make it possible with
Canonのキャッチコピー、
''make it possible with canon''(Canonで可能にしよう)。
先日、CanonのCMを見ていて少し思ったことがあったので書き記そうと思う。単純なことなので勿体ぶる必要もない。
画質が良すぎる!!!!
三十三間堂の観音様を写した30秒ほどのCMだったが、とにかく美しすぎた。細部まではっきりと見えるのは画素数のおかげだろう。色も折り紙の金とは異なり、何とも奥深く複雑な色を見事に描写している。技術の進歩と言ったら良いのか、とにかく美しすぎるのだ。こんなにも美しい写真をいつかは撮ってみたいものである。
しかし、感動も束の間、私は思った。
美しすぎるのは…良いことなのだろうか…。
写真は「真を写す」ものであると認識している。この場合の「真」とは一体なんの事なのだろう。CanonのCMの観音様たちは実際に見るよりも美しいものだった。三十三間堂には何度か訪れたことがあるが、ともすれば、私が見ていた観音様たちの姿は「真」ではなかったのか。
仮にこの世界を実像だとすれば、写真は虚像の世界のはずである。ここにはないものを自らの手の中に「うつす」行為は人間の根源的欲求を…というのは言い過ぎかもしれない。
いずれにせよ、自分の目で見た世界より美しい世界を写真が写すというのは実像と虚像の逆転のようである。本当の世界の姿なんて自分の目では見えないと言われているような気がする。
実像ってなんだろう。
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