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新卒8年目、”はたらく”に迷う。

同期が辞めた。地元へUターンした。

新卒8年目、これが初職。100人近くいた同期はもう、数えるほどしか残っていない。入社時から志を共にし、時にはビールと手羽揚げで何時間も愚痴を言い合い、行き場のない不満と、いつか俺たちが変えてやるんだという気概を胸に、まぁとにかく明日もがんばってみるかと思えた存在。同期。

肩を組んで歩き、「また明日な」と別々の帰路についた彼らと、握手を交わし、「また会おうな」と別々の道を行く機会が増えてきた。テレビで転職サイトのCMを見るたびに、広い部屋の真ん中でひとり取り残されているような空虚感を抱く。


ぼくらしいはたらき方ってなんだろう。


辞めていく理由はそれぞれだ。生活環境の変化、給与面での不満、やりたいことが見つかった、キャリアアップの実現。中学の頃の英語の授業で、肯定文を疑問文にしたみたいに、彼らが語る退職の理由は自分への問いかけでもある。

やりたいことをやってるの?
別の生き方があるんじゃないの?


・・・


大学3回生の就活期、ある会社の面接官がこんなことを言っていた。

「どんな会社で働くにせよ、初職って大事。自分の価値観、キャリア形成、はたらくモチベーション、これらの基盤はぜんぶ、初職で作られる。」


文章を書くとき、①のあとには必ず②がある。
ぼくは「初職」という言葉にも、同じ印象を持ってしまう。「セカンドキャリア」がもはや定年後の人生だけを意味しない今の時代、転職は選択肢のひとつだし、ぼくにとってもそうだ。

だからこそ、辞めていく同期を見ていると、同じ会社に留まっていることが”よくないこと”に思えてくる。自分だけがスタートラインで止まっていて、周りと同じように早く走り出せ!と、自分で自分を急かしてしまいそうになる。


ぼくらしいはたらき方ってなんだろう。


新しいスタートを切ることなんだろうか。


・・・


この1年半で、はたらき方は大きく変わった。

雇用調整助成金の特例措置で、仕事に行く日が減り、休業という名の自宅待機日が増えた。夫婦ふたり、共働きの我が家。仕事がない日も、誰かのためにご飯を作ることで、間接的にでも社会に貢献できているんだと思える。第二波と第三波のちょうど間で挙げた結婚式の写真を見返して、自分の仕事と妻の仕事、今後どんなバランスでやっていくんだろうと黙考する。

自分の時間が増えると、考えることも増える。


ぼくらしいはたらき方ってなんだろう。
やりたいことってなんだろう。
このままで本当にいいんだろうか。


・・・


コロナ禍で見つけた夢中になれることのひとつが、「文章を書くこと」だ。文章を書いていると、あっという間に時間が過ぎる。

noteを始めたのは12月末。最初の頃は思いのままに、短時間で書き上げていた。でも文章を勉強するにつれて、考えることが増え、時間がかかるようになった。伝えたいことが伝わる文章にするために、辞書を引き、比喩を考え、何度も読み返す。その時間さえも心地よく、満ち足りた気持ちになる。記事を投稿するたびに達成感を味わい、コメントがつくたびに胸の奥が温かくなる。

文章を書く仕事がしたいか、答えはイエスでありノーだ。好奇心旺盛であると同時に怖がりでもあるぼくは、本職を変えることにものすごく不安がある。その不安はきっと、文章にも表れる。好きだったことが、好きじゃなくなってしまう。


ぼくらしいはたらき方ってなんだろう。
その答えはまだ、見つかっていない。


ただ、わかったこともある。

新しいスタートや別の生き方は、周りに急かされて決めることじゃない。今年で30だからとか、同期が転職したからだとか、それはきっかけであっても、決断の決め手にすることじゃない。

今、やりたいことが見つかった。でもやりたいことがひとつだけとは限らない。ホテルにはいろんな仕事がある。宿泊、宴会、婚礼、料飲、人事、総務、財務、IT。フロントでチェックインをする人もいれば、披露宴で新郎新婦をエスコートする人もいる。一日中お客様と接する部署もあれば、一日中パソコンに向かう部署もある。


もう少し、考えてみよう。


いつか本職を変えることになったとしても、それはきっと、他部署を経験してからでも遅くない。

今はこの「初職」を、存分にたのしもう。
こんなふうに、文章を書きながら。
愛する妻のため、晩ごはんの献立を考えながら。


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