アニメやマンガの登場人物が名誉職または無職になって開く未来と異世界もの

日本のオタク文化は、青少年を登場人物にして彼らの個性を描くのが上手い。
それは学校という共通の舞台を設定しやすいのもあるが、学校の勉強が大して取り組む必要の無いことだということも大きい。赤点を取ろうが、退学にさえならなければ問題にはならないし、退学や不登校になっても本人や周囲の人が深刻に受け止めていなければ話も深刻にはならない。
社会から課題を設定され遂行を強要されて時間と気力体力を奪われていないからこそ、青少年は個性を十全に伸ばせるのだ。
一方、日本のオタク文化は青少年のその後を描くのが下手だ。どうも、青少年は就職によって個性を殺されてしまうらしい。確かに、アニメやマンガの青少年のような人々がそのまま就職なんかできるわけがない。


では、日本のオタク文化が描いている素晴らしい個性は青少年の間にしか通用しないのだろうか?
実はそうではない。青少年の個性を伸ばしている戦略を応用すれば、大人を登場人物にしても十分個性を描ける。

思えば、オタク文化の青少年には強力な戦略が見られる。それは親の不在である。
日本のオタク文化は登場人物に対する親の関与が薄く、家にすら親が大人がいない場合も多い。普通は親のネグレクトを疑ってしまうようなこの状況がオタク文化の世界では当たり前の「お約束」になっている。それは親の不在には大きな機能があるからだ。
日本のオタク文化は、親を不在にすることによって社会による課題強要を排除しているのだ。
現実世界では、親はよく勉強を強要して塾に行かせたりする。貧乏によって就職を持ち出したり介護を要求するのも親だ。現実では社会によって青少年に勉強や就職、介護などが課題設定され強要されているが、日本のオタク文化は親を不在にすることによってそれを回避し、青少年の個性を伸ばすことに成功されている。
親の不在はしばしば長期の出張や海外旅行によって説明されているが、親の不在がお約束になって以降は説明されないことも多い。

嫌なものは説明しなくてもいいし、世界構造の辻褄を考えずに単に排除するだけでもいい。そしてこれこそが、日本のオタク文化が創作という特徴を生かして獲得した強力な戦略である。
例えば日常系アニメやマンガでは、しばしば登場人物どころか人類全てが女性だったりする。こうして世界から男性を排除することによって、登場人物を女性というジェンダーから解放し、女性ですらない美少女という別性別にすることが可能となっている。その場合、男性が出てこないかごく少ない理由は説明されていない。一見粗いようだが、これでも十分に物語を描写することが可能なのだ。

この素晴らしい戦略は、日本のオタク文化の大人にも応用されるべきだ。
大人も就職なんかするべきではない。就職すれば時間と気力体力が無くなるし会社人としての弁えも体得してしまう。大人は無職になるべきだ。無職では立場が無さすぎるなら、月に一回蚤の市をやっているとかそういう名誉職的な楽な職業に就けばよい。
大人は金にならないことをし、気ままに仲間同士で雑談し、暇つぶしにガンガン旅行したり、大人の能力を使って例えば改造バイクで登山する等何かの個性的な活動をしたり、暇な仲間を手伝わせて子育てをしたりするべきである。
その時に金の心配なんかしてはいけない。創作なのだから、金なんて勝手に湧かせれば十分である。説明は疎か世界構造の辻褄さえ合わせないという日本オタク文化の偉大な戦略を応用すべきだ。どうしても説明が必要なら、宝くじに当たったとか先祖が株を買っていたとかベーシックインカムが実施されたとか言っておけばよろしい。現に、昔から少年マンガやオタク文化の青少年にたまに金持ちが出てくるが、その金持ちは社会階級を描写するために出てきたのではない場合が多い。彼の金は単に、登場人物に建物や旅行、改造資材を提供するためだけに使われる場合が多い。金を湧かせて登場人物を金策から解放するという戦略は昔から使われているのだ。

大人を就職させずに金を湧かせるという素晴らしい戦略は正しいので、実は日本のオタク文化でもそれが実行されているジャンルがある。それが異世界ものだ。
最近の異世界はファンタジーが主なので、経済構造の辻褄を合わせる必要が無い。よって、登場人物は就職せずに好きなことができる。いや、確かに彼らは就職しているが、少なくともそれは現代の会社のように個性を殺して会社人にするような職業ではない。
ファンタジーは自由な設定ができるのだから、大人の登場人物を就職と金策から解放するのも容易だ。

現に異世界でも日常系のマンガがあるが、その登場人物は大人が多い。
今はファンタジーが登場人物を職業と金策から解放する力が自覚されていないから設定と話が冒険ものに引っ張られているが、異世界の設定で単に金や食べ物を湧かせるようにして日常系の話を広げていく未来も十分に開ける。
現に、水木しげるはパプアニューギニアの村を食べ物が畑から湧いてきて暇なのでセックスし放題ののんびりとした桃源郷として回顧している。セックスの真偽と是非はともかく、パプアニューギニアの村に就職と金策から解放する力があるのだから、こういう環境を土台にした異世界のファンタジー世界も作っていけるはずだ。

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