この際、数字すてちゃいますか。
50たす1は、51。
子どものころから数字が苦手で、1+1=11だと信じて疑わなかった。
1+1=2?その2はどっからくるの?って本気で思ったりしてた。
地元には「1×1=あいすくりん」っていうのがあった、のが影響していたかどうかはしらんけど。
そんな私も来月には5+1=51歳になる。
ケーキ屋さんに行って当時私のバースデイを忘れている恋人に当てつけのように自分でホールのケーキを注文し、「Happy Birthday to me」の文字を頼み、おまけに長いろうそく3本をつけようとした店員さんに
「30本にしてください、有料ならお支払いします」と駄々をこねて困らせた・・・あの日からもうすぐ20年たとうとしている。
20年???あの日に生まれた子がもしかして今日成人式???
ちょっと・・・どうかと思う(何が?)。
実は、今日「自分の今現在」をノートに書きだしたりしていた。
これからの10年をどうするのか、考えたくなったのだ。
〇本当になりたかったのは?・・・絵本作家、詩人、エッセイスト?
〇現状は?・・・都立学校教員。ガチガチ地方公務員「女の子は一人で生きていけるようにしておいたほうが幸せになる」という親の価値観を信じ邁進中。ただし婚姻歴無し。収入には満足している。普通の生活はできるし、たまにブランド物も手にはいる。海外旅行とかしてないし。だけどもやもやしている。
〇特技は?・・・ピアノ。結構弾ける。そんな系の大学だったし。ただし人に聞かせて喜ばそうとかいう気は全くない。あとイラスト。
〇住みたいところは?・・・東京だった。今も東京好き。しかし海外移住してみたい。
正直、こう書いているとそこそこ満足しろよ!って言われてもしょうがない。
なのにどうしてもやもやするのか。
それは多分、今かなえているのが「自分の夢」ではなく、「親の夢」だったから。親の夢をかなえては、自分の夢をかなえたと思い込んでいた、思い込ませていた。
もともと自由が好き、縛られたくないのに割と親の価値観に従って生きてきた。親の前ではめっちゃいい子だったし、今もそう。
子どものころ母に「あなたがエリーゼのために」を弾いているのを庭先で聴くのがお母さんの夢よ」って言われて気持ちがざわついたのを覚えている。
母は、私が算数の宿題が分からないと烈火のごとく怒っていた。
「なんでこんなことが分からないの?情けない!!!」
子どもの私は、ピアノで居場所や母の心を獲得していく子供になった。
そして、両親は教員だった。
そういうことだ。
もう50歳になった。私は自分の人生をどれくらい生きてこられたのか。もう正直自分の人生がどういうものにしたかったのか、それすら見えづらくなったのだ。不安が、襲ってきた。とんでもない、不安が。
このまま、これをいつまで続けるか、問題。
そもそも、数字嫌いな私が結局年齢という数字の呪縛にとらわれて生きている。いつまでって何?何歳までってこと?ほら、また。
そんな思考の堂々巡りになり、午後はパンク。近くの公園に飛び出した。
公園に住み着いているカラスは今日も人間たちを見下ろしている。
そういえば、カラスって10までの数数えられるらしいなあ
人の顔も5人くらいまでは認識できるとか・・・。
だけど、彼らは自分が死ぬとき「ああ、ぼくは〇歳まで生きたのか」とは思わないだろう。どうでもいいのだ。10まで数えられること、5人まで認識できることは、おそらく今を生きるカラスにとって「必要不可欠な能力」として備わっているはず。じゃあカラスが自分の年齢を(たぶん)認識しないという事は、そんなに年齢っていうものが生命を脅かす原因になるものではないという事だ。
あれ?にんげんだってそうじゃん。
自分が80歳になったから死ななくちゃいけないとか、
そんなわけがない、人は、若くても老いてても、最期をむかえることがあるし、人それぞれだ。
じゃあ、自分の今の年齢ってそんな、重要なの?
もっと大事にしなきゃいけないことってあるんじゃないの?
恋愛したい?すればいいじゃん。
パリに行きたい?行けばいいじゃん。
仕事辞めたい?やめればいいじゃん。
自分の人生やり直したい?やり直せばいいじゃん!!!
棄てちゃいましょうか、年齢の数。
そんなのは書類上、必要なときに思い出して書けばいい。
考えてみたら20歳のころ、幸せだったかといえば、病気や友達関係、恋愛でドロドロしてて苦しい日々だった。
年齢にこだわって、よかったことなんてこの50年間、とくにありませんでしたよ?はい。「もう〇歳だから」って言い続けてた・・・。多分3歳のころから。
今日は幾分気持ちが楽になった。
きっとうまくいく、私ならつかみ取れる。
昔から嫌いだった数を捨てる代わりに、最初は怖いかもしれないけど、わからないかもしれないけど「私の生き方」を。
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