定例会について
低空飛行netという場所の私なりの感じ方を書いておきます。
(名古屋市で活動する自助グループです。希望したメンバーがそれぞれnoteを書き、マガジンとしてまとめています。)
低空飛行noteは、各々の個性が感じられる日常から熱情まで入った賑やかな場所になったと感じています。
低空飛行netの定例会の説明には”静かに話しています”、”座っているだけでもOK”とあります。そこに目を留めnoteへとたどり着いた方がいたら、めちゃくちゃ喋るやんけ、テンション高いやんけ、と思うかもしれません。
私目線では定例会の雰囲気は、「静かで落ち着いていて正直」だと感じています。それぞれが話せること、頭に浮かんだことをぽつりぽつりとそこに置いていくような印象です。
代表さんがファシリテーターを務め、ヒートアップした議論や言い合いになる場面はまだ見ていません。(と思うけど)
逆に「もっとパッションで来い!熱い想いをぶつけ合って高めるんだ!」という気分で来ると肩透かしを食らう場かなと思います。
ぽすっとした会です。バスケのおもちゃのネットにボールが入るみたいな。
当事者会という場所を選択してくる人は、何かしら心から出したいものがあるとか、繋がりをたぐり寄せられる場所を探しているのではないかと感じています。
単純に絶対的な助言や情報が欲しいなら他へ行った方が効率がいいはずです。仕事を探しているならハロワや就労支援、犯罪を訴えたいなら警察や弁護士に。でも、あえて中間に浮くような立ち位置のここを気に留めたということは意味があるように思っています。
私も何を求めて足を運ぶのかはっきりと言語化できていませんが、そこでしか得られない安らぎのようなひと時があるのは確かです。
私の記憶では初回は荒れ狂ったメンタルの波に押されて…だと思います。どこにも”私の居ても良い場所”がないと追い詰められて、1回くらいどんな会なのか見ておこうとなったのです。ひどく絶望感を感じ「死にたい、もう知らない!」と思ってからの「まだやめ。」となった翌日だったと記憶しています。
あの時はわりと本当に死のうと思って、「北へ行って死ぬ。」とバックパックに何やら詰め込んで家を出ました。なんで北に行ったら死ねるのか意味が分からないし、北と北の人と北から来てる人にほんと失礼だと思う。まあ、そういうときありますよね。
やぶれかぶれで2時間歩き続けて到着しました。あの落ち着いているけど本当にわずかな緊張感もある(多分コミュ障自認してる人が多いから)、控えめに開かれている空間を「あぁ。居れるな。」と認識しました。
他のひきこもり系当事者会と比べて好感を持ったのは、正直というところでしょうか。こういった集まりで、自分の弱みや恥に繋がる情報は隠し、個人と無関係のことだけを取り上げて気楽に過ごす、という場所も見に行きました。私の場合、そういった固くアノニマスでいるのを前提にした空間にはなじめませんでした。
低空飛行netの自己紹介では代表さんが先陣をきり、~ができない、~がずっとつらかった、というストレートな開示が多い印象です。もちろん強制ではないので聞くだけでも大丈夫です。私は流れで自然とひきこもり歴や今ぶち当たっている状況を話していました。
「ひとりじゃなかった。」「また来よう。」、頭に浮かび上がった軸に支えられるように、帰りの足取りは軽かったのを覚えています。
私は何かを求めてまた今月も定例会に行きます。
この自助グループという浮遊地点に何を見るかはそれぞれなのだと思います。誰であれ低空飛行netに関わった方々が、無意識下にあるかもしれない目的を得られるといいなと考えるこの頃です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?