妻の出産、夫の気持ち。

11月3日。
息子が1歳を迎える。
当たり前のことだけど、それはすなわち妻の出産から1年ということだ。

あの日のことは今でもよく覚えている。
思い出すだけで体が震えて、涙が出そうになる。
僕が生んだわけでも、痛みを感じたわけでもないけれど、それでもやはり人生で一番の体験だった。

当日の日記を加筆修正して、父になった日の記録として残しておこうと思う。

11月2日

11月2日、午前4時。
妻の「おはよう」で目を覚ます。
ちょっと寝ぼけてたけど、陣痛かもと言われて覚醒。
バタバタと準備して、5時半頃病院に到着。
対応してくれた助産師さんは妻の様子を見て、出産はまだしばらく先と判断した模様。
僕はコロナ禍の影響で病院には入れず、そのまま帰宅。
会社には休むと連絡し、少し眠る。
この日の日中は妻がちょくちょくLINEで状況を知らせてくれたので、様子がわかって良かった。
とは言え、いつ状況が変わるか全く想像つかないので、ずっと緊張していた。
夜中に呼ばれて起きれなかったら困ると思って昼寝を試みるもうまく眠れず。
結局夜まで大きな動きはなかった。
ひたすら連絡を待ち、「その瞬間」に備えて体を休めようと試み、でもうまく眠ることもできず、ただごろごろしながら過ごすことしかできなかった。
その時間は途方もなく長く感じた。
妻の痛みは確実に増しているということは妻からの連絡で感じられた。
何もできないのがもどかしかった。
そしてそのまま夜は更け、iPhoneの休止機能やおやすみモードをオフにして、一応就寝。

11月3日、朝

11月3日、午前3時半。
妻から「まだ数時間はかかると言われた」という連絡を受けた。
それはつまり、数時間で産まれるということだと受け取った。
妻はかなり痛そうで、つらそうだった。
連絡の頻度も減っていた。
居ても立っても居られず病院へ向かうことにした。
数時間なら待てるし、ちょっとでも妻の近くに行きたかった。
自分が近くにいるってわかれば妻も気持ちが違うかもとも思った。
細い月が綺麗だった。
家にあったパンを2個持って車へ。
途中コンビニでお茶とコーヒー牛乳を買った。
病院の駐車場に到着して、車で待つ。
エンジンのかけっぱなしは環境に悪いと思って切っていたけど、あまりに寒くて時々エンジンをかけてエアコンで暖を取った。
持って行ったパンを1個だけ食べて、コーヒー牛乳を飲んだ。
緊張のせいか、無味。
エンジン切って毛布にくるまって、iPhoneでジャズを聴く。
なるべく何も考えないように。
だんだん空が明るくなってきた。
駐車場に落ち葉が結構あるなぁと思ってると、おじさんとおばさんが来て掃除を始めた。
僕の車があるせいで、その一画を掃除できなさそうで、なんだか申し訳なかった。
2人の掃除を見ていて、ちょっとそわそわした。
車にずっと座ってて体も痛かったし、寒かったので、僕も掃除したいなと思った。
さすがに変人が過ぎると思ってそれは思い留まった。
…つもりだったけど、妻が心配で気が気じゃないし、かと言ってただ座っていてもつらいだけなので、結局居ても立っても居られなくなって、車を奥の駐車場に移動させて、おじさんに声をかけた。
「あの、掃除、手伝わせてもらえませんか?」
最初は断られたけど(普通に考えて、入院患者の夫に掃除を手伝わせることはないだろう)、事情を説明してお願いしたら手伝わせてくれた。
無心で葉っぱを集めた。
焼き芋が3回は出来そうなくらい、枯れ葉の山が積み上がった。
たった1日でそれほど葉が落ちるらしい。
太陽も高くなってきて、体も動かして、汗ばむくらい温かくなった。
気持ちよかった。
一通り掃き終わったら、おじさんが車を自慢してくれた。
キャンプや写真撮影用に自分で改造したらしく、すごい装備だった。
どでかいレンズのついたカメラもあった。
過去の自慢話(エクセルを駆使して何かツールを作ったという話だった)をしてくれたり、撮影した鳥の写真もたくさん見せてくれたりした。
出産を待つ間、不安と緊張で本当に気が滅入っていたので、話が出来て本当に助かった。
午前9時頃、トイレに行きたくなったので、おじさんに「トイレに行って出産に備えます」と言って別れた。
病院の近くのコンビニでトイレを借りて、何か買って食べようかと思ったけど食欲はゼロだったので何も買わずに病院の駐車場へ戻った。
太陽がしっかり照っていて、車の中はもはやとても暑かった。
青空が綺麗で、秋らしく面白い形の薄い雲がふわふわと浮いてた。
妻からの連絡は何時間も途絶えたままだった。
しんどいさなかにいる妻にかける言葉を持っていなかった。
何を言えばいいのか、どうすればいいのか、何もわからなかった。
何をどう言っても、妻のつらさが和らぐことはないということだけはわかった。
「青空が綺麗だから、痛みの波の合間に外を見てみて。」
妻へのメッセージを入力していたら、妻から着信が入った。
心臓が飛び出るかと思った。
電話に出ると妻のうめき声が聞こえて、心臓が止まるかと思った。
助産師さんが電話口に出て、落ち着いた声で、来てくださいと言った。
暑いので薄着で、と。
分娩室が暑いというのは前日に聞いていたので薄着で来ていた。
すぐに車を降り、駐車場から走って病院に向かった。
祝日で病院は閉まっているので、入り口のインターフォンを押して名を名乗る。
「えーっと?」という微妙な反応。
呼ばれました?と聞かれる。
あ、それは共有されていないんだ。と思った。
呼ばれました。と答える。
のんびりした声で、二階へどうぞ〜と案内される。
緊張、焦り、恐怖、不安、僕のそういう感情は宙ぶらりんになった。
暖簾に闘牛、くらいの温度差。
おおー、そういう感じか〜。と思った。
階段を上がり、ナースセンターで入館記録を書く。
助産師さんだか看護師さんだかに連れられてLDRへ。
ガウンを渡される。
あらかじめガウンの着用方法という動画を渡されていて、それを何度か見ておいたのでスムーズに着ることができた。
舞台俳優並の早着替えで着替えて呼ばれるのを待つ。
扉越しに妻の叫び声が聞こえる。
体ががたがた震えた。
どうぞ、と言われ、看護師さんに続いて分娩室に入る。
まず何より妻に会えたのが嬉しかった。
妻の頭に触れ、顔を撫でた。
本当にどうしようもなくつらそうだった。
でも生きてた。
連絡が途絶えるたびに何かあったのではって思ってしまって、気が気じゃなかった。
でも妻も子もちゃんと生きてた。
こんなにありがたいことはないと思った。
妻は僕の顔を見て少し笑った。
何度も何度も僕の名前を呼んだ。
僕も何度も妻の名を呼んだ。
助産師さんの優しい声が少し落ち着かせてくれた。
妻の叫び声、唸り声を聞く辛さももちろん大いにあったけど、助産師さんの様子を見る限り、プロの目から見たら「普通」の状況なんだと思った。
それは安心材料だった。
助産師さんを真似て、上手だよ〜とか、ふーとか、声をかけ続けた。
濡れタオルで汗を拭いたり、タオルを冷やし直したり、冷蔵庫からお茶を取り出して飲ませたり、細々と手伝った。
しばらくして、助産師さんが「頭出てるよ〜触ってごらん」と言った。
妻は子の頭に触れた。
元気出るでしょー、と言われ、妻はうわ言のように我が子の名前を繰り返し呼んだ。
あんまりピンときてないようにも見えた。
しばらくして先生や看護師さんも入ってきた。
そこからは割とあっという間だった。
出産。
子は全身やや青ざめていたが、すぐに産声を上げた。
妻のお腹の上に置かれて、泣き止んで落ち着いた。
妻ははまだ呆然としていた。
僕は無事に産まれた嬉しさと安堵で涙が出てきた。
妻は本当にかっこよかったし美しかった。
先生が処置をしたり、助産師さん、看護師さんが後片付けをしたりしている中、僕は妻の頭や顔を撫でたりしながら息子を眺めた。
赤子の体は徐々にピンクになっていった。
妻もだんだん状況を理解して、鏡越しに息子を見て一緒に喜んだ。
助産師さんが3人の写真を撮ってくれた。
先生たちが出て行ってしばらく3人で過ごした。
息子は妻の腹の上にうつ伏せになったまま、自分で上体を持ち上げて首の向きを変えた。
産まれてすぐこんな力があるのかと驚いた。
コロナの影響で、面会時間は1時間しか与えられなかった。
色んな感情が入り混じる中、どんなことを話したかはあまり覚えていない。
時間が来たのでマスク越しに妻のおでこにキスをして部屋を出た。
車に戻って母に出産報告のメールを送った。
電話がかかってきて話をした。
何を話したかあまり覚えてない。
放心状態で帰途につく。
帰り道の途中で、妻に荷物を渡し損ねたことに気付いたが、病院に戻ってインターホン鳴らして荷物を渡すというタスクが重すぎて明日にしようと思った。

11月3日、午後

一旦無事に産まれたとは言え、妻の体はぼろぼろだし、息子だって外の世界に適合できるかはまだまだ予断を許さないし、2人のことが心配で、全く緊張が解けない。
家に帰って車を停めてからもしばらく立ち上がれなかった。
運転席に座ったまま、Facebookに報告の投稿をした。
しばらくしてようやく立ち上がり、家の中へ。
ちょうどお昼どきだったので何か食べようかと思ったが食欲は全くなかった。
何が食べたいかなーと考えに考え、昔から通っていた街中華のチャーハンが無性に食べたくなった。
が、無情にもその日は定休日だった…
適当なものを適当に食べ、部屋に戻る。
横になると寝落ちした。
14時、母からのメールでぼんやり目覚める。
その後妻がLINEで電話をくれた。
最初妻の声が出ていなくてドキッとしたが、単に声が出せてなかっただけだったようで、すぐに普通に近い状態で話し始めた。
この2日間を振り返ったり、息子の様子などを話したりした。
途中で母も妻と話したりして、結局1時間半話した。
そのあとは、徐々に日常に近い形に落ち着いていった。
妻はこまめに状況や状態を知らせてくれたので、随分安心できた。
それでも夜はまだ緊張が残ってたのかなかなか寝付けなかったけど、しばらくもぞもぞしてるうちに眠れた。
長い長い一日だった。

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