エッセイ ミニマリストとマキシマリスト、シンプリスト、ミディアリストの正解?
「ミディアリストって、何をしてたらいいの?」
私がよく聞かれる質問の1つです。
はっきり言って「私もわかりきっていない」というのが、本音です。
「そんな無責任な!!!」
なんて思わないでください。
物事の本質なんてわかりきっていたら、私はとっくにお釈迦様やキリスト様、果ては神様になっているでしょう。笑
なので、「私もわかりきっていない」に続けて、「私はミディアリストとして、こんなことをしているよ。」とアドバイスにもならないような世間話をします。
そもそもミディアリストに限らず、関係の深いミニマリストやマキシマリスト、シンプリストの方々の思考というのは、全て経験した私からすると、ある種の宗教のようなものだと思っています。
宗教というと怪しく見えるかもしれませんが、思考法やモノの捉え方が似ている例として挙げただけなので、悪しからず。
何かを信じて邁進するという宗教においても宗派があるように、自らを信じて邁進するという思考においても思考法がいくつもあるのは、似ていると感じませんか?
さらに、宗派の1人1人が少しずつ捉え方が異なるように、思考法も1人1人が少しずつ捉え方が異なるのも類似しているようです。
なんだか話がややこしい感じがする読者の方もいるかもしれませんので、ここからは本題に入ってもっとわかりやすくいきましょう。
つまり、私は
「ミニマリストもマキシマリストもシンプリストもミディアリストもぼんやりと定義された範疇内外で、1人1人がなんとなく思考法を実践しているから、これが正解のミニマリスト、マキシマリスト、シンプリスト、ミディアリストなんていない!」
ということなんです。
だから、もし読者の中でミディアリストに限らず、今日から「〜リストになりたい!」と思われている方は気になる〜リストさんたちの〜リズムを実践して見てください。
それであなたはもう〜リストです!
また、もしかしたら既存の〜リストや〜リズムに捉われない新しい〜リズムを開拓する方もいるかもしれません。
その時は、あなた自身の思考法を定義付けと位置付けをして、アウトプットしてみてください。
自分の思考リズムを掴む毎日の生活が〜リストたちのいわば修行なのです。
自らにとっての正解を追い求める。
それまでに誰かをお手本にして、徐々に自らの思考リズムに落とし込んでいく。
だから、もし誰かに自らの思考法を話す時は、「自分にとっての〜リストはこんな感じ!」と言って見てください。
自信があまりないなら、わたしのように「まだわかりきっていない」と言っても大丈夫です。
定義の正解に囚われずに、自らの思考の正解を捉えるのが大切です。
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ではでは、今日はこのへんで...
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