相続放棄〜生き別れた父の死〜(前編)⑦

2022.2.28(月)相続か放棄か。司法書士事務所で決断

この土日、家にいる間はずっとパソコンに向かい、相続する場合と、放棄する場合の手続きについて調べていた。相続する際は銀行口座含む現預貯金あるいは債務まで調べることになる。それは時間も作業も要するし、それを弁護士や司法書士に代行してもらえば、べらぼうな金額が請求される。不動産に関しては所有している物件があるのでこれを移転登記し、その後売却すればいくらかお金は入る。リスクは父が債務を残していた場合や、父の自宅が売れなかったり非常に低い金額でしか買い取られなかったりした場合に、こちらが負担しなければならない金額が大きくなることである。一方、相続放棄はお金が一銭も入ってこない代わりに、リスクを背負うことも小さい。相続・相続放棄いずれの場合も、ぼくや甥っ子、それに父の戸籍謄本が必要で、いろんな書類を用意した上で、移転登記は法務局、相続放棄は家庭裁判所に提出しなければならない。


相続放棄は3か月以内という期限、年度末の仕事の忙しさ、費用…。40年間会うことはおろか、電話や手紙も一度たりともなかった父、ぼくと弟の親権を争うことなく放棄し、養育費を一切支払わなかった父が、今ごろなんでこんな負担を息子に強いるのか。腹立たしさを感じながら、検索しては手元のノートにメモをしたり、印刷したり、PDFデータに保存したりを繰り返す。そして、最終的には自分で手を煩わせるよりも、プロに任せた方がスムーズに物事が進む、という結論に至った。


自宅付近で司法書士事務所を探す。数件ヒットした中で、ホームページを開設しているところをチェックする。すると、自宅最寄駅の駅前に事務所を開設している司法書士が相続に関する相談を前面に打ち出している。ここだ。月曜の朝いちばんに電話をかけ、仕事を早めに切り上げて雑居ビルの3階にある事務所へ。1階はぼくも何度か行ったことがある居酒屋などがあり、2階には歯医者。3階からはどうやらマンションになっているようだった。インターホンを押し、鉄扉を開け、靴を脱いで上がる。すぐに応対してくれた、ぼくより少し若く見える司法書士に、父との関係、通知が来てからの行動などを一気に話す。


「たしかに、預貯金を調べるためには、各金融機関に一件一件当たっていく必要がありますし、その回答が来るのがいつになるか分かりません。不動産もすぐに処分できればいいですけど、それまでの間に、管理費や固定資産税を負担することになります」司法書士は穏やかに説明する。「財産が1億2億あるなら話は別ですが」3日前に聞いた妻の言葉をそのまま再生しながらぼくは続けた。「父との縁はとっくに切れていると思っていますし、できるだけ早くスムーズにこの話は終わらせたいと思っています。義妹も甥っ子たちの相続分は放棄すると申していましたので、相続放棄で進めてください」

正直にいうと、司法書士に会うまで相続手続きをするか放棄をするかは決めていなかった。しかし、肚は決まった。父の死亡届を市役所に提出したのは後妻の親族だという。きっと遺骨や遺品の後始末もしてくれたのだろう。彼らに相続権はないが、財産の処分については委ねよう。彼らの手元に幾ばくかのお金が残るのなら、それはそれでいい。そういう考えもあった。ところが司法書士は想像していなかった答えをする。「宮岡さんが相続を放棄した場合は、次の法定相続人の順番は、お父様の兄弟ということになります」思わず「あ」と声が出た。なにがどうなっても、後妻の親族に相続権はいくことがないのだ。仮に相続人全員が放棄した場合、管財人が選任されて遺産を処分することになるのだという。そうすると、結局何かしら手元に残る財産があれば、再び法定相続人の上位、すなわちぼくから順に連絡が入るのだそうだ。


父の生まれ故郷はぼくが育った広島県福山市と県境を挟んで隣接している、岡山県井原市だ。父が家にいた頃はたびたび車で遊びに行っていた。自宅から井原市までは国道182号線を北上し、まだ係員が常駐して手動で遮断機を上げ下げしていた福塩線の踏切から右に曲がって国道313号線を東に走る。途中何か所か、鉄道の高架と思しきコンクリートの建造物が沿道の田んぼの真ん中にぽつん、ぽつんと点在していた。現在、井原鉄道として福山市の神辺駅と岡山県総社市の総社駅を結んでいるが、開通したのは1999年。ぼくが26歳の年である。着工から開通まで相当な期間がかかっている。というか、その当時は国鉄が巨額の債務を背負っており、工事自体がストップしていた。閑話休題。父の実家は道路に面した側で文房具店を営み、奥では祖父が洋菓子を作っていて、主にカステラを焼いて小売店に卸していた。カステラは必ず切れっ端が出る。これをもらっておやつ代わりに食べるのが、ここに遊びにきたときの楽しみのひとつだった。同じ敷地の離れに学校の教師をしている伯父の家族が住んでいた。従兄弟たちとは歳が近かったので一緒に遊んで過ごし、泊まったことも何度かある。


「そのお父さんがなんで離婚した後、東京にいたのかしら」妻が不思議そうに呟く。「言ってなかったけ?ぼくが産声をあげたのは、福山じゃなく、埼玉だったってこと」「知らない」父は工業高校を中退し、自力で就職することができなかったらしく、実姉の嫁ぎ先である埼玉県内の会社に就職した。そこで母と結婚し、ぼくが生まれた。その後、母の故郷である福山に引っ越して洋菓子工場で働き始めるのだが、こことて祖父のコネで入ったらしい。母と離婚した後、再び姉を頼って上京したのだろう。K市と、ぼくの出生地である埼玉県S市は目と鼻の先にある。6歳のとき、1度だけ父と一緒に埼玉の伯母宅に行ったことがある。後楽園ゆうえんちで遊び、東京タワーに昇った。あれから42年。高校の部活や就職活動、仕事の出張など東京には行くことは幾度となくあったが、東京タワーにはそれ以来一度も昇っていない。


「ぼくが相続を放棄すれば、父には兄と姉がいるので、そちらに相続権が移るわけですね」岡山の伯父や埼玉の伯母がもしこの世を去っていたとしても、それぞれ子供(ぼくの従兄弟)がいたので、彼らの誰かが父の遺産を引き継ぐことになるだろう。「あいつ(ぼく)は親父の相続を放棄したのか」後ろ指を差されるかもしれないが、縁を切ったのは父の方だ。


ひと通り話を聞いた後、司法書士は今後の流れについてすらすらと説明する。必要書類が揃ったところで、家庭裁判所に申し立てをすること。弁護士とは違い、代理人ではないので、家裁からの連絡は本人のところに入ってくること。その都度、司法書士と情報をすり合わせて次のステップに進むこと。費用は今回ケースの場合、戸籍謄本の手数料や郵送料といった実費を含めても10万円まではかからないだろうということ。いずれも想定の範囲内であった。


(後編へ続く)

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