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子供がいるから離婚できない、は卑怯

私の父は、酒乱、ギャンブル、借金、そのせいで家も売ったため、母は昼夜パートを掛け持ちして晩年までラブホテルの清掃をして病死した。
母には、父と別れて私と一緒に住もうと常々話していた。
だが母は首を縦に振らなかった。
経済的なことが理由らしいが、
真相は今となってはわからない。

私の友人は、母親から
「あんた達がいたから、お父さんと離婚できなかった。子供がいなかったらとっくに別れて別の人生を歩んでいた」
と今でも言われるという。友人も言い返す。
「その言葉が子どもにとって、一番迷惑なんだわ。
離婚しないでダラダラ子供のせいにして、結局離婚できなかったのは自分のせいでしょ。押し付けないでよ」
実家に戻れば口喧嘩になるので、
盆と正月にさくっと帰省を終わらせるという。
愛なのか、情なのか、親の事情など子どもにはわからない。

別の知人はこう言う。
「子供が小学生だから、まだ離婚できなくて。
1人で家においておくのも可哀想だし。
うちの親に離婚なんて言葉出したら倒れるかもしれないし」
普段は旦那さんと会話はないらしい。

今の時代、
夫婦喧嘩を子供に見せるだけでも、児童虐待に該当する。

うちの父のような、
昭和の頑固親父に泣かされていた母を見て、私も一緒に泣いていた。
あの時の自分の胸の痛みは、
児童虐待に相当するだろう。
だが、私が子育てをしていたころ、
別れた夫と口喧嘩の最中
次男が音で目を覚まし、
泣きながらリビングにきたとき、
私も子供を虐待していたのだと
今になって思う。

子供を不安にさせる。
怖がらせる。
苦しませる。
痛がらせる。
虐待行為だ。
親が思う以上に子供は敏感に察している。
気をつかっている。
何気ない親の言葉を一生引きずる。
子どもにとって何がベストか、
親ならまずそれを考えるべきだと思う。
親を見ている子供の気持ちになる。
子供の幸せを親が決めつけない。
子供が発するサインを見逃さない。
親と子はいつまで経ってもその関係は変わらない。
私も、人の親であり、人の子なのだ。
自分自身にそう戒める。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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