のない活動で、金銭的報酬が出るものから、全く出ない有志のものまで様々である。これら全て人との関わりが伴うものであり、やはり私は人と関わることがしたいのだと改めて実感する。だが不特定多数相手に作業をこなすようなものは得意としていないが。
自身の成長
繰り返すが、私は学業すらまともにしない大学生のように遊んでいない。リフレッシュとして休暇することはあるものの、大学生の延長として遊ぶために院進したわけでもない。
私は勉強するために院進したのであり、今は学部生の頃より何十倍も勉強しているし、吸収力も発信力も向上したと自負している。
研究以外の分野だと、最近は政治や世界情勢に興味を持っている。毎日新聞は学部4年の時から毎朝読んでいるし、昼休憩の際にはYouTubeでニュースを流している。21時に家に帰ってきてからはTVでニュースを見ている。雑誌もたまに読む。最近は総裁選や中東戦争の件ばかりだが。
世の中で何が起こっているのか知りたいという知的好奇心が、これらの行動力につながっていると感じるのだ。
むすびに変えて
最後までこのエゴなセルフノンフィクションをご覧いただいた方々には感謝申し上げる。
かつての無意識的な偏見を取り除いて、本当に頑張っている学生を見てほしい。学歴だけで人を評価すべきでなく人の内面に着目して評価してほしい。そんな切実な願いを抱き、社会には期待する。
だからこそ、文系大学院を看過しないでほしい。反対に大学進学率が年々上昇している中で修士を得ることは、周りとの差別化も図れるのではないだろうか。しかし修士という地位を獲得するためだけに、簡単に大学院に来られては困るのだ。勉強に対する意欲がないと続けられないだろうし、そもそも大学院とは勉強する場所だからである。
論理的思考力や分析力はこれから必要となっていくだろう。そのため、修士でそれらを培う経験をしておくのも悪くない。
院生に対する誤解がなるべく消えるとともに支援の心が醸成されることを願って、この記事のまとめとさせていただきます。