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「私には真似できない…」息子を信じ続けた母親の一生から学んだこと【母】三浦綾子著

「明るく、太陽のような母親」

『蟹工船』の作家である小林多喜二の
母親である小林セキについてそう感じました。

まるで著者が、セキに直接話を聞いているかのように感じました。

しかし読み進めるにつれて「これはオートフィクション?」と気づきました。

メロディアスライブラリー2018.5.13放送。


・オートフィクションと気づいた理由

この本が発売されたのは1996年。
母のセキが亡くなったのは1961年。

読み進めると、「88才の年寄りが」という描写がありましたが、セキは87才で生涯を閉じています。

「あれ?」と混乱しました。

あとがきを読んでみたら、資料を読み込んだ上で
オートフィクションという手法を使って
書かれたことが示唆されました。

「事実に基づいたフィクション」

相反する言葉の組み合わせですが、
この言葉がしっくり来ました。

・幼い頃優しくしてくれた人と息子を殺した人

多喜二が29歳のときに、特高※に捕まりました。
その後、何時間もしないうちに殺されました。

※特高…「特別高等警察」の略。旧警察制度で、政治思想関係を担当した課(の警察官)。

幼い頃、駐在所にいた警察官に優しくしてもらっていたセキ。
そのため、警察には好感を持っていましたが、
この一件で見方が変わりました。

「神も仏も信じられなくなった」

息子を喪って、どれだけ絶望していたのか、
この一言で伝わりました。

息子が盗みや殺人を犯したわけでもなく、
ただ小説を書いていただけ。
国にとって気に入らないという理由で
拷問が許されるのかと理不尽さを感じました。

・息子を信じ続けた母

当時、共産党で活動していたり、
労働者をテーマにした小説を書いたりしていれば、
国から睨まれ、逮捕されるのは明らかでした。

私が親の立場なら
子どもが逮捕されるのは見たくありません。
活動を止めるでしょう。

それでも、息子の活動を止めず、
信じて、見守っている様子に驚きました。

多喜二の死後、セキ自身が共産党に入党したのにも驚きました。

・感想

自分でも驚くくらい、スムーズに読み進められました。
著者に向かって話をしているのを
ひたすら聞いているかのようでした。

貧しい生活を余儀なくされていたのにも関わらず、
家庭内が明るく感じました。

学校から帰ってきた子どもたちが
4人一斉に話すので、
聞くのに苦労したエピソードが明かされてました。
話をしたくなるような母親だったのが伺えました。

「母親として、私には真似できないなぁ」と
感心しました。

以上、ちえでした。
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