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ベトナムを知る4冊

最近、ベトナム関連の本を4冊一気に読みました。4冊とも産経新聞の記者だった近藤紘一さんの本です。私がいつも楽しみに読んでいるNancyさんのnoteで近藤紘一さんのことを知りました。Nancyさんのnoteはこちらから。

Nancy|Siem Reap សៀមរាប|note

読んだのは『サイゴンから来た妻と娘』『バンコクの妻と娘』『サイゴンのいちばん長い日』『戦火と混迷の日々』です。

Amazon.co.jp: サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1) eBook : 近藤 紘一: Kindleストア

Amazon.co.jp: バンコクの妻と娘 (文春文庫 269-2) : 近藤 紘一: 本

Amazon.co.jp: サイゴンのいちばん長い日 (文春文庫 (269‐3)) eBook : 近藤 紘一: Kindleストア

Amazon.co.jp: 戦火と混迷の日々 悲劇のインドシナ (文春文庫) 電子書籍: 近藤 紘一: Kindleストア

私は紙の本が好きなので、古本をヤフオクで購入しましたが(他に入札したい人がおらず、私が自動的に落札者に…)、ほとんどの本はKindleで読めます。

どれも1冊ずつ紹介しようと思ってますが、まずは4冊読んだ感想を…

著者の近藤紘一さんは、新聞社から再三「帰国せよ」という命令が出ていたにも関わらず(系列会社のフジテレビではベトナム戦争取材中、すでに二人日本人記者が死亡していた)、「こんなところで帰れない」とサイゴン陥落の瞬間を見届け、アメリカ人や他の国の記者があわただしく帰国する中、残って取材を続けた記者でした。

近藤紘一さんはフランス駐在中に日本人の奥さんを自殺で亡くされ、ベトナム駐在中に知り合った娘さんがいるベトナム人女性と再婚し、戦況があやうくなってきたときに奥さんと娘さんを東京に送り、ご自身はベトナムに残りました。

ベトナムに長く滞在し、現地の女性と結婚されたからか、日本人が途上国に対してよくやりがちな「上から目線」ではなく(ベトナム戦争時、日本は圧倒的にベトナムより先進国でした)、ベトナムに対するまなざしは温かく、また情におぼれない冷静さは、さすがジャーナリストだと思いました。

4冊読んで初めて分かったことがたくさんありました。それは、

1.フランス統治時代、フランスは南ベトナムを贔屓し、産業が発展した。逆に北ベトナムはゴム園、炭鉱の地として酷使された。

2.南ベトナム(旧サイゴン、現ホーチミン)はメコン・デルタの豊かな土地のおかげで人々は飢えるということがなかった。逆に北ベトナムは不毛地帯で食糧問題は深刻だった。

3.以上のような理由があり、南北格差は激しかった。「私がベトナム人で、もしゲアン省(北ベトナムで特に土地が貧しい地域。ホー・チ・ミンの出身地)に生まれたら、やっぱり是が非でも南北を統一したくなっただろう」(近藤紘一『サイゴンのいちばん長い日』)。

4.南べトナムはフランス志向が強い。それは個人主義、生きる喜びを重視、洗練された文化を高く評価する、という南ベトナムの人たちのメンタリティがフランス文化と親和性があったからである。

5.ベトナム難民は南北統一されたベトナムの新政府にとって「棄民」だった。ベトナム難民のほとんどは華僑で、当時華僑は南ベトナムの流通を一手に握っており、ベトナム政府は華僑からビジネスの権利を奪還したかった。そのため、華僑がベトナムから難民として流出することを非公式に認めていた。

6.北ベトナムは日本軍占領時代に、日本軍が無茶な食料調達をしたため、200万人ほど餓死者が出たと言われている。そのため、対日感情は悪い。

ということです。

私は10年くらい前にホーチミンだけ行ったことがあります。そのときも、「南ベトナムの豊かな食文化とフランス的な美意識」を強く感じました。何を食べてもおいしく、盛り付けや色使いが洗練されていて、フルーツや野菜の切り方が可愛らしいのですよね~。

ベトナム難民に関してはあまり詳しく知らなかったので、「ああ、そういう事情があったのか」と目からうろこでした。そういえば、去年アカデミー助演男優賞を取ったキー・ホイ・クァンも中国系ベトナム人ですね。彼はサイゴン出身で難民として香港につき、そのあとアメリカに移民しています。

4冊一気に読んでから、東南アジアの歴史に興味が出てきました。これからいろいろ読んでみようと思います。

ちなみに、『戦火と混迷の日々』は、ベトナムの話もありますが、カンボジア人外交官と結婚した内藤泰子さんが、夫と二人の子供とともにクメール・ルージュ下のカンボジアで田舎に移動しながら強制労働させられ、その間に病気で夫と息子二人を亡くし、その後ベトナム人に保護され、日本に帰国した話を詳しく書いています。

こんな女性がいたのか。もう信じられない気持ちです。当時は「奇跡の女性」として、日本では広く報道されたようです。

自分が同じ状況だったら、周りの人がバタバタ死んでいく中、夫と息子を二人とも亡くし、知り合いの人は処刑されたり行方不明になったりする中、自分も飢えと病気で瀕死の状態になりながら、それでも生き延びられただろうか。

つらい話でしたが…これは不謹慎なんだろうけど、なんだか生きていく、生き抜いていくとも言える力をもらえた気がしました。

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