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それでも変わらないもの。

私はゆらーりゆらーりと揺られながら、次の行き先もわからない小さな舟に乗っています。どこへ行くのかわからないけれど、たまに近くに食料や水などの生きるために必要なものが流れてくるし、頻繁に違う舟に乗っている人ともすれ違います。そんなときは挨拶のことばを交わし合ったり、時にお喋りしながら同じ方向にしばらく一緒に進んでみたりします。だけど最終的には、また一人になって、「あっちかな?」「こっちかな?」と迷いながら、果てしない大海の中を一生懸命進み続けるのです。

コロナが世界を席巻する前から、私はそんな風にしてふらふらと、進んでいる方向が人生の正しい道だと信じて生きてきました。「あそこの島は楽しそうだから寄ってみよう。」そんな単純さと、時に慎重さを併せ持ちながら、道を選んできました。途中で、道と道がどうつながるのかわからなくて、「本当に大丈夫?」と心配になりながらも、なんとかちょっとずつ進んできたんです。

そんな私はコロナの登場と共に、ある一つの道を選びました。そして、今もその道を進んでいます。またしても、「ここで本当にあってるのかな?」なんて不安になりながら、今ももやもやとその道を進み続けています。

この道にはたくさんの素敵な人たちが通っていて、何かあったらすぐに手を差し出してくれます。それに、進むペースも進み方も自由。あまりにも整備された綺麗な道だから、立ち止まって寄り道をしたり遠回りをしたりすることが難しいんです。というよりは、途中で寄り道をしたい島がたくさん出てくるのですが、そのどれもが魅力的すぎてどこによればいいのかわからなくなっています。

ところで、私は最近、あるおじいさんとすれ違いました。正確には、私はそのおじいさんが営む宿に立ち寄りました。話好きのおじいさんは、私に話しかけては長い間、楽しそうにお喋りをしました。部屋の布団の上には、寒くないようにと何重にも毛布が重なり合っていて、夜は私の帰りを遅くまで待っていてくれました。そして、朝食にはたくさんの食べ物もくれました。おむすび、プリン、バナナ、ヨーグルト、あったかいお茶……それらは美味しくて、うれしいプレゼントでした。でも、何よりうれしかったのは、おじいさんの気持ち。ほんのり温めてくれたおにぎりとお茶。お盆の隙間をつくるまいと一緒に載せてくれたヨーグルトとプリン。2日間一緒に過ごしただけだったけれど、おじいさんから私はたくさんの愛を受け取って、さよならを言った後も、私の心はホカホカしていました。きっとまたおじいさんに会いに来よう、そしておじいさんが私にくれたギフトを私も贈りたいと思ったのです。


私は記憶がある限り、小さい時からずっと優柔不断です。レストランやカフェでメニューを選ぶとき、それが一人であっても誰かと一緒であっても、「んー、んー。」と悩みます。そんな自分に嫌気がさしていたし、なんでもパッと決断できる人に憧れてきました。でも、最近ではそれでもいいと思っています。悩みながら定員さんと言葉を交わしたり、悩みすぎることに友人と笑ったりすること──それもそれでいいのかなって思うんです。

そんなふうにして、何を食べるのかを選ぶのと、人生の進む道を選ぶのは全然違うように思いますが、でも実はそんなに変わらないのかもしれません。テーブルに運ばれてきたとき、思わずにんまりして、写真を撮ることなんか忘れて思わず手を伸ばしてしまう、そんな心がわくわくするものを選ぶこと。それはどちらにも通じ合っているような気がするからです。

2020年からの2年間、私はたくさんの舟とすれ違いました。乗っていた人はみな、美しい心を持っていて、たくさんの温かい言葉を贈ってくれました。広大な海の中、一人で舟をこぎ続けることは容易ではありません。だけど、舟さえ丈夫だったら、きっと進み続けられる。そう信じて、今日も私はゆらゆらと進み続けます。

みんなからのギフトを舟いっぱいに詰め込んで。こんどは私が、これから出会う人にギフトを贈ろうという想いを胸に秘めながら。


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