あなたのからだが好き



更年期の妻様は、週に一回、ウィメンズクリニックでプラセンタ注射をしてもらってます。
このクリニックは男子禁制。親でも夫でも兄弟でも、男性であれば、待ち合ひ室にすら入れない。クリニックの入ってゐるビルのエレベーターの横に置いてある小さな椅子に座って待つしかない。わたしもそこで妻様を待ったことがあります。
クリニックは、エレベーターで上がって三階。そのビルの一つのフロアーすべてを使って、待合室と診察室、いくつかの処置室があるのださうです。
もちろん、先生は女性。看護さんは女性だけ。
しかも、たいていは若い女でいっぱい。プラセンタ注射が保険を使って打てなくなる年になると、ここに患者さんとして来ることはなくなるのかもしれません。つまりは、若い女の人も含めて、あるなしは別にしても房事の現役が集ふ場所らしい。

妻様曰く、
おばちゃんになったせいだと思ふけど、女のフェロモンが鼻を打つの。
女の子はメスの匂ひを撒き散らしてる。
待合室が満員の時は息ぐるしいわ。
男の人たち、大変ねえ。

かういふ感想は妻様らしい感じがします。
といふのも、妻様は元々フェロモンが匂ってくるタイプではなくて、体型も顔も、ついでに性格も、少年的。
妻様は高校卒業後は専門学校に行ったあと、社長秘書をやって、それを一年ほどで辞め、貯めてたお金を持ってヨーロッパ一人旅にでた。
その放浪の旅のとき、やはり一人でヨーロッパをさすらってゐた同年代の日本人女性から列車の中で話かけられた。日本の方ですよね。
妻様はヨーロッパで日本人と友達になるのは避けてゐたさうですが、その人が宿泊代を節約するために、その日は安宿で同宿しようと提案してきた。
旅行中にへんな処で働いたりすると外人にであれ日本人にであれやられちゃふから、持ち金が尽きたら日本に帰ることにしてゐたといふことで、とにかくお金を少しでも節約したかった。
それで、その女性の提案に乗ったのださうです。
すると、その夜、その女性から
「あなたのからだが好き」
と言はれた。

その旅行の時の写真を見せてもらったことがあります。
きゃしゃな身体で、さっきも書いたやうに少年体型なのですが、ウェストが細いから腰の線は出て女性だとわかる。それなのに、首が細くてくりっとした頭を刈り上げにしてたから、思春期頃の男の子みたいにも見えた。

「あなたのからだが好き」と言はれたのは、実は、裸の胸を見ながら言はれたさうで、その女性は妻様に自分の豊満な胸を見せてゐたのださうです。小さくて清潔、さういふ胸になりたいと言はれたのださうです。
自分にないものはいいやうに見えるのかもね、と妻様が言った。
その相手の人の胸はどんなだったのとしつこく尋ねたところ、艶々してて、雌蕊の匂ひが香ってくるやうな、ふたつの大きな花みたいな胸だったさうです。
ぼんやり見てたら、自分のを触られそうになったので、さういふのは私むりと妻様は言ったそうです。
お風呂を出て食事をして、寝る時間になったら、その女性は何もしないから一緒に寝させてといって、ひとつのベッドでふたりで寝ることを望んださうです。妻様は、それならと言って、元々、同宿するといふことは一つのベッドで寝ることだと思ってゐたから、一緒に寝たさうです。
なんかあったのと聞いたら、あるわけない、とあっさり言はれました。
たしかに、あるわけない人です。

ついでに、
妻様はその女の子の「からだ」が気に入ったの?、胸の大きい人やったんやね、さういふの憧れるの?
と妻様に尋ねたら、えー、別に。いやぢゃないけど、別に欲しくない。といふ、妻様がほかのことに関してもよく言ふセリフが帰ってきました。
走るとき重いだらうから、といふ付け加へ。

わたしは三十を過ぎてから大学に入り直し、妻様とはその大学で出会ったのですが、あるとき、グラウンドの横を通ったら、体育の時間らしく、サッカーをしてゐる学生たちがゐました。見るともなく見てゐたら、男子学生の群れから、その間をすばやく走り抜けてきて、転がってゐたボールを蹴った妻様がゐました。
あっちこっちに、めまぐるしく、すばやく走るのが得意。
でも、長く走るのは苦手。長距離走はきらひ。
顔が猫っぽい人なんですが、動きも猫っぽいなと思ひました。
ただ、そのときに蹴ったボールはかすったやうな蹴り方になって横のはうにころころと転がって行き、フィールドの中にゐる誰にも届くことなく、ラインを超えてしまひました。


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