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現代人の例に漏れず、私はYouTubeをよく見る。 好きなYouTuberさんも数多くいる。 その中のあるおひとりには、20歳近く歳の離れた弟さんがいて、弟さんは赤ちゃんのときからちょくちょく動画に登場していた。 お兄さんと弟さんは、当然と言えばそうだけれど面立ちがよく似ている。お兄さんが赤ちゃんのときもこんな感じだったんだろう、と想像に容易いくらい。 弟さんが笑顔でおもちゃを振ったり、手を叩いたり、名前を呼ばれて手を挙げたりする姿に、 お兄さんが、「かわいいねぇ〜」
さて、想像してみてください。ここに泥人形があります。埴輪か、オクサレ様などがイメージに近いでしょうか。 ボロっちくて、ところどころ欠けていて、中は空っぽで、しかもまだ乾いていないところもあってドロドロしてます。汚いです。 この泥人形にメイクをして、かわいい服を着せて 無償の愛を注いで 家族の一員として見返りなく養い、育てるって どう思う? 馬鹿らしいでしょ? そんなことする奴の気が知れない。 こんなのに手間暇かけて、 大事にして、なんになる。 そう思うでしょ。 この
この数ヶ月、とても調子がいい。 驚くほどいい。 前もどこかで書いたか言ったが、今までの人生で今がいちばん楽、まである。 でも、ふとしたとき、泥のように動けなくなる自分を思い出す。 「あー、たぶんまたいつか、アレが来るんだろうな」 と、どこかで常に漠然と構えている。ならないようにはしたいが、なるときはなる。仕方ない。 なんなら、去年の今頃は本当に絶不調だった。今まででいちばんの絶不調だった。 YouTubeも見れない。音楽も聞けない。本も読めない。寝るしかなかった。 料理が
低空飛行netという場所の私なりの感じ方を書いておきます。 (名古屋市で活動する自助グループです。希望したメンバーがそれぞれnoteを書き、マガジンとしてまとめています。) 低空飛行noteは、各々の個性が感じられる日常から熱情まで入った賑やかな場所になったと感じています。 低空飛行netの定例会の説明には”静かに話しています”、”座っているだけでもOK”とあります。そこに目を留めnoteへとたどり着いた方がいたら、めちゃくちゃ喋るやんけ、テンション高いやんけ、と思うかもし
先日、数年前の日記をもとに「居場所と愛着の話」を書きました。(精神疾患の話で「愛着」となると、愛着障害の話なんかがまず浮かぶかと思いますが、そうでなくてすみません。愛着障害についての記事もいつか書きたいなと思っています。) noteの記事は、構成や矛盾、統一性などまったく考えず書いているのですが、それにしてもまとまりがないなあと。なぜまとまりがないか考えました。 ざっくり言うと、「居場所」というものに対する捉え方が、ひとつの記事の中で、 ①いることが当たり前だったから、