三島由紀夫氏の自殺について

三島由紀夫氏は美しく死にたいと言ってゐた。
「西郷隆盛、私は、あれは美しく死んだと思ってゐる」
と語ってゐる。

では美しくない死に方とは?

三島由紀夫氏によると
名誉のカスが溜まっていき、最後は、床の中で垂れ流しになって死ぬこと。

三島由紀夫氏の死が美しかったのかどうかはわからない。

けれども、三島由紀夫氏の死を揶揄し、嘲り、憐れんだ人たちが、次々と、
名誉のカスが溜まって、といふより自ら必死で
名誉のカスを一かけらでも多く集めようとして過去の栄光を数へあげつつ床の中で垂れ流しになって死ぬといふ死に方をしていってゐるのは、事実だ。

「私もさうなるかもしれない。
私はそれが恐ろしくて恐ろしくて嫌で嫌でたまらないから、なんとかうまくさうならないやうにじたばたしてる次第」
と三島由紀夫氏は語ってゐた。

三島由紀夫氏の死に秘密は無い。
自殺によって死にたかった。
それは若い時から一貫してゐる。

ただ文学者として自殺するのも、垂れ流しで死ぬのと同じくらゐ、嫌で嫌でたまらなかったのである。

だから西郷隆盛や大塩平八郎のやうに、政治的には全く無意味な戦闘の中で討ち死にする機会を求め、それが無いなら、自分で作り出してでも、その中で自殺しようと工夫し試みた。
それが、全力全身を投入、巨額の金銭をも投入して作った盾の会として現れた。

三島由紀夫氏は、今風にいへば、自分の夢を持ち、決して自分の夢を諦めず、あらゆる努力と工夫を凝らし、あらゆる機会を逃さず掴んで、遂に、夢を現実にしたのである。


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