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跳ねる光の行方~札幌諏訪神社

【遊月パワースポット物語 その6】札幌諏訪神社

「千紘」
名前を呼ばれて振り返ると、朝から釣りに行くと言っていた夫が立っていた。
「秋くん、どうして? 」
階段を降りて駆け寄ると、
「転ぶぞ」と心配そうな顔をする。


「釣りは? 」
鳥居のすぐそばに立っていた夫にそう尋ねると
「やめた」とだけ答える。

「どうして? 」と聞いたけど、
うん。と答えただけで何も言わずに、私の肩にかかっていた茶色いバッグをさりげなく持ってくれる。けして重くないけれど、いつだって私が何も持たずにいるように何でも代わりに持ってくれるのだ。

「ありがとう」
「うん」
確か今度の土曜日は朝から釣に行くと言っていた。だから土曜のパートが昼で終わった後に、まっすぐ家に帰らずにどこかに寄ろうかなって思った。

つまり夫は私が今日この時間、この場所にいるなんて、わかるはずなかったのに。
どうして私がここにいるとわかったのか。そして、どうしてここに迎えに来てくれたのか。

夫が車を停めていた駐車場へ一緒に歩く。
地下鉄でここまで来たから、迎えに来てくれたのは確かに嬉しかった。

車の鍵を開けてもらうのを待って、助手席に滑り込みながら、
「どうしてここにいるってわかったの」と聞いた。

本当は、どうして夫は私がここにいることがわかったのか。その理由は聞かなくてなんとなくもわかっていた。
でも、そのことに触れずにいるのがなんだか嫌だったから、わたしはあえて言葉にして夫に聞いた。

「うん。…なんとなく」
「またごまかす」
シートベルトをしっかり閉めながら、冗談めかして私は続ける。

「ここが、子宝を授けることで有名な神社だって、秋くんわかっていたんでしょ」
そんなことなんて、たいしたことないと知らせるために、あえてニヤニヤしながら夫の顔を覗き込むと、チラッとだけ私の顔を見て、
やっぱり「うん」とだけ答えてきた。

気にしていないなんて嘘だった。
先週の日曜日にやってきた夫の後輩とそのかわいい奥さんのしあわせそうな顔がずっと瞼の奥に張り付いている。

あの二人は去年の秋に、別れる別れないで悩んでいて、あることがきっかけで今年の春に結婚した。
同じ日の同じ時間に縁結びの神様の前でばったり会ったというのだから、ちょっとロマンチックだった。

「神社でばったり会うなんて、運命だよね」
わざわざ結婚の報告に来てくれた日に、私は酔っぱらって何度も二人にそう言った。
「うんと幸せになってね」と、しまいには酔っぱらって大泣きしたらしいと次の日に秋くんに聞いたけど、だって本当に嬉しかったんだから仕方ない。

「千紘は自分のことより、人のことのほうが嬉しそうだな」
秋くんがそう言ったので、そういうものじゃないのかなって不思議になる。
「自分のことだって嬉しいよ。でもね、大好きな人がしあわせになることは、自分がなるよりもっと嬉しいことなんじゃないの? 」
私がそう答えたら、うん、とだけ答えて秋くんは笑っていた。

籍を入れてしばらくは、二人で楽しもうと思っていたんですけど。
後輩くんは、秋に初めて来た時は悩んで落ち込んで捨て犬みたいだったのに、打って変わって男らしくなっていた。
そして、すでに父親の顔になっていた。

おめでとう、よかったわね、半分くらい私のおかげじゃない?
なんてふざけ半分で言って笑いを誘う。
和やかでしあわせな食事会。

次の月曜日。二日酔いだったけど普通に起きてパートに行った。
火曜日も水曜日も木曜日も金曜日も、パートに行ったり休みだったりした。そして今日はパートだった。

普通に起きて身支度をして、釣りに行くと言っていた夫がまだ寝ていたので、起こさないようにひっそりと家を出た。

普通に仕事をして普通に帰る、そんな毎日。

結婚して10年。
パートも行くし、毎日掃除して、食事の支度をして、時々夫と外に出掛ける日もあるし、ひとりでのんびり過ごす日もある。
どちらにしてもただ穏やかに暮らす日々。それはそれでしあわせだった。

だけど。

「あれ」
ごまかすために明るくそう言う。いつのまにか涙が溢れていた。
「なんで泣くかな」
手の甲で無造作に涙を拭いながら明るくそう言う。
「うん」
エンジンをかけてはいるが、動き出そうとしないで、夫は私の話を聞いている。

「子宝に恵まれる神社にこっそりやってきたのを夫に見つかるってさ…」
「うん」
「結構…しんどいね」
夫は私の方を見て何か言いかけて、口を開いたけどすぐに閉じた。
そのあとエンジンを止めて、突然車から降りてしまった。

車の中から様子を見ていると、夫はお社まで早歩きで進み、鈴を鳴らして神様に祈っていた。
「何であなたまで祈っているのよ」
声に出してそう言ったら、堪えていたのに、喉の奥が震えて涙が次々に溢れてきた。

お参りを終えると夫は社務所に寄って何かを買い、やっと車に戻ってきた。
「これ」
夫が渡してきた白い袋に入っていたのは、子宝と書かれたピンク色のお守りだった。

「二十一柱も子どもがいたんだって」
「え? 」
「さっき巫女さんに教えてもらった」
「そうなの」
お守りを握りしめた。
「そんなに生んだ神様なら、ご利益あるような気がする」
「確かにそうね」
慰めようとしているんだと思った。

「俺は、どっちだっていいと思っている」
「うん」
そうはいっても、夫が子ども好きなのは結婚前から知っていた。だからせめて男の子と女の子の両方生んであげたいと思っていたから。

「千紘が望むなら俺は協力するよ」
「うん」
そんなこと言われたらせっかく止まった涙がまた溢れてしまう。
「ごめんね」夫に叱られるけどついまた謝る。

「謝らなくていいから。謝ることなんて何もないから」
「うん」
「俺こそ、ごめん」
言ったそばから今度は夫が謝ってきた。
「秋くんこそ、謝らなくていいから」
「うん」
二人ともフロントガラス越しにお社を見つめながら微笑んだ。

「どうしてここにだと思ったの?
神社なんていっぱいあるし、そもそも神社に来ている保証もなかったのに」
夫は少し考えてから言った。

「あの二人が神社で偶然会ったこと、ロマンチックだって何度も言っていたし」
「うん、言っていたね」
「それと、前に子宝の神社調べていて、ここが一番近いから、仕事帰りに毎日行こうかなって、そう言っていたから」
「調べていたことも、その時の言葉も、ちゃんと覚えていてくれたの」
「うん」

「俺も祈っておかないとダメだと思ったから」
「え? 」
「だって、二人の子だろ」
今度こそもうダメだった。涙が止まらない。うえーんと子どもみたいな声も出てしまう。

「期限決めてさ、頑張ってみよう」
「うん」
「それが千紘の望みなら、俺はとことん付き合うよ」
「うん」

「でもな、俺の望みはひとつなんだ。
子どもがいてもいなくても、変わらずずっと千紘を笑顔にすること。だからそれができるよう、頑張るよ」

・・・もう涙が止まらない。
神様、私、子どもが欲しいです。
でもその願いが無理だとしても、私はとても幸せものです。
この人と出会うことができて、結婚することができて本当にしあわせです。
だから、ほんとうに、ありがとうございます。
心の中で神様にそう伝えた。

見えない世界に存在する大いなる光が、社の前に降りてきて、光の中から美しい女神の姿が現れた。
女神はその手のひらを口元へ運び、そっと息を吹きかけた。女神の手のひらからキラキラ輝く小さな光が、くるくると螺旋を描きながら、駐車場の二人の方へと飛んでいく。

この世界に生まれてきたことを喜ぶように、小さな光は飛び跳ねる。車のボンネットで一度大きく跳ねて、助手席で顔を覆って泣いている人の身体の方へとダイブした。

生まれ出ることの喜びで、はちきれそうなくらい輝いている光が、その人の身体に吸い込まれていったことを、今はまだ誰も知らなかった。


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