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No.24 虹 2024年 8月

「太陽の光に守られて 仲よく学び元気に通う 虹の島ハワイ、レインボー、レインボー♪」 ハワイ・レインボー学園校歌より。私は1994~1997年の3年間オアフ島に仕事で赴任しており、ホノルルのカイムキにある日本語補習校「レインボー学園」に様々な形で関わらせていただきました。日本人子弟や日系人の小中学生約500名が賑やかに集う学びの舎でありました。私が初めてハワイの土を踏んだのは、大学4年生のまさに8月。 空港に降りたったとたん、どこからともなくプルメリアの香が漂ってきたことを今でも鮮やかに覚えています。 

2度目のハワイ行きが思いがけないハワイ駐在だったのですが、3年間、オアフ島を中心にカウアイ島、ラナイ島、モロカイ島、マウイ島、ハワイ島(Big Island)を仕事でそしてバケーションで飛び回る間、幾度も天空にかかる虹に僥倖する機会を得て、ある時は驚かされまたある時は心を癒されたのです。 主に観光で訪れることの多い日本人にとってハワイはパラダイスですが、そこで暮らし仕事をする日々には、なかなか辛い困難な時もありました。 しかし底抜けに明るく献身的な多くの部下に支えられ、また人懐っこいハワイのディーラーさん達に囲まれ、ハワイ系、中国系、韓国系、サモア系、フィリピン系、ポルトガル系、ベトナム系、そしてもちろんホワイトアングロサクソン系等の人種のるつぼ、多様性に満ち溢れた環境で、新市場の開拓や新商品の導入に文字通り汗を流したわけです。ハワイのもうひとつの顔は軍都です。 私もArmy、Navy、Airforce、Marine、Coast Guardの5軍と各基地の内外でビジネスをしました。そしてミリタリーのベテラン(退役軍人)の方々とも知己を得ました。

分けても当時ハワイ州選出の上院議員であったダニエル・イノウエ氏にあるパーティでお目にかかり、お話を聞く機会がありました。 それまで書籍でしか知らなかった伝説の第442連隊(日系人連隊)の英雄であったイノウエ氏から、第二次大戦の欧州戦線での枢軸国軍との激戦や多くの仲間を失った悲惨な戦いの実態を伺い、「日本人」として血が騒ぎ、感銘を受けました。 当時、日系人は強制的に収容所に入れられ、それに反発しつつ、米国への忠誠心を示すために志願兵となり、獅子奮迅の活躍を見せたのです。その結果、第442連隊は独立戦争以来合衆国史上最も多くの勲章を叙され米陸軍史に燦然と輝く存在となりました。彼らの魂の戦いは、戦後の米国世論が日本にとってfavorableになった大きな要因でもあったのです。

※写真は、ハワイ時代の私の車のナンバープレートです。

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