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古民家、古墳、博多ラーメン。~2020.11.23世田谷狛江散歩

東京都内にも古墳は存在していて、芝丸山古墳のように東京タワーの近くという都心にある例も少なからずあるが、その多くは多摩川沿いにある。
たまたま、狛江市では最近古墳を公園として整備したという情報をネットで見たので、訪れてみることにした。
また、古墳だけ見に行くのもなと思い、お隣の世田谷区含め古民家も結構残されているようなので、併せて巡ることにした。

まずは、小田急線の二子玉川駅に降り立つ。昼前ではあるが駅に隣接したマクドナルドに長蛇の列ができていた。ニコタマダムなんて呼ばれ方もするハイソな街というイメージもあるが、やっぱりみんなマックが好きなんだなと安心する。

駅を出るとすぐ目に飛び込んでくるのは玉川高島屋SCである。1969年に開店した郊外型ショッピングセンターの走りで、緑と一体化した建物がよくある郊外モールとは一線を画していて、好きな建物である。
さらに、そのすぐ裏手には石畳の狭い路地に洒落た店や飲み屋さんが点在するなど、ヒューマンスケールの街並みとなっている。
その一角にある博多濃麻呂で昼食をとる。カウンターのみの狭い店内だが、ファミリー客が多いことに驚く。休日の昼時なので仕方ないが、ファミリーが多いと回転が悪くなり、思いのほか待たされる。博多に本店を構えるこちらの店ではスタンダードな博多ラーメンが味わえる。飲んだ後に〆に来たくなる店だ。

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二子玉川商店街通りを進む。駅から少し離れて入るが、定食屋やラーメン屋、コーヒー屋などにぎわっている。老舗っぽい店や洒落た店、バランス良く混在していて、住み良い街に選ばれる理由の1つだろうなと感じた。

商店街を抜けると細い川が現れる。その川に沿って進むが、川の向かい側は道がなく、そのまま住宅の敷地になっている。なので各家ごとに、その家専用の橋が架かっている。ネットではmy橋なんて呼ばれたりするが、それが何軒も並んでいる。

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マンションの地下駐車場に直接向かうmy橋もあった。いやこの場合はOur橋になるのだろうか?

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昭和12年(1937年)に、衆議院議員などを歴任した小坂順造の別邸として建てられた旧小坂家住宅は、世田谷区立瀬田四丁目広場という何とも味気ない名前の公園内に残されている。多摩川の流れによって形成された河岸段丘である国分寺崖線に建てられており、崖下の庭園から階段を上って玄関へと向かう。建物内は無料で見学できる。

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崖上だけあって、サンルームからは都内とは思えない自然豊かな景色を遠くまで見渡すことができる。

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また、書斎として使われていた部屋は天井には目を惹く太い梁が数本あり、壁は黒く塗られており、その中にある床の間のような棚スペースだけ金色の壁になっている。他の部屋とはだいぶ趣が異なる異空間だ。応接としても使われていたようで、棚にはコレクションの仏像とかを飾っていたようだと管理しているスタッフの方が言っていた。

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旧小坂家住宅から少し歩くと岡本静嘉堂緑地がある。静嘉堂文庫は、三菱財閥の第2代総帥岩崎弥之助の所有していた古典籍・古美術コレクションを基に作られた私立図書館で、美術館も併設している。文庫の建物は1924年(大正13年)に建てられた洋館で、残念ながら内部の見学はできないようだ。

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同じ敷地内に建つ岩崎家の納骨堂である岩崎家廟は、三菱一号館などを手掛けたジョサイアコンドルの設計である。古墳もそうですが、財を成すってすごいことだなと実感させられる。

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緑地から下っていくと岡本公園民家園がある。江戸時代に建てられた茅葺の旧長崎家住宅主屋がある。静嘉堂文庫よりも前の時代に建てられたのに、こちらの方が親しみが持てるのは、the日本の原風景として植え付けられているからだろうか。囲炉裏が焚かれており、その煙で服が燻されてしまった。ノスタルジーに浸りきれないのが自分の良くないとこだ。

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公園を後にして川沿いを仙川と合流してからも、沿うように進む。東名高速をくぐって少し行った辺りで川から離れるように進む。妙法寺は、台座が回転する大仏様があるということで知られている。
本堂裏手の墓地を抜けた先におおくら大仏はある。94年に建立された高さ8mの立像で、午前から夕方に抱えてはお寺側を向いているが、夜間は敷地の北側にある世田谷通りを見守るように台座が180度回転する。
なので、時間を狙って訪れないと回転する姿を観れないのかなと思っていたら、15度くらい向きを変えては正面に戻るというのを繰り返していた。なんともサービス精神旺盛な大仏様である。

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おおくら大仏の横にある動物霊園を抜け、世田谷通りに出て、南下する。
次大夫堀公園民家園も世田谷区立の古民家園で、大型の名主屋敷や民家が整備されており、ちょっとした村のようになっている。

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こちらでもタイミングが悪く、囲炉裏が焚かれていたので、服に匂いがついてしまった。ノスタルジーに浸りきれない・・・。
そもそも、一人で街歩きをするときは、そこそこキレイ目な服装で出かけるようにしている。なぜなら、アラサー男1人でウロウロするのはかなり不振だからである。観光地や都心部ならまだ良いが、住宅街を通り抜けることも多く、さらにはコロナの影響でマスクを着けているので、不審者と通報されかねない。なので、靴などは機能性重視しつつも、上着などはちゃんとした服を着るようにしている。だからこそ、囲炉裏で燻されるのは勘弁願いたいところだ。

さて、続いて訪れた喜多見稲荷塚古墳は、まさに住宅街にある公園内にある。墳丘の直径が13メートル、高さが2.5メートルの円墳で、砧古墳群のひとつとのこと。もともと周溝もあったようで、周溝部分はぐるりとツツジが植えられていて、墳丘には近づけないようになっている。副葬品で太刀などが発見されており、7世紀後半の族長墓と考えられているようだ。

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まっすぐに伸びた水道道路に出ると、ほどなくして狛江市に入った。ひたすらまっすぐな幹線道路を1キロほど進み、そこから住宅街の方へ入っていく。畑などもあるのどかな風景で、その畑の中にも古墳と思われる墳丘があった。
狛江市内にも複数の古墳があり、狛江古墳群と総称されている。近年、狛江市も古墳整備に力を入れているようで、猪方小川塚古墳公園も2020年4月にオープンした。住宅街の一角に突如として現れる空地に小さな丘とスタイリッシュな覆屋が現れる。墳丘も近隣の住宅地により大半は削られているが、覆屋の中には横穴式石室が残されており見学することが可能だ。

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住宅街を歩き、和泉多摩川駅を越える。亀塚古墳公園も2020年4月に整備されたばかりの公園だ。もともとは、全長40mを超えるホタテ貝形の前方後円墳だったそうだが、宅地化が進み現在は前方部が少しだけ残るのみ。その前方部も住宅と住宅の間を通り抜けた先に、高さ2mもないくらいの小さな塚として残っている程度で、徳富蘇峰が揮毫したという立派な石碑が鎮座している。説明がなれけば古墳とは分からない状況だ。

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続いて訪れた狛江市立古民家園には、江戸時代に建てられた新井家住宅主屋と長屋門が移築・復元されている。コロナの関係で、入り口で指名住所連絡先を求められたので、こんな時期に埼玉からわざわざ来るなと言われるのではないかとビクビクしてしまった。
こちらの新井家住宅は18世紀末頃に建てられてから、平成3年に解体されるまで、増改築が繰り返されていたようだ。現在復元されているのは、19世紀中頃の間取りとのことだ。長い歴史がある建物に対して、どの時代を、どの瞬間を切り取って残していくか。様々な理由があるだろうが、なぜその時代と考えてみるのも面白い。

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古民家園の近くにある兜塚古墳は、先ほど訪れた2つの古墳とは打って変わって、住宅街にありながら、手つかずで残されていた。直径約30m・高さ約4mの円墳で、かなり立派であるので今後綺麗に整備される可能性もあるのかなと思った。

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狛江駅に向かう途中にもフェンスに囲われた経塚古墳があるなど、狛江は本当に古墳が多い地域である。
木々がうっそうと茂る弁財天池を抜けると、突然駅前ロータリーと高架の狛江駅が現れる。駅前とは思えないほど、豊かな緑が残されていて驚きだ。

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多摩川沿いは大田区から国立市にかけて、広範囲に古墳が分布しているので、今後、多摩川沿い古墳巡りは継続していきたい。

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