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人生を180度変えたタイ留学



自己肯定感ゼロから始まった留学


英語の勉強をしに、1年間タイへ行った。
タイの母国語はタイ語。英語の語学留学でタイに行く人はなかなかいないと思う。笑

なぜ私がタイへ行ったのか。率直に言うと、叔父と叔母が住んでいたから。
私は恵まれすぎていた。一室を借りて、一緒に1年間住ませてもらった。
叔父、叔母、従姉妹には感謝しても仕切れない。本当に心の底から感謝。

留学が始まった当初の私は、自己肯定感ゼロ
「私なんかが幸せになる権利ない」とまで思い込んでいた。周りと比較してしまう自分が嫌でインスタグラムを3ヶ月間ログアウトした。

それでも前に進み続けないといけない海外の地で、
語学学校生活が始まった。

学校と言っても、かなりアットホームな学校で好きなカテゴリーの授業を自分で選択し受講するという形の学校だった。
先生はアメリカやイギリス出身のネイティブスピーカー。
生徒は9.5割タイ人。
1日2〜3コマ(1コマ1時間)

1日2〜3コマだったから、好きなことをする時間が結構あった。何をしてたかというと、

  • 英語の自主勉強(1日1.5〜2時間くらい)

  • ネトフリで映画鑑賞(週1本くらい)

  • ジムでランニング(ほぼ毎日)

  • サウナ(ほぼ毎日)

  • プール(2週間に1回くらい)

  • ダンスレッスン(週1)

  • 日本の企業のzoom説明会参加(2ヶ月間、週3回)

  • 友達と遊ぶ(週1〜2)

  • 自己分析(ほぼ毎日)

ざっとこんな感じ。私の中では女王様のような優雅な生活を送らせていただいた。
あ、あと6週間だけインターナショナルスクールにも通わせてもらった。
(もっと英語を勉強したいという理由で)

インターナショナルスクール。1番英語伸びた期間。

結論から言うと、日本に帰国する頃には、
自己肯定感レベル200まで上がる。
そして叶えたい夢を見つけ、人生が変わる。

何があったのか、いくつかの出来事を書いていく。

①叔父叔母、従姉妹と旅行に行った日の出来事


今でも鮮明に覚えている。

海を眺めながらランチをしているとき、叔父は私たちにこう尋ねた。

「こんなに幸せな日が無期限で続くなら、どのくらい続けたい?」

叔母「1週間」
従姉妹「え!? 1週間!? 私は1年でもいつまでも」
「私は幸せな日々が続くと罪悪感に襲われるから2日で充分」

すると3人から声を揃えて「罪悪感!?なんの?」と言われた。
当時の私は幸せを感じたり楽しいことがありすぎるとバチが当たるという考えを持っていた。
叔父「ゆめちゃん、幸せに罪悪感など要らん。罪悪感があるならそれは幸せではない。幸せは感じたもの勝ち」
衝撃が走った。
考え方、幸せの価値観が一気に変わった日になった。
私はこの日、3ヶ月ぶりにストーリーを更新した笑

ちょっと謎 笑

②ホームレスを毎日見て感じたこと

バンコクには道にホームレスの方がいた。
たまに見かける程度ではなくて、毎日通学路にいた。
お金を下さいと拝み続けるホームレスの方や、
信号待ちの車を勝手に水で拭き掃除し「チップを下さい」と最後に運転手の元へ行くホームレスの方。様々な方がいて、
ホームレスだけでなく、「チップを下さい」と座りこむ方を毎日見ていた。

英語が上達せず落ち込んでた日々も、
いつまでも過去に引きずってた日々もあったけど、
この方達を見ていると、私の悩みはいかに幸せすぎる悩みなんだと思わされた。自分が幸せすぎる環境で育ってきたことを知った。
幸せ者のはずなのにこの方達にチップすら与えてあげられない余裕のなさに情けなくなった。
日々にへこたれそうになっても、この方達に毎回勇気を貰っていた。
逆に私は何かを与えてあげられたか?
何もしてあげられないけど、できることを考えてみた。まずは、
生きてきた過去に悔やむのではなく、過去に感謝し過去を愛そう。
そう誓った。

③他国のスポーツ事情から感じたこと

体育の授業をしたことがない子に出会った。
そんな国があるんだ…。
ここでも、私の生きてきた環境の素晴らしさに気づいた。
私はすでに幸せ者であった。
体を動かすことがもたらす効果は、運動神経が良くなることだけじゃない。
たくさんの効果を持っていることを知っているからこそ、それを教えてあげられる人になりたいと思った。
私にも人を笑顔にできることがあった。見つけた。笑顔にしたい。
世界の子どもに体を動かす楽しさを教えたい
世界の子どもたちを笑顔にしたい
世界の子どもたちを救いたい

これが、私の人生かけてでも叶えたい夢


④私は初めから愛され者だった

留学当初は、本気で周りから嫌われていると思っていた。
全てから逃げ出したヤツだから。

でも違った。
留学を応援してくれていた人たちがたくさんいた。
SNSから離れていた時期も、電話をくれた友達、たくさんの人が応援メッセージをくれた。

そして、タイ人にも沢山愛してもらった。写真を求められるほど人気者だった。
周りが見えなくなっていたけれど、周りが見れるほど前を向けるようになったのは、間違いなく私の周りにいた人たちのおかげ。

この恩を私の生き方で返したいと思った。返すだけでなく、周りに勇気や希望を与える人になりたいとも思った。
初めから、私は愛され者でした。

気付かされたのも、夢ができたのも全部留学に行ったおかげで、
今では自分のことが世界一好きになった。自分の過去も大好きで、だからこうやって公の場で話せるようになった。
生まれ変わったかのように毎日が楽しくて仕方がない。
毎日が本当に幸せで溢れている。

全てを受け入れてくれた親には最大の感謝。
そして、いつも私に活力をくれるみんなのことが大好き。

一生をかけて恩を返すこと、人生かけて夢を叶えることをみんなと約束します。
私と出会ったみんなが幸せでありますように。








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