門番 短編小説4,034 文字
朝、アパートを出ようと階段を下りると門番が立っていた。
金髪に青い瞳、彫像のような体躯。おかしな帽子を被り、小さな鎧をつけ槍を立てて持ち、まるで古代ローマの戦士といった風体をしている。
俺は下駄箱から靴を取り出して履き出ようとすると、門番は引き戸になっている立て付けの悪い玄関を開けてくれた。
「すいません」俺は恐縮し、ぺこりと頭を下げた。すると門番は、フンと鼻を鳴らし侮蔑的な目で俺を見た。
あいつは何者だろう。一階の住人の友達か、金貸しの取立か、用心棒か。いや、やはりローマ帝国皇帝の門番というのが一番ぴったりくる。しかし門番なら、玄関の表に立つべきだが、あいつは中に入って階段の前にいる。二階に一人だけ住む俺のための門番なのか。
まあ槍を持った半裸の白人が外に立っていたら、すぐ警察に通報されるし、仕方ないのだろう。だけど、築45年のボロアパートになんで門番が必要なのだ。まあ、あいつがなんだろうがどうでもいいや。すぐいなくなるさ。俺は出勤するため駅へと向かった。
夜、駅前で一杯ひっかけた後、ほろ酔い加減で帰宅した。玄関を開けると門番が立っていた。裸電球の下、不動の姿勢をとっていた。
しばらく唖然としたが、気をとりなおして靴を脱ぎ、階段を上がろうとする。だが、門番は槍で俺の行く手を封じ通さない。「きさまどこへ行く」
「えええ、あの上に住んでいるもんで」
門番は俺の首根っこをひっつかみ、玄関の外へとほうり投げた。
「きさまがご主人様だとう、笑わせるな」門番はぴしゃりと玄関を閉めた。
仕方がないので、俺は裏から雨樋をよじ登り、台所の窓から部屋に入り明かりをつけネクタイを緩めた。
いったい何なんだあいつは。いつまでいるつもりなんだろう。ああ 困ったな、煙草が切れている。コンビニで買ってこよう。
俺はもう一度雨樋をつたい湿った地面に降りた。コンビニで煙草を買い、いつもの習慣でアパートの玄関を開けてしまった。
「またきさまか」門番は階段に座って、煙草を吸っていた。俺はさっきまで飲んでいた酒と怒りのせいで、少し気が大きくなっていた。
「おいこらきさま。門番が座って煙草なんか吸いやがって。立てこの野郎」
急に立ち上がったので、てっきり殴られると思い身構えたが、門番は不動の姿勢のままだ。気のせいか、喜んでいるように見える。
「玄関は禁煙なんだ。すぐ火を消せ、このぼけ外人が」
「はっ。申し訳ございませんでした。ご主人様」門番は火のついた煙草を素足で消した。
従順だ、なぜだ。階段を上がって部屋に戻り、煙草を吸いながら考えた。
あいつは俺が偉そうな態度をとったら喜んでいた。
そうかわかった。犬を飼うとき、飼い主は威厳を示して、主人は俺だという態度をとらないと、かえって混乱とストレスを犬に与えてしまうという。それと同じだ。あの門番は常に、誰かに忠実に仕えていないと気が済まないのだ。俺が威厳を持たないと、混乱するのだ。
俺はドアを開け、階下の門番に声をかけた。
「おいお前はどこからきたんだ」
「私は大天使ミカエルに仕える者。クルセヨであります。天界から遣わされました」
「あの、ちょっとビール買ってきてくれないかな」俺は小銭を渡そうとした。
「私は門番です。小間使いではありません」門番はちらりと侮蔑的な目を向けた。
「そうだよね。いやいいんだ、ははは」
そうかプライドは随分高いようだな。なんかこっちが気後れするが、なあに俺の方がえらいんだ。気にすることはない。
翌日も門番はいた。休日に部屋でテレビを見ていると下が騒がしい。
「つきあいだからよ。とってくれよ。アイテテなにすんだこの野郎」
どうやら新聞屋らしい。階下を覗くと、門番が派手な開襟シャツを着た新聞屋の腕をねじ上げ、外に放り出していた。
「二度と来るな」
「ちきしょう、おぼえてろ」新聞屋は捨てぜりふを残し逃げていった。
こりゃあいい。これでしつこい新聞屋や宗教の勧誘も来なくて済む。門番も悪くない。 俺は財布から千円札を出し、階段を下りて門番に手渡そうとした。
「なんですか、それは」そう言うと、門番は俺を無視して不動の姿勢をとった。
「いやいいんだ。ちょっとね。君も大変だと思ってね。気を悪くしたら御免ね。怒ってる? 怒ってるでしょ、やだなあ、ははは」
どうもつきあいづらい奴だ。俺は咳払いをしながら部屋に戻った。
一週間たっても門番はいた。飯を食っているところを見たことがないが、人間ではないので大丈夫なのだろう。
会社で同じ課の裕美子を誘ってみた。
「うちのアパートに門番が立ってるんだ。見にこない?」
「ウソウソ、なんで門番がいるの?見たあい」
しめしめ、ばかな女だ。裕美子とは一度だけホテルへしけこんだことがあるが、俺は酔いすぎて勃起せず失敗に終わり、それ以来気後れしてする機会がなかった。
夕方、軽く飲んだあと、俺は裕美子とアパートに帰った。
「わあかっこいい、この人が門番なの、どこの国のひと?」裕美子は相当興味を持ったようだ。女からすれば、単なるかっこいい外人だ。連れてきたのを少し後悔した。
俺は威厳を見せようと、門番にどうでもいい命令をした。
「おい、立つ位置を、そうだな10センチくらい下げてくれないかな。うん、そうそう」
「ねえ触ってもいい?」
「よせよ、仕事中なんだから」
裕美子は門番の厚い胸の乳首を触っていた。
「きゃー、ごめんなさい、お仕事の邪魔して。今度、海に行きましょうよ、門番さん」
「私の名はクルセヨ。大天使ミカエルに仕える者」
「さあさあ、俺の部屋に行こう」俺は裕美子を急かせた。
「ばいばいおやすみ」裕美子が手をふると、門番は少し顔を赤らめた。
六畳の部屋で俺と裕美子の激しいセックスは、第3ラウンドに突入した。
どうだざまあみろ、俺の方がえらいんだぞ、階下の門番に喘ぎ声がわざと聞こえるように、俺は裕美子を執拗に突きまくった。
突きながら、歓喜に悶える裕美子を見てハッとした。こいつクルセヨに抱かれていることを想像しているな、と少し思った。
ある日、夕方アパートに帰ってみると門番がいない。変だな、と思いながら階段を上がると声が聞こえる。
「こんなの始めて、すごいすごーい」
裕美子の声だ。俺は怒り狂ってドアを開けた。部屋では素っ裸の門番とその上に跨がった裕美子が激しく腰をくねらせている。陰部の擦れ合う卑猥な粘着音がしていた。
「おいてめえら、人の部屋でなにやってんだ。きさま門番の分際で」俺が叫ぶと、門番は鋭い目で言った。
「今日からお前が門番だ」
「へっ?」
「鎧と槍はそこに置いてある。さっさと着替えろ、いいな」
「はいはいはい、わかりました」自分でもびっくりするほど素直に従った。なんとなく以前から、その方が正しいと感じていたような気がしていた。
俺は会社へ行く気にもなれず、一日中門番として玄関に立つ日々が続いた。
夜になってカーキグリーンのスーツで決めたクルセヨ様が女を連れて帰宅した。毎日違う女だ。今日の女はワンピースで清純風だ。
「お帰りなさいませ」
「うむ」
「日本人の召使がいるのね。すてき」女が言った。
俺は召使ではない、門番だ。ばか女め。
階段を見上げると、女は下着をはいていない。やれやれ、門番もつらいよ。
ドアが閉まると同時に女の嬌声とみずみずしい粘着音が響き渡り、清楚な姿からは想像もつかないほど卑猥な言葉を喚き続け、三時間後の「死ぬう」という叫びを最後にアパートは静寂に包まれた。
月夜のきれいな晩だった。
突然玄関が蹴破られた。この前の派手な開襟シャツの新聞屋と5人のちんぴらが木刀や金属バットを持って威勢良くわめいていた。
「おいこら、この前の外人どうした」
俺は槍を持ってはいたが、この場合劣勢は否めない。大体勢いが違う。抵抗はしない方が良さそうだ。
「この上においでです」俺は二階を指した。
「どけ、さんぴん」新聞屋は俺の鼻に右ストレートをぶち込んだ。
俺は鼻血を吹きながら仰向けに倒れ叫んだ。
「クルセヨ様!」
5人が土足で階段を上がろうとすると二階のドアが開き、素っ裸にタオル1枚のクルセヨ様が登場した。正面を振り向いたダビデ像のように神々しい。例の侮蔑的な目で五人を見おろす。
5人は一瞬ひるむが、すぐに開襟シャツを先頭に突撃する。
クルセヨ様は木刀を叩き割り、金属バットを折り曲げ、雑巾のように捻り千切った。
ボクサー風のちんぴらが、軽快に左右のフックを連打するが、クルセヨ様には痛くも痒くもない。逆に左ジャブ一発を浴びて二階の廊下から玄関を突き破り、吸い込まれるように外へ飛んでいった。
「ウオリャーー!」
一閃の気合と共にクルセヨ様は飛んだ。
そのまま残る4人を真空四段蹴りで失神させ、玄関外に着地した。
股間の硬く猛り狂った物は勇者の誇り高く天にそそり立っていた。
俺は鼻血を拭き恐縮して言った。
「申し訳ございません。門番としての役を果たせませんで」
「なに構わぬ。いい運動になった」
クルセヨ様は部屋へ戻り、俺はちんぴら達をアパートの外へ片づけた。
クルセヨ様がイチゴ柄のパンツをはいて戻ってきた。
「ご苦労だった。今日はもう休みたまえ」そう言って、クルセヨ様は一万円札を数枚俺に渡した。「これは一週間分だ。あと夏と冬にボーナス、有給休暇は年10日、夏季休暇が7日だ。いいな」
「はい、ありがとうございます」
これで俺も一人前の門番てわけだ。それにしてもクルセヨ様は立派なお方だ。あんな人が会社の上司だったら、どんなに幸せだろうか。いや、あんな自信に満ちた日本人がいるもんか。
俺は万札を数えた。なんだこれなら、今の収入の倍以上じゃないか。やった、良かった良かった。
俺は玄関に段ボールを敷き、寝ころんだ。 そのうち、近くにアパートを借りてここに通おう。いい仕事が見つかって俺は幸せだ。みんなかわいそうだな、安月給でつまらない仕事をして、ばかな上司に文句を言われ会社にびくびくして。俺には立派なご主人様がいるもんな。また明日からがんばろう。
俺は裸電球の下で安らかな眠りについた。
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