話しながら考える”口走り”という思考の仕方(みっちゃん)

このコラムは2021年の春休みに行った、早稲田哲学カフェメンバーによるコラム企画の際にFacebookに投稿したものです。こちらはメンバーのみっちゃんによるものです。ぜひお楽しみください♪

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【話しながら考える“口走り”という思考の仕方】
対話を一年近く続けていると,何かと変化に気づくものです。今回はその変化をひとつ,ご紹介しようと思います。
私はひとりで考えるのが好きです。
およそ1年前,それをきっかけに運営メンバーになりました。
しかし,哲学対話はひとりで考える場というよりも,参加者全員で発言しながら一緒に考える場です。
ひとりでいろいろと考えるのが得意であるとしても,他の人の話を聴いて理解し,それを踏まえてすぐに自分の考えを表現するということは,私の苦手とするところです。
それゆえに,じつは最初の半年間の対話ではたいてい「聴くことに精いっぱい」の状態で,消化不良に終わっていました。
他の人の考えを聴いて理解するところまではできても,それを踏まえて頭の中で自分の考えを整理する余裕がなく,それゆえに自分の考えをはっきりと発言できずに終わることはよくありました。


そうした中で,ある日突然,変化に気づきました。
哲学対話において自分が発言しているとき,事前にあらかじめ頭の中で考えたことを口にするだけでなく,事前には考えていないことを「口走っている」ことがあったのです。
ここで言う「口走る」は「余計なことを口にする」という消極的な意味ではなく,口が勝手に動き,あたかもその言葉が私の思考を作り出しているかのような感覚を持つ状態を指します。
「話しながら考える」に近いと思います。
「そうか,対話ではこんな感じで思考することもできるのか」
それまではいつも,まず頭の中で考えを整理したうえで発言しようと思っていました。
もちろんその言語化も大切ですが,それが苦手で発言するまでに時間のかかる私にとって,話しながら考える「口走り」という方法に気づいたことは大きな転換点でした。


この「口走り」は少し怖いものです。
事前に考えを整理していないので,まとまらない可能性があります。
それを発言することでどのような影響を与えるのか,あまり考えていないという怖さがあります(もちろん,対話において守るべき“否定をしない”は念頭に置いて話しています)。
一方で,そこには類を見ない秘められた力があるようにも思います。
「口走り」によって,今までは思いもよらなかった考えや感情に出会えるかもしれません。
同席する他者に大きな発見を知らず知らず与えている可能性もあります。
この「口走り」は,対話において重要な役割を果たしているのかもしれません。
さらに,「口走り」は哲学対話という場でこそ可能なのだと思います。
価値観の異なる人が集まりつつも,傾聴の姿勢をもって対話をする環境であるからこそ,安心して「話しながら考える」ことができるのです。
1回きりの参加では気づけない対話のおもしろさや自分自身の変化を,皆さんも見つけてみてください。


みっちゃん

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