アラフォーからの”好き”についての考察。結局シンプルなのよね。動物だから。
寝起きのベッドの中からこうすけにラインを送った。
「いないー」。こうすけから「朝会議だから早く出るねって伝えたよ。」
と。確かに言っていたのを思い出した。するとこうすけから
「朝起こさないで勝手に帰ってね。って言われたw」
「相変わらず性格悪い女だねw」
「だねw」
そう,足を乗せたり,勝手に帰ろと言ったりめちゃくちゃなのは完全に私である。
とりあえず,一旦頭を整理しないとと実際我に返った。
で,一旦サウナに行く。大体頭の中を整理したい時は温泉かサウナに行くことにしている。
今,パートナーがいる。その人を傷つけちゃいけないと思っていた。でもこの現状を知られては傷つけることになる。しかし,こうすけはもう来週には会えなくなる。そのせいか,どうしてもやっぱりこうすけが好きだという気持ちが募るのだ。
そう,好きだ,という気持ちを最近改めて考えるようになっていた。
人を好きになるってどういうこと??
あまりにもパートナーができるとか好きな人ができるとかが久しぶりすぎて忘れているのか,,。もはやわからなくなっているのかさえ,自問自答しても答えが見つからない案件である。
だから一旦整理したくなった。
これまでに,人を好きになることは結構しんどかったり,辛い,と思うことがたくさんあったと思う。多分多くの人が経験するようなことだと思う。ところが恋愛とは不思議な麻薬のようなもので,なんだか心身に悪そうなのにまた時としてハマることがある。
この麻薬はなんなんだ?媚薬なのか?いや,なんだかやっぱりそんな綺麗な物ではないような気がする。
で,サウナと水風呂を行ったりきたりしながら頭の中を整理し続ける。
そこで,一つの答えに結びつく。
あれ?自分はカッコつけて綺麗事を言おうとしてないか?
そう,誰に悪いかな,とかなんか綺麗事でまとめようとしている自分がいた。
そこでまた自問自答する。
私はどうしたいのだ?私は何を求めているのだ?
そこで一つの答えに結びつく。
こうすけも好き。今のパートナーも好き。
その中でルールは一つ。
誰も傷つけないこと。
人を好きになるってどういうこと?とか哲学的に考えていたけど,よくよく考えると所詮は動物である。
本能や直感的に,何かがときめけばそれが好き!に直結するだけだったりする。その本能や直感には,その人のステータスとか,金銭的余裕とかはもはやどうでも良いわけ。だって,動物なんだもん。
いろんな恋愛をしてきたかはわからないけど,一つの答えはある。
人をステータスで判断してはいけない。
これはスーパー大前提なんだけど,世の中のほとんどの男子が見栄を張ったりするのも事実。その見栄を好きな女子もたくさんいるのも事実。
でも,ちょっと待った。
見栄を好きになると,その人は見栄をはり続けないとならなくなるし,その人の本質を相手は封印させてしまうのではないか?
だからこそ,見栄ではなく,その人に自由であってほしいと思うのだ。
まさにフランス革命の世界。自由を!!である。
そう,私は沢山の見栄をはる人たちに翻弄され続けた。
だからこそ,こうすけと今のパートナーの素晴らしさを感じる。
「みえとかはれないから,そもそもそこで勝負しないのよ。」
2人とも同じことを言っていた。
そう,ありのままである。
どちらも素直に自分の本音を述べていた。
それがとてつもなく心地よかった。
人を好きになるってどういうこと?
話を元に戻して考え直すと,
その人のありのままを愛する。その人の笑顔を応援する。
くらいシンプルでいいのではと思う。
綺麗事かもしれない。でも,綺麗事でいい。
その人が楽しそうに過ごしてくれていることが自分も幸せな気持ちになれる。
だから自分のエゴはやっぱり減らしたいなと思う。
そう,優等生になりたいんだ。
ほんとはこうしてほしいとか,わがまま放題好き勝手言いたいかもしれない。でもそれは20代とか30代前半までだと思っている。
アラフォーはそれらしい愛の取り組みが必要なんだ,となんだか汗だくになった体を冷ましながらぼんやりと脳に絡まってた糸をほぐす。
お風呂から出てからこうすけにラインをした。
沼に私も参加したい。
そう,純粋な答えはこれだった。
こうすけからの返事は,
お待ちしてます。
だった。
こうすけが日本を経つ日が訪れた。それまで,こうすけは実家に戻っていたので私たちのラストナイトから会えることはなかった。
ふと空を見上げた。仕事に行く前なのに急に妙に悲しくなりだした。
涙が溢れた。
なんだってこんなに寂しいて思うんだろ。ほんとに感情に持っていかれることが久しくなさすぎて泣ける自分にツッコみを入れるほど泣けた。
こうすけに,寂しい,と伝えた。
こうすけは,俺も寂しいよ。と。
ますます泣けた。
でも泣いてても仕方ない。久々自分がドラマに参加している気分だった。でもそれもたまには悪くないかなと,なんだかそんなドラマチックを懐かしむ気持ちでいた。涙が溢れて仕方ないのに,どこか冷静でいたいと思うのがアラフォーなのかもしれない。
涙を隠しながら仕事の移動中にItuneでランダムに音楽を流していた。
米津玄師のPale Blueが流れた。おいおい,タイミング絶妙すぎでしょ。
歌詞が刺さりまくる。もはや中学生だか高校生の恋愛みたいだ,と思いながらこれは浸るしかないなとアラフォーは浸ることにする。
そう,馬鹿げているのに,分かっている。でも,人を好きになるってきっと
もう1人の自分に出会えること
だったりするのかもしれない,と思った。
私あなたに恋をした。苦しさと一緒に。
そう,シンガーも言っているのだから一般人もそこそこその参加券を持ち合わせてもいいのではと浸ることにした。
ずっと恋をしている。
今回ばかりは,ドラマチックすぎるのでそうなるかもしれないと直感が騒ぐ。
きっと騙されているのかもしれないとか思う人もいるかもしれない。
でも,それでもいいんだ。それならそれで騙され続けたい。
だって,気持ちが”好き”なんだから。
そのくらいシンプルに純粋でいいじゃんて思う。
そう,ややこしくするから面倒になる。
でも,恋愛というのはややこしいし面倒臭いかもしれない。
でも,ただ会いたいだけなんだ。
ただそれだけなんだ。
きっとシンプルなんだ。
でも,現代においてやっぱり仕事とか,プライベートとかとにかく互いを尊重することとか,色々起きる。
そりゃそうだ,人間という動物は”社会”という世界にいるから。
その中で今一度”好き”について考えると,やっぱり
好きな人が笑顔でいてほしい
それが本当の”好き”なのかなって思う。
そう,とてもシンプル。相手の幸せを願いたいのだ。
それがアラフォーの境地の恋愛かもしれない。
終わり。
また進展があったら書いてみたいと思います。
ありがとうございました。
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