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息苦しさに立ち向かわないためには?

なぜ仕事ができなくなったか?

昨年秋、僕は仕事ができなくなってしまった。

いろいろと原因はあるのだが、すべてが息苦しくなってしまった。もう何年も仕事にしか全力投球せざるを得ず、余力は皆無になってしまい、諸々受け止めることが出来なくなっていたのが大きいと思う。

職場では、立ち位置として、どんなに納得できなくても、仕方ないから仕事だから、、で済ませなければならないことも多かったが、度を超えた意味のない対応の多さ、くだらないやりとり、今もあるパワハラ言動、小さな組織内での足の引っ張りあい、勝ち負け、マウントとりあい、妬み、本質的な問題解決にはメスを入れない体制、、、今を思えば緊張の糸が切れた。職場と職場を取り巻く社会では、息はできなくなった。

では、息ができないってどういうことか、今の社会の何が息苦しいのか、どう考えたら自分の中で整理できるのか、何が足りないのか、、、自分の中で改めて周りを見渡し、自分なりに分析し、わからないことを勉強し整理しないと前に進めないと思った(元には戻れないけど)。
この約3ヶ月強、いろいろなヒトと会い、本を読み、ゆっくり考えたことがようやく少し形として方向性が見えそうなので、これからいくつかに分けてまとめることにした。

休職すると、待ってました、とばかりに、会いたいヒトに再会できたり、新しいヒトたちと出会うことができたこと、次々と読むべき本が現れたこと、は、とても嬉しかった。

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自分が気持がよい社会、人間関係?のイメージ

さて、まず、僕が考える理想的な社会(?)、ヒトとヒトの関わり方のカタチとして、具体的にイメージできるのは、(小さい範囲だけど)こういうことだったよなぁ!、と思い出した。

1 小学生の頃、親たちは隣近所で何でも気軽に貸し借りをしていた。
あーー味噌がない、醤油がない、〇〇がない、お隣に借りてきて、と親に言われ、借りに行く。
その逆もしかり。しかし、その貸し借りは、等価交換とか、どちらが損得とか、そんな概念でやっていない。また僕は忘れ物・失くしものが常に半端ないため、学校でも友人になんでも借りた。忘れ物魔は他にもいて、貸し借りは日常だったし、先生には怒られるけど許される雰囲気が残っていた。

2 (ちょっと変わった)大学寮で暮らしていた頃、寮を出てひとり暮らしをしていた頃、常にお金はなかった。必要なものが無い時は持っている奴に分配してもらう(→タカる?)、持っている時はみんなに振る舞う、みんなが持っていない時はみんなで霞を食う、のが当たり前だった。酒もタバコも、ご飯も、場合によっては洋服も、風呂も、車も。寮にもアパートにも、話を聞いて外から知らない人が遊びに来て泊まっていくけど、そんなことも当たり前で、逆に常に新しい何かと繋がっていた。この貸し借りも、貨幣価値では換算できず、各々が見返りや等価交換、損得勘定等、まったく気にせず、それがある意味日常であった。

3 この大学寮での生活では共同生活をしていて、半年に一回、一緒に住むメンバーが変わった。僕は都合3年半この寮にいたので、7回違うメンバー入れ替え(正確には何回か一緒に住んだメンバーも居るけど)を経験した。これら先輩、同期、後輩との毎日の生活の中では、前述の物理的なもののやり取りだけではなく、知的資産/情報の交換も頻繁に行った。アート、音楽、映画、演劇だけでなく、哲学、政治、思想、社会等に関する本当に幅広い、僕が実家にいたら遭遇できなかったことをたくさん、そして濃密に共有し、交換することができていた。今なお、この時に受けた影響の大きさは計り知れない。

4 (ちょっとスケールが落ちるが、)大学時代、札幌で、地下鉄の駅で切符を買おうとして10円足りなく立ち往生していたら(とてもきれいな格好と言えない)、まったく見ず知らずの若い女性が自然に「はい」といって10円くれた。東京ではありえないので、なんて素晴らしい社会なんだ、と感動した。

5 小笠原村で生活していた頃も、まさに赤貧だったけど、夫婦プラスイヌ1の生活は、島の友人知人が普通に支えてくれた。家の帰ると、郵便ポストにトマトや卵や野菜が入っていて、ドアノブにビニール袋に入った魚がかかっていて、一品持ち寄りで誰かの家で豪華ご飯になったり、調査で農家に行くと「これもってけ」と言われ渡される。島社会に役立つ(と自分は思っていた)仕事をNPOでしていたということもあるけど、周りのみんなは見返りや等価交換なんか全く考えていない関係の中で生活が成り立っていた。困っている人を助けるのは普通だった。

6 小笠原での生活では、大学寮のときと同様に物理的なやり取りだけではなく、様々な生きていく知恵や経験を先輩方からたくさん受け取ることができた。それは船の操船、着岸、漂流、停泊の技術、無人島生活の技術、調査研究の技術、農家とのコミュニケーション、野山の歩き方、生き物の名前、、、それらは図り知れず、生活に根ざし、そして今もその技術は身体が覚えている。これら技術は、当然、それを後輩に伝えていくし、それは義務的ではなかった。

数え切れない、決して忘れない日常の記憶。
このときの「貸し借り」というより「受け渡し」は、今でも自分自身を形成している、大切で重要なファクターである。
もの、だけではない、諸々の事象の交換様式が、貨幣価値換算・等価交換「だけ」で成立しているのでは無かった時代。
貨幣が介在しない交換様式は、普通に助け合うとか、協力し合うとか、その周り全体に見返りを求めない(→細かいことは気にしない?そうすることが当たり前という感じ?)、自然発生的な繋がりがあって、メリデメとか損得とか、そういう(ちいさな)個人的了見に縛られていなかった。
ああ、それが僕の人と人との関係性(=社会)の理想なんだなと。 
 →あとに整理するが、これは「贈与」という概念、またはそれに類することのようだ

自由と平等、その狭間に?

今、生きていて、何が息苦しいか。
それは、「自由」と「平等」の狭間なんだ、と気がついた。
人類は、この課題を何百年間考え、そして答えは出ていない、、、ここが僕も今、直接苦しいことだ。
でも、振り返ると、その「狭間」=余力?余白?余裕?あわい!は、昔の生活や社会にはあったんだよね。
それが今はほぼない。
それはなぜか??

「自由」とは、言うまでも無く資本主義、自由競争社会、正に今の日本の状態であり、特に戦後加速化した、ほとんどの企業の理念。先に苦しかった企業内のくだらないマウント合戦や足の引っ張り合い、妬みはすべてこれだ。
今の生活基盤そのものである。

「平等」とは、マルクス主義的社会主義思想を元にした、社会的弱者を取りこぼさない理想的思想。必要だけどその理想への実現可能性は現代でも見えない。何をもって平等とするのかは、各々の関係値、その時々で常に異なるのでその判断すら難しい。しかし、本来は社会の中での格差拡大に歯止めも必要であり、弱肉強食が正解でないからこそ、この「平等」という概念が今も成立している。

前者が「強者」を中心とした思想であり、特に欧米社会に追随した日本の今の状態。弱肉強食の競争社会、個人主義化し、弱者は排除され、資産確保(=貨幣価値)が優先される。
組織間だけでなく、組織内でも個人が勝ち組を目指し、負け組を作り、貧富の差は拡大し、社会は分断していく。※今言われている社会の分断はコロナが原因みたいに言われるけど、そうではない。

後者は「弱者」を基軸とした考え方であるが、現実的には、旧ソビエト連邦や中国などの社会主義国は、階級のない共同社会という理想を目指したものの、ソビエトは崩壊、東ドイツもなくなり、現在の中国は様々な問題を抱えている。旧ソビエト崩壊当時は、政治的イデオロギー対決は自由・民主主義の勝利で終わった、という注目を浴びた。少なくとも、すべての「平等」を一元的に管理することはできないと頭の悪い僕でもわかる。でも理想とする方向性は自分の中の理想とも一致している。

(今頃気が付くなよ、と言われそうですが)「自由」と「平等」は、基本同時には決して成立しない。成立していたら、今はもっと安定した世の中になっている。

つまり二項対立、二元論では、いつまで経っても終わりはなく、「自由競争」に寄った今の社会の側にいたのでは、息苦しい状態は止まらない。
そんな日常生活に、どっぷり浸かっていたから息が出来なくなる。
細かな原因はたくさんあるけど(対人関係とか)、でも大本はここだ。

しかし、なんでもかんでも競争し優劣を付け、勝ち負けを作るという考え方だけでは、息ができない訳である。じゃあ、すべて平等、例えば企業における給与も職員全員同じにできるか?それはできない。手塩に掛けたお野菜と、大量生産の野菜を同じ価格で売れるか?それもできない。

競争社会でのくだらない勝ち負けに端を発しつつ、いつの間にか答えの出ない社会的な狭間で、溺れていたのが僕である。。

自由と平等を繋ぐ要素とはなにか?

でもさ〜、そんなことは18世紀末にすでにたくさん議論されているし、ひとつの結論は出てんじゃん。。何を今更、勉強不足でしかないじゃん。

そうなんです。フランス革命で資本主義が生まれた時に、「自由」と「平等」の二項対立では成立しないので、それを埋める「友愛」を加えた3つのスローガンがすでに生まれていた。中学で習っていた。

(人間が理屈で考えた思想としての)「自由」と「平等」とは異なり、この「友愛」は人間の感情である。「友愛」は、理屈では腑に落ちない原理の暴走に対する、人間的なアラートである

と、(僕の心の師である)内田樹先生は言う。なんて素晴らしい。

内田先生曰く、20世紀後半までの人文科学・哲学の基礎のほとんどがフランスの賢人が作り上げた。しかし、その賢人を抱えていたフランスが、今現在、世界で一番安定した幸せの国かというとそうではない。
でも、「友愛」という第三の要素は、今の社会に足りない、僕の理想に近いキーワードだ。社会のあり方、構造を見直し、新しい考え方を指摘したのが哲学者の柄谷行人氏で、現代社会を超える未来の方向性を提示されている。
柄谷氏は、交換様式に着目し、4象限からなるマトリクスで整理した。

 B:略取と再配分 | A: 互酬
   (支配と保護)|   (贈与と返礼)
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>  【平等】
 C:商品交換   | D: X
   (貨幣と商品)|
          V
          【自由】

四つの交換様式は同時に存在していて、どの交換様式が支配的かによって、社会のありようが決まってくる、と説く。

 Aは氏族社会
 Bは国家(理想としての社会主義国家)
 Cは資本制社会(自由競争主義社会、今の日本)

が、その代表例となる。

ではDという交換様式が何か、、、まだこの社会はいまだに存在していないという。Dは、Aを高次元で回復したもので、自由と平等を担保した未来社会の原理として説明されていて、歴史上にあるDは様々な形を取るため、柄谷氏は〈X〉と名付けた。

それって、これまで考えていた「足りないパート」の最終形?
これは、もしかしたら僕が考えている方向と同じ、ないし類似しているかもしれないと思った。
考えていることは同じだけど(もちろん柄谷氏は高次元、難解)、まだ賢人でも具体的な答えには導けていない。

このDに関して、氏の最新発刊した「力と交換様式」で分析と考察がなされているので、理解できるか挑戦中だ(まだ読み終わらない)。

柄谷氏は、最新刊を書く中で、Dを考えることに、もう頭が働かなくなったと言うが、
「Aの高次元での回復がDであり」(→これは僕もそれしか無いと思う)、「Dは人間の意思では作り出すことができない」という。
これも当たり前なのかなと。なぜならばそこに到達するのは理屈(思考して出力するもの)ではないからだ(≒ 友愛?)。

「(Dは)意識的に交換様式Aを追求すること(AがDをもたらすのではない)、単体として存在するのではなくBやCに囲まれて『ローカル』に留まる」と考えているとのことである。

「Aの高次元での回復がD」と、「AがDをもたらすのではない」の関係値はよくわからないので、もっと読まねばなのだが、、、
しかし、「A=贈与と返礼」は、僕の『良い人間関係の具体的』イメージにとても近い、というか同じだ。
しかもローカルスケール、すなわち国家という大きな単位で成立せず、より小さい単位で成立するもの、ここの揺るぎなくその通りだと考える。

交換様式Xに繋がる「贈与」とはなにか?

では、交換様式Xに繋がるAの、「贈与(と返礼)」とは何か?
近内悠太氏は、著作「世界は贈与でできている」の中で、

要は「あなたから受け取りました」と認識する主体が現れたときに、“僕があなたに何かをあげていたことになった”という事後的で遡及的な構造を持つやりとりのことです。本人は自分がそんなことしたことすら気づいてないけど、「あなたからわたしが受け取りました」という善なるもの、よきもの、美しいものがそこに渡された構造なるものが僕の贈与の捉え方ですね。

つまり貸し借りゼロの概念(=等価交換、その背景にある貨幣価値換算)ではなく、贈与にはタイムラグがあり、送ってもらった当人には返せない、等、贈与に対する返礼が別なカタチで連鎖し、この返礼が次の贈与にっていく流れということだ。単なる貸し借りゼロは先はない。何も生み出さない。

さらに近内氏は「思考のコンパス」という対話集の中で、

自分が受け取っていたことに遅れて気がついた。この「遅れてしまった」「私は出遅れた」「もう返礼ができない」という思いが罪の意識、負い目となり、新たな誰かへの贈与を強く促すことになる。こうした「与える/受け取る」の間に時制のズレがある贈与こそが、人と人をつなげる、世の中をより良いものにする効果のある贈与なんじゃないかと思います。

うむむ、こちらは完全に僕のもやもやの要因と、何かしなければならないのにまだできないという焦燥感(罪の意識)の理由と同じだ。その意味で、「贈与」というキーワードがとても僕にとって大変重要であることが理解できた。


ちなみにここからは余談になるが、、、、「贈与」という言葉の定義、というか意味の解釈は、実はとても幅がある。あくまで前述の見解は近内氏と僕の見解が一致したに過ぎない(⇒実はそれだけでないけど)。「贈与」という考え方は、哲学的にも経済的にも、実は20世紀から多くの賢人が考えていることであった。。

1925年にマルセル・モースが書いた「贈与論」(@森山工:「贈与論」の思想: マルセル・モースと〈混ざりあい〉の倫理からの参照)では、贈与の定義には「義務」を伴う。与える義務、受け取る義務、返礼の義務だ。贈与は霊的であり、もらったものを滞納すると死ぬと考える社会集団の研究についても言及されている。 

義務。
あわせてモースが研究した「贈与」は、行為としての与えるを生み出す意志の形成や、返礼を受けやすくする構造等にも及んでおり、必ずしも必要ではないが「目的を持った与える行為とそれに付随する返礼がある前提の『贈与』」であり、条件を必とせず見返りなどの目的を有さない交換としての近内氏と僕の『贈与』とは意味が少し異なるかもしれない。

また内田先生は、著作「困難な成熟」の中で、

「自分は『誰かが創造したもの』を気がついたらもう受け取ってしまっていた」という被贈与の意識(レヴィナス先生が「始原の遅れ」と呼んだもの)が贈与を起動させるのです。あるのは「受け取ってしまった」という被贈与感と、「だからお返しをせねば」という反対給付の義務感だけです。

返礼しなければという「義務感」を「義務」として考えるのは僕は嫌だけど、まさにその「気がついてしまった」⇒このまま受け取ったままでいてはいけない(気がする)という気持ち、その焦燥感は、内田先生が指摘した通りの、まさに「受け取ってしまった」「お返しせねば」というセットだ。

冒頭に戻ると、つまり、僕が原点に立ち戻る時の原体験である前述した記憶6点は、「受け取ってしまった」「お返しせねば」のセットであり、「受け取ってしまった」が自分としてすごく多いのに、まだ「お返しせねば」が足りていない気がすると思う、この焦燥感、ただしこの焦燥感はとてもポジティブ、これが行きていくためのモチベーションの一つにもなり、自分が社会の中の一個人として、まずやらなければならないことなんだと気がついた。

さて、そろそろ、なにが言いたいか?

資本主義、自由競争は、決して否定されるものではなく、自分を含めて大半の人々にとって必要であることは間違いがないけれども、それだけでは社会が成立しなくなるほどの限界まで来てしまっていると感じる。それは結局、僕だけではなくて、多くのヒトが思っている。だから僕は、同じことを考えている数多くの著作を読めるわけである。

話を元に戻して整理すると、
今、僕が社会が抱えているモヤモヤ解消に必要なのは、自由と平等を埋める、理屈ではない何かである、それは僕の直感的な原体験がベースにあって、そしてそのヒントは『贈与』にあると、僕は確信した。

そして、調べれば調べるほど、贈与論はすごく古くから実は研究されていて、それに関しての著作も多く、今回は触れていないが、まあ実は自分が相当なにも知らなかった、無知だったと改めて気がついた訳である。

ここで勘違いされたくないのは、『贈与』が中心で、貨幣は必要がない、物々交換の時代に戻りたい、そういう社会に戻るべきだ、と言っている訳で全くないこと。

現代の(日本の)社会の枠組みや、ヒトとヒトとの関係性がドラスティックに変わることはありえない中で、少しでも生きやすくなるための、足りないことは何か?を具体的に考えてみた結果として、ひとつが『贈与』という概念だということだと思う。

そしてとても重要なことは、内田先生も繰り返されている通りで、「何かを受け取ったという理解/気持ち」であり、それを知覚できる精神状態を保てることが大切であるわけである。メッセージは誰からでもよい、そしてメッセージである必要もない、しかしその何かを自分宛てのメッセージとはっきり知覚できること、それを自分だけに滞留させずに誰かに渡していく、ということだ。

なんかもらった、ラッキー、自分のために使おう!(自分で滞留させる)は、今の社会の典型だ。
それを奪い合うのも、足引っ張り合うのも、今多く見る場面かもしれない。
そういう中には、もう戻りたくない。

考えてみたときに、僕が生活していて気持ちがよかった時代があったように、昔は社会の中に(と言っても20年くらい前までは)それが当たり前にあったのですよ。
また、例えば東北大震災のときに避難所で混乱がおきないようなこと(日本人の規律の素晴らしさと世界でしばしば称賛されるあれ)、様々な助け合いがあることは、日本の中では昔から当たり前であり、つまり日本には今でも存在しているわけですよ。
それが希薄になってきているだけなので、みんなが『被贈与』をいつも知覚できるようになれば、社会がもっと生きやすくなる。

日々感じている、その希薄を、そのままにするのではなく、失われる前に気がついていく、思い出していくということができれば、と改めて考えた。
勝ち組とされるヒトを称賛し、メディアが取り上げている以上、そちらにバイアスが掛かっているいるのは仕方ない、諦める(⇒マスゴミは本当に見なくなった)。首を自分で締めているヒトたちのことは、一旦忘れる。でもパスは出すかも知れない。

次回は、もう少し深堀りしたことをまとめてみます。
いやーーーーしかし、恥ずかしいほど無知だったんだなぁ。先人の賢人たちはみんなすごい!
2023.1.25(1.27一部編集)


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