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思い出 初めてのフルマラソン

初めてフルマラソンを体験したのは2014年2月。
最初はもちろん完走が目標だったから不安でいっぱいだった。
制限時間は6時間以内42.195km→1キロ8分で5.6時間となる。

なので少し余裕をもってキロ7.5分を目標にした。
※ランナーになると時速何キロで走る事よりも1km何分で走るかを意識してきます。

この頃の目標は月間走行距離100km。実際は80〜100kmと月に1〜2回の登山(標高1000m程度)の運動量だった。
これは週に1~2回の10kmランで週末は山登りみたいな運動量だった。

ランニングの先輩はそれぐらい走ってたら完走楽勝だよ!と言ってくれたものの未経験の僕はこれっぽっちも安心材料にはならなかった。

よく言われているのはレースの3週間前には30km走を体験してレース前までにその疲労を抜くように言われていた。

ただ、僕は30kmは走れても35kmで倒れるかもしれんやん??とかなりのビビりであったため、思い切って週末に42kmを走ってみようと思った。
コースは練りに練って自分の町(正確には区)を一周するコースを組んだ。

出発はレース当日と同じ9時スタートとしてリュックにはお金と補給食と着替え等を入れて出発した。

目標は15時までに帰宅する事。もちろん妻の承認も得ている。

最初の20kmぐらいまではとても冒険的で楽しかったのを記憶している。
エネルギーバーなんかを食べながら走って「俺って今イケてる!」なんか思ってた。。。
25km〜30kmあたりはあまり記憶にない。
35km〜40kmあたりは流石に脚が前に出ない事がしばしば起こり少し歩いたりしていた。
40km過ぎでは足の裏やふくらはぎ、太ももがつるかつらないかの状態で腕も肩も凝ってて首も重かった。正にボロボロであった。そんな状態で信号待ちしていたら隣のおじさんが「お?長距離か?どこまで走ってたん?」と聞いてきたのでコースを説明すると「ほーすごいな!●●区一周か!すごいな!!!」とエールをもらったからには走らざるを得なくなり、残り2kmがんばって走った記憶は今でも鮮明に覚えている。あのジジイめ・・・

結果、グーグルの計測ミスで44kmぐらい走った事になり気になる帰宅時間は14時45分ぐらいだったと思う。
結果44kmを5時間45分ぐらいと想定より少し早く帰宅する事が出来た事で自身が生まれた。

この体験をもってようやくフルマラソン完走出来るかも知れん!と言う不安はある程度解消された。

そして待ちに待った大会当日
大会当日、緊張はもちろん不安はやっぱり多少はあったものの、そんな事も含めて楽しもう!と気持ちを切り替えていざスタート!参加者1万人と遊んだのはこの時初めて。

道中の沿道には応援に来てくれている人たちがずっっっっと続いた。こっちはゆっくりとは言え走っているので一人一人と目線は合わすことは出来ないけれど「がんばって!」とエールが聞こえる度に身体が元気なっているそんな気がした。応援/エールの力ってすごい!じじいすげー!

5〜8km毎にエイドステーションがあってそこで飲み物やバナナ、飴、チョコ、うどんや肉なんかも食べたり出来る。

そして遂に残り10kmの標識を見つけた時「あれ?あとたった10kmなのか?」と日頃の10kmを思い浮かべた。

多分ここで「まだ10km」「もう10km」と思えるかどうかが日頃の練習の成果なのかな?と今でも思う。

今でも覚えている事のもう一つの出来事
ここからゴールまでの道中に大会側からのエイドが無いにも関わらず一般の方が何らかしら配ってくれる私設エイドがある。ここで近くの老人ホーム関係のおばあちゃんが満面の笑みと声援とパンを2個貰った事は記憶から消えない。僕は一度ここで殺されかけていた。最近では昨年12月那覇マラソンゴール後の妻。注)マラソン中もしくは後にランナーにパンを与えてないで下さい。

そして残り2kmの標識が見えた時は流石にこみ上げるものがあった。実はこの記事書いている今でもこみ上げている笑

そして感動のゴール!体は想定よりもボロボロだったけど想定よりも問題無かった。だけど気持ちの方が嬉しくて嬉しくて本当に感動だった。ちょっと数年前まではヘビースモーカーで昼間っからお酒呑んでて気が付けば寝ての繰り返しだった人間がなんと42.195kmを完走した瞬間である!42.195kmなんてそもそも走る距離じゃないと思っている人はたくさんいるけど実際走る事は出来る。なんとかなる。この感動をみんなに実感してもらいたいのは正直な気持ちである。

記録は4時間45分

ゴールで待っていた妻より「よかったね」

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