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コミュニケーション能力って何?

最近のTwitter で知ったのですが,今の若い人々のなかで共有されている「コミュ力」なるものに,少々びっくりしています.その内容をざっくり書きあらわすと,次のようになります.

いまの「若者」は、物心がついたときから「コミュ力」(コミュニケーション能力)が強調されてきた世代でもある。物事を円滑に進めるためにコミュニケーションの軋轢、行き違い、齟齬とそれが生み出す気まずい雰囲気を巧妙に避け、即座に当たり障りなくフレンドリーな関係を作り、会話を円滑に回すことである。

ここで気になったのがコミュニケーション能力とは「気まずい雰囲気を巧妙にさけて,会話を円滑に回すこと能力」ということです.そしてこれが,最近の若い人の傾向として「批判的な意見」や「反対意見」を避けて,「物事を波風立たず進めることが善である」という価値観が共有されているらしいのです.

逆に会話がすれ違ったり、お互いの言い分が感情的に対立したりして、それを調整するのに骨が折れるような「面倒臭い」事態を招く人は「コミュ障」,「コミュニケーション障害」と呼ばれる,集団から排除されることすらあるとのことでした.

物事を進めて行く,決定するためにディスカッションしていく上で意見や見解,価値観の相違は必ずでてきます.それを嫌うことは日本の組織に特有な「その場の空気に反対できずなんとなく物事が進められる.失敗しても反省も検証もされず,その失敗が未来に反映されない.重要なことであっても誰も責任をとらない」ことだと考えます.これは本来は日本が第2次世界大戦(太平洋戦争)の敗戦に学ぶべき,もっとも大きなことのひとつであると考えています.すなわち開戦の決定にあたって,誰もその場の雰囲気に抗うことができなかった,と聞いています.

以前から日本人はディベードが苦手と言われています.しかし,意見の違いをクリティカルにロジカルに取り扱うことで会話を感情的にならずに進めることを学ぶことが必要ではないのでしょうか? 

「即座に当たり障りなくフレンドリーな関係を作り、気まずい雰囲気を巧妙に避け、会話を円滑に回す」能力を良しとする趨勢は,全体主義や翼賛体制への道を進んでいる兆しに見えます.杞憂に終われば良いのですが...

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