絶望の海

書いてるものに救ひがないと妻様に言はれた。
しょうちゃん自身が絶望してゐるから、それでいいんだけど、
noteに書く記事としては合ってない。
たいていの人は、絶望にいく前の話しか読みたくない。
同じところをまはってゐる。
どこに行くでもない。メリーゴーランドに乗って笑ってゐる。
遊園地の子供たちの深みの無い笑ひ声。

幼稚な世界だね。

ほんたうに子供になりたければ、遊園地を出なければならない。
遊園地は大人が子供を囲ひ込んで安心しようとして造った場所。
絶望できない大人たちが子供のやうにはしゃいでゐる。

・・・・・・

わたしとしてはニセモノの希望はいやだから、その仮面は剥ぐ。それが絶望してゐるやうに見えるのかもしれない。
ぐるぐる回ってゐられるほど、もう、若くない。

世界はすっかり絶望の海で満たされてゐる。
すでに都市といふ都市は海の底である。
そこに棲む人々は、自分が溺死したことにも気づかずに、無数の海藻のやうに揺れてゐる。

わたしの心は絶望といふ海を漂流する筏だ。

わたしは切に希望を求めてゐる。
どこかに島は残ってゐるはずだ。
どんな小さな希望の島も見逃さないつもりだ。

その島に上がってみたら、
地面は乾ききってをり、草一本生えてゐないかもしれない。
太陽はもう絶望の核融合と化してゐるからだ。

そのときは、わたしは空を仰ひで雨を待つだらう。
だからこそ、ただ潔白を言ひ張るだけの白雲たちではなく、
わたしの眼は、
雨を孕んでゐるらしい灰色の雲を捜すのだ。

わたしは知ってゐる、
乾ききった地面だけが慈雨の最初の一滴を標すことができることを。

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