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感染者数を公開することの意味【過剰可視化社会】與那覇潤著

「見え過ぎている社会ってどういうことか」

この本との出会いは、
今年の9月に西日本新聞の書評欄です。

タイトルこそ『過剰可視化社会』だけど、
現在の状況を憂慮する内容でした。
「なぜ、日本はコロナ感染者の数を公開し続けてるのか」という疑問が解消されました。

隠すのではなく、「見せるタイプ」の新たな権力が誕生していることを著者は指摘。

更にSNSの存在もあり、
本来なら、「政治的な意見や信条」、「抱えてる病気や障害」など、個人の内奥に秘めておくものとされていたものが見える存在になってます。

同時に「見えないもの」が持っている価値を感じ取れなくなってしまっていることを問題視しています。

本書の前半は著者単独ですが、
後半になると3人の専門家と対談になってます。
それぞれの方の目線から語られていて、
とても興味深かったです。


・自粛一辺倒になった理由

コロナ禍から2年が経ちました。
当時はウイルスの性質がわからなかったので、
自粛するのも仕方がなかったと擁護しています。
しかし、問題はここから。

肩書や数値化されているものなど、
見えるものばかりに目がいってしまい、
個人の内在的論理など「見えない存在」を軽視されるようになりました。

例をあげれば、医者と感染症学の研究者は
「感染者数自体を少なく抑えたい」と考えます。
これは仕方がないと思います。

議論では、「それは感染者数を最小化するという見地からの意見ですよね」とこの考え方を「共有しない立場の人」からのツッコミが必要です。
しかし、それが全く機能をしませんでした。

その結果、特定の立場の考えばかりが突出してしまいました。
今回の例であれば、医師や感染症学者など医療従事者の意見が強くなりました。

更に専門家の言うことは、
丸呑みすればOKと疑問を挟まなくなりました。

「自らの専門に関しては、自分の主張を絶対の真理として扱ってほしい」
「その代わり異なる話題ではそちらの専門に黙って服従します」
そんな暗黙の了解ができてしまいました。
まるで、不可侵条約ですね。

これも相余って、
疫学者の専制を招いたと著者は指摘しています。

・マスクが当たり前になって起こったこと

「強制はしない」と国は言いつつも、
お店など公共の施設では「マスクをつけてください」と貼り紙があり、事実上の強制。

呼吸器の持病でつけられない人、
発達障害の特性などで感覚過敏でつけられない人、
そういう人たちが
わざわざ他人に言わないといけなくなったと指摘。

これもまさに、
個人の内奥に秘めておくものとされていたものが
見える存在になっていると感じました。

・著者が提案する克服法

・1.人間のアプリ化にストップ

アプリ化は一般のユーザーに対して、
「全体像を教えなくていいバカのままにいてくれていい」という発想とワンセットであると指摘されてます。
最近終了したCOCOAが上手く運用できなかったことを取り上げていました。

・2.視覚以外で世界に触れなおす

SNSならいいねの数、ブログやnoteなどならアクセス数など。
何らかの見える指標がないと、気持ちが辛いという状態を、視覚依存症と自覚しましょうとのことでした。
著者自身も、数字がやたら気になる時は、自分は疲れていると自覚するようになったそうです。

・3.タグを外す「逆カミングアウト」

肩書きを伏せた上で、それでも互いにケアしてもらえる不可視の安心感が必要と主張。
それは著者がうつ病の治療をしていた時のエピソードで語られてます。

大学の教員とか学者とか言うと目立つ経歴なので、役職で判断されがちです。
その役職を伏せた上で、話を聞いてもらえて安心感があったとのことでした。

・感想

見えるものばかりに目がいき、見えないものが置き去りにされていると感じました。

コロナ騒動が起こってから、毎日のように新規感染者の数を報道されるようになりました。
最初のうちは何とも思いませんでしたが、ある時こんな疑問が出ました。

単に感染者だけを言われても判断できない。
重症者が大量に出て、入院する場所すらないほど逼迫した状態なのか、それとも軽症で自宅療養で対処できる状態なのか。それによっても解釈の仕方が変わる」と感じるようになりました。

今月の上旬の西日本新聞の記事に
興味深い内容のものがありました。
※有料記事です。

この記事の中に
「感染者数を載せないから、感染者が増える」
「自分の近所なのかわからないから、市町村ごとに出してほしい」という意見がありました。

それに対して新聞社は、
「統計の方法が変わったため、一部を除いて市町村単位で出せなくなった」を説明していました。

私としては「なぜコロナだけ特別なのか。インフルエンザも感染性胃腸炎も流行っているけど、わざわざ人数を統計に出してない」と疑問を禁じえません。

コロナの感染者数を出して、私たちの心を操りたい人たちがいるのかと勘ぐってしまうぐらいです。

実を言うと「そもそも感染者数を出すのはやめてはどうですか」と意見を書こうとしたことがありますが、うまく文章にできずに断念。

主張に耐えうる根拠を集めて、
周りの人を納得させられるような状態にまとまれば、投稿してみようと思います。

以上、ちえでした。
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