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母、パンをこねる。

電子レンジの横には、ダイソーで買った白いフックが付いている。フックにはビニール袋がぶら下がっていて、中には5個、「パン」が入っている。

昨日パン屋で売れ残った「おつとめパン」たち。

半年ぶりに帰った実家の、何年も変わらない光景。袋に手を突っ込んで自分好みのパンを選ぶ、あの朝ごはんのひとときが今でも好きだ。


***


ぼくが小学5年生のころ、母がコンビニのアルバイトをクビになった。

はっきりとそう教えてもらったわけじゃない。母が朝早く、家を出ることがなくなった。軒先に吊るした洗濯物に、青のボーダーの制服を見なくなった。母のはなしにいつも出てくるキムタク好きの友達から、電話がかかってくる頻度が極端に減った。

これは触れちゃいけない、と思った。

実際にそうした。「なぁなぁ、おかあさんなんでさいきん」と無邪気で鋭利な質問をしそうになった2つ下の弟を止め、子ども部屋に引っ張った。

「やめとき、それは聞かんとき。」
「なんでなん?え、なんでなん?」
「なんででもや。ええからお兄ちゃんのいうこと聞いとき。な?」


母は今まで通り、話しかけるとやさしく返事をしてくれた。ぼくが冗談を言うと、明るく笑ってくれた。でもときどき、笑った直後にしゅぅぅん、と、肩を落とす瞬間があった。それが何を意味するのか、幼いぼくにはよくわからなかった。


***


そんなある日、学校から帰ると、母が台所で何かをべちんっ、べちんっ、とたたきつけていた。淡いクリーム色の、もちもちとした生地。

「晩ご飯なにー?」
「生姜焼きやでー」
「えっ、生姜焼き!?」
「なにをそんな驚いてんのさ。あぁこれ?パン作ってんねん。」

母は料理が上手い。クッキーやマドレーヌなんかもたまに焼いて、おやつに出してくれる。そりゃパンも焼けるか、と、素直に納得した。

ところがパンは、おやつに出てこなかった。


あれ、パンは?と聞く。

失敗してん、と母。


そうか、お母さんでも失敗することあるんだ。


その夜、お風呂を出て、こたつでケーブルテレビを見ていると、べちんっ、べちんっ、と台所からまた音が聞こえてきた。「いや、もう寝る前やし、さすがにパンいらんけどなー」と思いながら母を見る。母は時折テーブルに置いた本を覗き込みながら、べちん、ぐいっ、べちん、ぐいっと、熱心に生地をこねていた。

次の日も、その次の日も、母は生地をこねた。

それなのにどうしてか、パンはいっこうにおやつに出てこない。


あれ、パンは?と聞く。

納得いかんねん、と母。


お母さんにも上手く作れないものあるんだ、と、そのときは本気で思った。

それと同時に、なぜそこまでしてパンを作るのかが気になった。お母さん、ぼくはクッキー好きだよ。それにマドレーヌも好きだよ。ちなみにマドレーヌはカリッとしてるところが多い方が好きだよ。だから無理してパン作らなくていいよ、お母さん。

失敗続きにもかかわらず、不思議と母はうれし・悔しそうな顔をしていた。家族で行ったボウリングで、ピンが1本だけ残ったときみたいな表情。もうちょっとやってんけどなー、次こそいけると思うんやけどなー、というような。

母がパンを作る理由も、その表情の意味も、幼いぼくにはよくわからなかった。でもなんとなく、母の中で何かがぐるぐると回り熱を持ち始めている、そんな気配を感じていた。


***


しばらくして母は朝、ぼくたちよりも先に家を出ていくようになった。

新しい仕事が決まったらしい。ここ数か月、ゆっくりと料理や洗濯物をしていた母が、最近は早朝から慌ただしく動いている。

「なぁなぁ、おかあさんなんでさいきん」と言いかけた弟が、はっ、としてぼくの方を見る。ぼくは目をつぶり、ゆっくりとうなづいてゴーサインを出す。弟の顔がぱぁっと明るくなる。

「なぁなぁ、おかあさんなんでさいきん、そんないそがしそうなん?」
「あんな、おかあさんな、パン屋さんでアルバイトすることなってん。」

ぼくの地元はかなり山奥にある。信号もないような田舎の村。唯一の自慢は温泉が湧いていることだ。その温泉施設に併設された「パン工房」が、母の新しい職場だった。

パン屋さんの仕事はとても大変そうだった。休みの日でも、「ちょっとだけ工房行ってくるわ」と出かけることもあった。手首に火傷を負い、玄関のアロエをちぎって塗っているときもあった。

さらに家事をほぼ一人でこなしていた母にとって、朝の忙しさは尋常じゃなかった。当時を思い返すと、「もう7時やでえええええ~!」と台所から寝室のぼくたちを呼ぶ、母の叫び声が聞こえてくる。「お母さん、先行くでな」と、マラソンの給水所みたく車のキーをつかみ取り、流れるように去っていく姿も目に浮かんでくる。

ぼくが高校へ入ると、慌ただしい朝はお弁当作りでさらに忙しくなった。手伝いのひとつでもすればよかったのに、あの頃のぼくにはまだ、そんな優しさは芽生えていなかった。


***


パン工房で働きはじめてから十数年。母はもうアルバイトじゃなくなった。今はなんと「社長」に任命されたらしい。

いや、社長という言葉はパワーが強すぎるかもしれない。ぼくが全校生徒38人の小学校で「会長」を務めたみたいなもんだと思う。都会にはもっと大勢を束ねる学級委員長だっている。

パン工房長・母の作るパンが世間的に美味しいのかどうか、ぼくには自信がない。

でも母の作るパンは、血のつながり以上に何か不思議な魅力があると思う。言葉にできない信頼感。母と、母の友達であり同僚のおばちゃんたちが作る、手作りパンならではのあたたかさ。スーパーの菓子パンじゃ味わえない、不思議な何か。


「最後の晩餐に、なに食べる?」と聞かれたら、ぼくはいつも「パン」と答える。それを聞いたやつらはみんなもれなく、半笑いで「パン?ww」と聞き返してくる。


カッチカッチのベーコンエピでどついたろかと思う。


けどやらない。もちろんやらない。うちのベーコンエピは、割とやわらかめだから。


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