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さよならカングー

先日、自家用車を手放した。ルノーのカングーという、フランスのクルマだ。

マリノアシティ福岡の駐車場にて

アナログらしさが人気の理由

今どき流行している精悍さとはほど通り、ずんぐりとしたスピード感のなさそうなボディ。荷物を載せることを重視したがゆえの狭い後部座席。衝突回避ブレーキなどの安全装置もほとんどない。イグニッション(点火装置)も、リモコンキーをポケットに入れておけばボタンを押すだけでエンジンがかかる、という仕様にはなっておらず、鍵を差し込んで回す「伝統的手法」だ。

前照灯だって、今や青白く光を放つLEDやHIDが主流になっている中、ハロゲンライトがよく似合う。実際ぼくも、購入時に「LEDライトにしてください」って注文したら、ディーラーの営業担当者から「おすすめしません」と止められたほどだ。

そのアナログさゆえだろう、カングーには根強いファンがいる。カタログには、メーカーオフィシャルかどうかわからないが、富士山を望む広場にカングーがずらりと並び、いわゆるオフ会のようなものが開かれている写真が掲載されている。BMWとかJeepとかだと、異なる車種でも集まりそうなものだが、ルノーに関しては、カングーだけが特別な存在のような気がする。

カングーのカタログより

そんな人気車種のカングーに、わが家で最初に目をつけたのは妻であった。まだ他のメーカーのクルマに乗っていた頃、対向して走ってくるカングーを見つけては「あのクルマ、かわいいよね」とか「次乗るならアレかな」とか、たびたび呟いていた。「何? 花屋さんでもするの?」ぼくのカングーに対する偏見である。なんとなく、花屋さんの配送車のようなイメージだったから。

実際、ディーラー職員の話では、カングーはフランスでは商用車に位置づけられているらしい。だから荷物スペースが広く、天井部分にも収納スペースがいくつもある。カーナビを取り付けると見えなくなるダッシュボードの中央部にも凹みがあり、そこにはA4サイズのバインダーが入れられる。配送のドライバーが運行日誌などを入れておけるように想定されたものだ。

特別仕様車という誘惑

2020年暮れ。それまで乗っていたマイカーを、長男が運転中に道路脇のポールにぶつけてしまった。

長男の運転でキズがついてしまった

写真でわかりにくいかもしれないけれど、助手席側のボンネットがやや横に広がったような感じになっている。このままでも走れなくもないが、修理の見積もりを取ると100万円を超えた。自動車保険を使うことも考えたが、購入から8年が経過し、維持費も高くなってきていたので、思い切って買い替えを決断した。

その長男が、翌年春に学校を卒業して就職のために大阪に移住する予定だったことも背中を押してくれた。後部座席に人を乗せる機会はほとんどないから、コンパクトなクルマでいい。ただ、荷物は多く積めたほうがいい。そんな条件でクルマ選びをしていたら、自然と浮上してきたのがカングーだった。ほかにもホンダのフリードが候補に上がったが、ご近所さん、もっと言えばわが家の裏に住んでいるお宅の車がフリードだったので、重複は避けたいという心理も働いた。なにより、妻が「やっぱりカングーじゃない?」と前々から気になっていたことが最大の理由だ。

ディーラーに行き、試乗をし、見積もりを取り、あれよあれよという間に契約まであと一歩というところになった。ところがそのタイミングで、営業担当者がとんでもない一言を口にした。「実はカングー、モデルチェンジを予定しておりまして、お売りできる新車はいまディーラーに残っている特別仕様車1台だけになります。先に他のお客さんから仮予約をいただいておりますが、キャンセル待ちということでよろしいでしょうか?」

特別仕様車。限定1台。キャンセル待ち。ビールでもコンビニスイーツでも「期間限定」に弱い性分。ダメ元で申し込み、ディーラーを後にした。その翌日、先約がキャンセルとなったと電話が入り、めでたくわが家に来ることになった「最後の一台」。通常のイエローより濃い、山吹色に近いカラーリング。特別仕様車名は「ラ・ポスト」、つまりは商用車の中でも郵便局の配達で使われるクルマだ。

納車の日
持ち主の迎えを待つカングー

12月20日、納車。ディーラー職員全員に見送られ、気分良く車を走らせる。まっすぐ家に帰らず、まず向かったのは久山町のコストコホールセール。トイレットペーパーや洗剤類、缶ビールなどをまとめ買いし、広い荷室を実感した。

デジタル積み過ぎでエンスト頻発

「買い物に出かけようとしたんだけど、エンジンがかからない」仕事中に妻からの電話がかかってきた。まず疑うのはガソリン切れだが、駐車中にそんなことが起こることは考えにくい。次はバッテリー上がり。ライトをつけっぱなしにしたかというとそんなことはない。アナログなクルマといいながら、カングーはちゃんとエンジンを切ったらレバーがONになっていても照明は消える。

なによりもまだ新車で買って1年も経っていない。バッテリーがヘタるなんて…。とにもかくにも、保険会社に連絡して、ロードサービスを依頼する。果たして、ジャンピング(バッテリー同士をつないで、電力を分けてもらう)では始動せず、容量がほとんど残っていないことがわかった。レッカー移動でディーラーまで運び、バッテリーを無償交換して引き取りに行った。

…というエピソードが一度では済まなかった。この3年弱の間に5回。原因は一つではなく、複合的なものである。ひとつは、3日以上エンジンをかけていなかった。ぼくは通勤には50ccのスクーターを使用しており、クルマのハンドルを握るのは休みの日くらい。平日は妻が使っている。妻は年に1〜2回、帰省を含めて自宅を留守にすることがあり、バッテリー上がりは大抵そのときに起きた。

あるとき、魚釣りに出かける前夜に、自宅から目的地の漁港までの所要時間を調べようと、エンジンをかけずにカーナビを操作していて、バッテリーが上がったことがある(操作時間はほんの数分)。このときもちょうど妻が数日前から不在にしていた。釣りは午前6時集合だったから、慌てて一緒に行く予定の同僚に連絡して、早朝自宅に迎えに来てもらい、ことなきを得た。

レッカー移動で自宅からディーラーへ

もう一つの要因は、カーナビそして、ドライブレコーダーである。そもそもこのクルマに大画面・高機能のカーナビをつけてはいけなかったのだが、ほぼフルスペックに近いカーナビをディーラーオプションでつけてしまった。これが待機電力の消費につながった。そしてドライブレコーダーも、カメラが前後にあり、駐車中も監視状態にできるものにしていた。これがバッテリーの劣化を招いたのだ。

このドライブレコーダー、いちどディーラーに頼んで、エンジン停止中の駐車監視をしない設定に変えてもらっていたのだが、いつの間にか、理由もわからないままそれが復活していた。やはり、アナログの良さを売りにしているクルマに、過剰なデジタル機器の搭載は相応しくなかった。

不運続き…ついに自宅以外の場所でも

バッテリー上がりだけで5回も修理送りになったが、それだけでは済まなかった。あと2回、アクシデントがあった。一つは飛び石だ。フロントガラス中央下部に胡麻粒ほどガラスに欠損ができているのが見つかった。そこを起点に、毎日1~2センチずつ、亀裂が水平に2本伸びていく。ついに亀裂の長さは30センチを超え、放置していると危険な状態になった。当然、修理といっても今のフロントガラスを残すことはできず、丸ごと交換となった。修理費用は自動車保険で賄ったが、免責5万円分は自己負担となった。

もうひとつは、シフトレバーがPから動かなくなるトラブル。こちらは、妻が買い物に出かけていたスーパーの駐車場で起きた。エンジンはかかっても、シフトレバーが動かなければ、車は前にも後ろにも進めない。またも保険会社が手配したロードサービスの出番となったが、ここで厄介なことが起きる。

このスーパー、2階部分が売り場で1階が駐車場という構造になっており、レッカー車は高さ制限で駐車場内に入れない。ロードサービスの作業員がシフトレバーのカバーを外し、無理矢理シフト操作をすることによってなんとか駐車場内から外へ引っ張り出し、ディーラーまでレッカー移動させてくれた。原因はブレーキスイッチの内部不良。

そんなこんなで最初の車検を迎える予定の2023年12月までの間に6か月ごとの点検以外に7回もディーラーに出向くことになった。福岡市内のルノーの正規ディーラーは、博多区東那珂にある。福岡空港国際線ターミナルの南に位置し、自宅から行くには地下鉄で東比恵駅まで行き、そこからディーラーが手配してくれる送迎車に乗るしかない。かなり遠い。物理的な距離と「またもしどこかでエンジンがかからなくなったら…」という精神的な負担がわが家を襲う。重い決断ではあったが、購入から2年半となった2023年5月、車の買い替えを決断し、今度は自宅近くの国産車のディーラーで新車の購入契約をした。

それでも断言できる「モノより思い出。」

「モノより思い出。」はクリエイティブ・ディレクター小西利行さんが日産・セレナの広告コピーとして生み出した。個人的に非常に優れた名コピーだと思う。クルマに限ったことではないが、やはりこのコピーは車との生活を端的に言い表している。

カングーと過ごした3年弱、モノ、つまりクルマ自体には何度も痛い目に遭わされたが、思い出は深かった。新型コロナウイルスの流行真っ只中で、それまで電車やバスで出かけていたようなところへも、マイカーで移動することが基本になっていた。

なにより、先述したとおり長男の大阪への引っ越しでカングーは大活躍した。引越し業者に頼まず、座席は家族3人が座れる分だけ残して載せられる分だけの荷物を詰め込み、新門司港から大阪行きのフェリーに乗った。大阪に着いてからも、新居とホームセンターや家電量販店を何往復もして、生活必需品を買い揃えた。

引越し荷物を詰め込みフェリーで大阪へ

さらに、妻の実家にも寄って墓参りや介護施設に入っている義母との面会も済ませ(感染防止策のため窓ガラス越しだったが)、帰りは陸路を中国道から山陽道、再び中国道に合流し、関門橋を渡って九州道で福岡まで。長男を置いて帰る、親としては寂しさこの上ないドライブだったが、だからこそ、強烈に記憶に刻まれているできごとだ。まさにモノより思い出。

SL愛好家のような心境

ぼく自身も鉄道好きの端くれで、珍しい車両に乗ったり撮影したりするとワクワクするものだが、その仲間内でもSL(蒸気機関車)が好きだという人の理屈は面白い。「煙を吐いて上り坂を駆け上がる姿は、ゼイゼイと息を切らしながら走っている人間のよう」なところに惹かれるという。アナログちっくなカングーの愛好家にも通じるところがあるだろう。

わが家のカングーもどうしようもなく手を焼かされた。まるでいうことを聞かない子供やペットのように。そう、まさにSL愛好家がたちがいう、人間くさいクルマだった。だから、わが家のマイカーの中で最も短期間で手放すにもかかわらず、このような長文を認める気になったのだろう。ぼくたちは確かにカングーを愛していた。そして、まだ好きなうちに別れることを決めたのだ。


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