noteについて2024.4
わたしは世界の中の1つの本棚
それがこのnoteってことや
読んでくれる人がいてありがたい
何よりいろんな人のnoteを読んで
共感新鮮関心やさしさ驚きなどを感じて
みんなが生きて記してることに勝手に喜んでる
ただのロマンチスト且つ楽観悲観で
日々生きるわたしはきっと誰かと分かり合いたい
どんな境遇の人でも
少しでも重なるところがあるはずや
誰しも背負った荷物やら誇りやら感情やらと向き合い生きてくんや
持ち物は自分で選ぶんや!と言いつつも
気づいたら増えとる 減らすのもしんどい
嫌なこと思いだすときもあるよな
はらわた煮えくりかえることもあったからな
自分自身に対して誰かに対して
そんなとき軽さをくれるのは言葉ちゃうかな
直接的間接的にその人を軽くして考え方を楽にするんとちゃうかな
いろんな人がそれぞれ生き方を
身につけてる途中や
その内容を言葉で知るんや
人と話すことが一番わかりやすいかもな
わたしにとって本がそういう存在や
著者と真っ直ぐ向き合ってる感じがしてドキドキするしその時間が好きやった
読むことは著者との対話みたいや
言葉に触れ
生きてく上での
自らの持ち物を取捨選択して進むんや
これはあくまでわたしの考え
まぁ気楽に聞いてな
わたしの書いたもので誰かがホッとしたり
クスッとしたりワオ!ってなったり
何かを感じるひとときになったらいいと願う
別にそうならなくてもいいとも思う
あまり期待はしない
ただnoteに感じたこと伝えたいことを記したいんや
小腹が空いてミニカップ麺食べるみたいに
仕事や学校しんどくて気分転換に
壁にぶち当たって思考を柔軟にしたいときに
誰かと話したいのに誰もそばにいないときに
読んでや!
というか
わたしも自由に誰かのnote読んで
いろいろもらってる
冒頭で
わたしは世界の中の1つの本棚って書いたけど本棚の部分を図書館にするか迷ったのが本音や
1つの仮説として1人の人間は図書館であり
出会ったひとやものやできごとが記憶に刻まれる
意識的無意識的に刻まれたものが本となり
その集合体が図書館ってことや
ただ これやったら生まれてきて感じたこと全部そこにある!ってなって
さすがに全部あるのは生きてく上でしんどいと思う
本棚なら必要な本を並べる
入れ替えもできる 何より把握しやすいよな
図書館って基本広いよな
みんな自分の中に身の丈に合った本棚を持ってるってことや
本棚をでかくするのも小さくするのも自由
わたしという本棚でできることは
わたしという生き方で感じたことを記すことで誰かの胸の中を楽にしたい
ほんのわずかで充分
なにはともあれ
ここまで読んでくれてありがとう
長いし読みにくかったんとちゃうかな
以上、今わたしがnoteについて思うこと
でした。ほなな。また会おうな。
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