幼児教育は無駄なのか【子育て】

我が家は英才教育の類は一切やっていない。

教育的なものとしては、休日にドリル学習をやるくらいだ。と言っても、シールだったり、めいろだったり、工作だったり、遊び感覚のものが中心である。唯一勉強っぽいものは数字のドリルくらいだ。

習い事は水泳教室だけだが、ピアノは少なくとも上の子はそろそろ始めたい。

また、私は時間制限をする前提でYouTube推奨派なので、YouTubeも一応教育の一環として考えているが、まぁそれは色々議論がありそうなので置いておこう。

では、これらは無駄なのかと考えると、私はそうではないと考えている。

水泳教室に関しては、本人が大好きな上に身体が強くなったので、水泳選手にならなかったとしても全然問題ない。やっていてよかったと思っている。

ピアノはまだ習わせてないが、私自身は3歳から習っていたのである程度音感がある。音楽のプロにはならなかったが、音感があるおかげで、音楽全般をより楽しむことができていると自分でも思っているため、私はやってよかったと思っているし、子供にもやらせたいと思っている。

では、公文のドリルは?

例えば、工作の場合。初めはハサミの概念が理解できず、教えるのに苦労したし、本人もイヤイヤやっていた時期もあったが、今となっては大好きだ。ハサミが嫌いなんじゃない。できないことが嫌いなのであって、できるようになると工作全般が大好きになったのだ。

同じことが数字でも言える。数字については、最初は最も拒否反応を示すドリルだった。やりたくなくてギャン泣きになり、中断したこともある。しかし、最初の1冊(1〜10まで)を終わらせた今となっては、数字が読めるようになったことが楽しいらしい。街中に存在する数字をどんどん積極的に読むようになり、数というものに興味が出てきている。これもやはり、「最初の概念を理解する段階」が嫌いなだけで、できるようになると面白くなり、どんどん興味を持つようになっていった。

それを考えると、過度な英才教育までしようとは思わないが、幼児教育をさせることは全くの無駄ではないように思う。

将来、その分野のプロフェッショナルにならなくてもいい。

本人が視野を広げることで、どんどん興味の幅が広く、深く、楽しくなっていくのだ。

結局、教育というのはその積み重ねであり、その世界を知った上で、その子にとってそれが必要か不必要を判断するのか、ただ知らないだけなのかは大きな違いのように思う。

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