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果樹園の中で道に迷う

自分の好きな作家のひとりにアイザック・アジモフというSF作家がいます.彼は生化学で博士号を取り,ボストン大学の医学部の教員を勤め,そして一流のSF作家でもあります.本人は一流のSF作家であり,片手間に医学部で教えていたと言っています.

彼の著書 [1] の前書きに次のような文章がありました.

1800年までの科学といえば,まるで果樹園のようなものだった.それは,よく耕され,手入れされ,整理されて,香高く,枝もたわわに実をつけていた.あちらこちらを見ながら,隅から隅まで,散歩することもできた.近くの丘に登れば,全体の様子を眺め,鑑賞することもできたろう.
しかし,1800年頃になると,人々があまりせっせと木を植え,手入れし,耕したために,散歩している人たちは,果樹園の一部が暗く生い茂り薄気味悪くなってきたことに気づいた.
(中略)
やがて果樹園が広すぎることに気づいて愕然とする時が来た.もう隅から隅まで通り抜けることはできなかった.人々は道に迷ったり,ぐるっとまわってもとの場所に戻ってきてしまったりするのだった.近くの丘も,もう役には立たなかった.そこも今では果樹園に蔽われていたのだ.
(後略)

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科学の世界が細分化されてしまい,見通しが悪くなってきたことに居心地の悪さを感じているのはわたしも同様です.

この自然はひとつです.その自然を物理的に見るか,化学的に見るか,生物学的に,地学的に見ようと自然はひとつである,と考えていました.そしてまた,自然を文学的に見たり,哲学的に,経済学的に,社会学的に見ることもできる.それら様々な見方を統合することで,この自然を再構築して,自然の美しさ,素晴らしさを愛でることが昔はできました.

東京大学の元学長である小宮山宏先生も,近年は知識の産まれる速度が爆発的に増大する一方,人間の新知識把握能力との間にギャップが生じていることに懸念を覚えておられました [2].

わたしも小宮山先生と同じ化学工学という分野の研究者です.この分野では数少ない原理を用いてたくさんの対象を研究するのに適していました.もともとは石油プラントの設計から始まったのですが,化学工場,食品製造,半導体製造,製薬工場,地球環境問題,地域の環境問題,都市の問題からナノスケールの微小な世界の研究まで,ひとりの研究者が携わることができる研究の道具を持っていました.

私自身,地球環境,地域の環境,日本のエネルギーや食料事情,機能性食品やらタンパク質や酵素反応の研究まで対応します.基礎研究から応用研究,実験室から工場などの現場,自然環境のフィールドワーク,最近ではまちづくりなどの相談も受けます.

そう言えば若かりし頃,『宇宙船ビーグル号』というSFに出てくる情報総合学を,現実のものにしたいという夢があったなぁ,ということを今,思い出しました.

コンピュータやスマホなどの情報機器がインターネットに接続され,ほとんどの人がそこに繋がっている現代社会の情報量は,あらゆる形容詞をもってしても表現できないくらいの量になっています.Twitter や facebook, Instagram に投稿される情報,それを集める google のシステムやハードディスク群.ビッグデータ,メガデータ.すでにひとりの人間では処理しきれない情報量が毎秒発生しているのが今の社会です.

それを処理するために,構造解析するよりも全体を解析する AIや機械学習,深層学習の進歩が注目を集めています.これらについて思うことも,この note に投稿して行こうと思います.

[1] アイザック・アシモフ『空想自然科学入門』(ハヤカワNF文庫・早川書房, 1963)
[2] 小宮山宏『知識の構造化』(オープンナレッジ, 2004)


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